彼女は二度踊る。
「百合華、大変よ!」
ワンさんの絶品中華を楽しんでお腹が膨れたえっちゃんが、ぐっすりと寝ている真夜中。
慌てた声で社長が電話をかけてきた。……予想よりも大分早いな……。
「どしたの社長、なんかあったの?」
と、あたしは普段通りの声を作る。えっちゃんに聞こえないよう地下の防音室に移動しつつ、この状況で考えられることを、いくつも頭の中で思い浮かべながら。
そして、社長が告げたのは、その中の一つだった。
「えっちゃんのマンションで、ボヤ騒ぎが! それも、放火らしくて!」
「……そうきたか~……」
割と最悪の部類。
放火罪は最悪死刑もあり得る、殺人と並ぶほどの重罪。
そんなことを、やらかしやがった。
ううん。多分、違う。
やらせやがった。
だって、マンションの特定が出来るような技術や知識を持つヤカラが、こんなタイミングで軽率に自らの手で重罪を犯すとは考えにくいