彼は執着し、そして。
※今回、三人称にて進行いたします。
「どもども、こんばんは~。ごめんねみんな、心配かけちゃって。ボクはもう大丈夫だから!
ちょっと今は、いつもと違う場所から配信してるんだけど~」
次の日。
えっちゃんことエチエンヌ・ドラゴニュールの配信が夜のなかなか遅い時間に始まった。
彼女を心配していたファン達は一斉に駆け付け、ほっとした様子のコメントが怒涛のように流れていく。
同時接続数もうなぎ上り、彼女の初配信に迫ろうかという勢い。
「えっと。……みんな、待っててくれてありがと。
こんなにボクのこと心配してくれる人がいるなんて、ボクって幸せものだ~!」
それを見て彼女の声も明るく弾み、とりとめない雑談配信が盛り上がっていく。
そんな様を、苦々し気に見ている者がいた。
「くそっ、なんで平気な顔してやがるんだ! 放火されたんだぞ、ビビるはずだろ、普通!
違う場所に移動したって、それだけでこんな顔するもんか!」
配信をノートパソコンで流しながら、血走った目でモニターを睨みつける男。
神経質そうな顔、やせた身体、身にまとっているのは白衣。
そして彼がいるのは、とある大学の研究棟、そこに据えられたスパコンセンター。
夜も遅く、彼以外に人はいない。
だからこそ、こうも大っぴらに独り言を言っているわけだが。
「てか、どこに居やがる! なんでこうも、まともに使えない音声データばっか乗ってやがる!?」
ノートパソコンで配信を流し、そこから聞こえてくる環境音を拾おうとしているのだが、今のところ何の成果も得られていない。
ダメ元で配信の音声をスパコンに流し込みリアルタイム分析にかけているのだが、推定される場所は日本のあちこちに散らばっており、特定など到底できないでいた。
それもそのはず、この配信は百合華宅の地下室でされており、バックグラウンドに乗っているのは百合華が合成した環境音もどき。
データ分析を混乱させる目的で作られた音源は、覿面に効果を発揮していた。
「折角のチャンスだってのに、なんでこんな!」
そんな怒りの籠った声が響き。
「へぇ、一体なんのチャンスだっての?」
そこに、もう一つの声がかぶせられた。
「は!?」
慌てて男が振り返れば、明かりを敢えてつけていなかった薄暗がりの中に立つ人影が一つ。
そのシルエットを見るに、長身ではあれども女性のようだ。いや、声もまた、女性のそれだった。
そこに思い至れば、男の狼狽はわずかばかり収まる。
「な、なんだ貴様、ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!」
居丈高な声は、若干上ずっていたのだが、果たして彼は気付いたかどうか。
そして、そんな声を向けられたところで、そこにいる彼女が揺らぐはずもない。
「そうよねぇ。関係者以外は入れるはずのない場所、よね」
そう言いながら彼女が示したのは、ゲストIDカード。
それを見せられて男は気付く。
そもそもスパコンなんて代物が置いてある場所に、セキュリティカードを持っていない人間が入れるはずなどないことを。
ならば彼女は、少なくとこここに入ることを認められた人間なわけで。
ということは、情報工学に携わっている人間であるはずで。
……彼が何をしているのか、理解することが出来る可能性がある人間だ。
そう気づいた瞬間、彼の顔から血の気が引く。
「ま、教えてもらわなくてもわかるんだけどね。Vtuberの配信をスパコンに流して分析にかけるだとか、何考えてんだか。
ってか、そもそも職権乱用だとか職務上不適切な行為ってやつよねぇ」
カツン。
冷たい靴音が響く。
一歩、彼女が前に踏み出した。
そのことに気付いた男が、1秒遅れて後ずさる。
身長は大して変わらない。いくらやせている体格といえども、スラっとした体形をしている女性相手に力で負けるほどではない。
だというのに、気圧される。
彼女の、笑っているようで笑っていない、底冷えのする表情を見てしまったから。
そんな男の様子を見て……彼女は、小さく鼻先で笑った。
「まったく、スパコンまで使うだとかどんだけ必死なのよ。つか、そんだけ必死になんないといけないだなんて、情けないったら」
嘲笑。
お手本のようなそれを受けて、男は吹きあがった。
「ふざけるな! 絵畜生ごときがなんであんなデカい顔してんだ! たかが、声がいいだけの奴らが!」
その意見自体は、時々言われるものではある。
だからこそ、彼女には全く効かないのだが。
「ばっかばかし。お勉強ができただけのあんたが言っても、笑えるだけだわねぇ」
「なっ!? お、おまっ、何を!?」
反論されるとは思っていなかったのか。
あるいは、価値観を根底から揺るがされたからか。
男の声には、それまで以上の狼狽が見てとれた。
それを受けて、わずかばかり女の目が細められたのだが……男には気づく余裕もない。
「声が良い、頭が良い、なんなら顔が良い。世の中そういう人は山ほどいるのに、それで食えてる人がどんだけいるかって話よ。
それだけじゃだめだって、あんたが一番わかってんでしょ? うだつの上がんない博士様?」
そう言いながら彼女が見せたのは、プリントアウトされた論文。
そのタイトルは、紛れもなく男が書いたものだった。
つまり、身元はバレている。そう理解出来る程度に男の頭の回転は速かった。
「やりすぎたのよ、あんたは。不意に飛び込んできた音声と簡単な情報からマンションの場所を特定し、トンチキなオフをネット掲示板で立ち上げてアンチ連中を扇動した手腕自体は大したもんだけど。
逆にいえば、あんなに速く正確にマンションを特定出来るような能力と機材がある人間なんて限られてる。
当たりを付けたら、後は網を張っておくだけ。そんでもって、えっちゃんの配信っていう餌に見事あんたは釣られたってわけ」
バサリ、手にした論文を適当に机へと放りだした彼女は、また一歩男へと向かって踏み出す。
静かに、静かに。深い夜の海を思わせるような雰囲気を纏いながら。
「それでも、特定するだけならまだましだったんだけど、さ。
流石に放火をそそのかすのはダメだわ。そこまでして彼女を引っ張り出したかったの?」
ワナワナと震えていた男の動きが止まる。
その目には、剣呑な光が滲んでいた。
もっとも、相対する女性は全く動揺した様子はないのだが。
「引っ張り出すなんてついでだ! 特定して驚いたさ、あの女、若いくせにあんな立派なマンションに住みやがって!
これが親のすねかじりってんならまだしも、自分で家賃を払えるくらいに稼いでやがる! 俺なんて未だにアパート暮らしなんだぞ!?」
「だから燃やそうとしたっての?」
「そうだとも、悪いか!? ついでに金持ちどもも燃えちまえばよかったってのに……ほんっと闇バイトなんてしてる連中は使えねぇ!」
売り言葉に買い言葉、とばかりに男が言ったその時だった。
「ほう、随分と興味深い話をしてますなぁ」
突然、暗がりの中からもう一人、男が姿を現した。
よれよれのスーツを着た、厚みがあってそれなりに長身な背格好。これだけの体格でありながら、今まで全く気配を感じさせることなくここに来たらしい。
「なっ、なんだ、お前は……?」
思わぬ、それも自分を簡単に制圧出来そうな人物の出現に、やせぎす男は覿面に狼狽えた。
そんな反応は想定の範囲内だったか、表情を動かすこともなくスーツ男は懐から何やら取り出す。
……それは、警察手帳だった。
「こういうもんでして。梶浦と申します」
「なっ!? な、なんで、刑事がこんな場所に!?」
「そいつは捜査上の秘密ってやつですが……たまたま通りがかったら、随分と面白いお話をされてましたねぇ。ちょいと詳しく聞かせていただけますか?」
男の問いかけを逸らしながら、梶浦がずい、と男に歩み寄る。
その圧力は、男が耐えられるものではなく。
「く、来るなぁ!」
身構えることなく自然体で歩み寄ってきた梶浦の胸板を、男は突き飛ばした。
いや、突き飛ばそうとした。
梶浦は、これっぽっちも揺らぐことはなかったが。
「おやおや、こいつは公務執行妨害ってやつですかねぇ。ますますお話を聞かなきゃいけなくなっちまいましたよ」
「うわっ、やめろっ、離せ、離せっ!」
もう一歩踏み込んだ梶浦が手を伸ばせば、あっという間に男は拘束され、ジタバタとあがけどもろくな抵抗になっていない。
なす術もなく、あっさりと男は梶浦に拘束されてしまう。
「それじゃ、詳しく話を聞かせてもらいましょうかね」
いまだじたばたと男は暴れるが、全く意に介することなく梶浦は男を引っ立てていく。
そこへ、百合華が声をかけた。
「ね、博士様? 今まで、自分のスキルだとかを誰かのために使おうとしたことある?」
「は?」
唐突な問いかけに、男は間の抜けた顔しか返せない。
その顔は、『何を言ってるんだこいつは』と言っているようでもあった。
「なさそうね。……だからあんたは評価されなかったのよ。
ちょっと考えればわかるでしょ。こっちを全く見ていない人間、評価したくなる?」
「え……あっ……」
思い当たる節でもあったか、男の顔が驚愕に歪み。
それから、がくりと肩を落とす。
「さ、話はもういいですかね。いきますよ」
そんな男に情けをかけることなく、梶浦は男を連行していった。
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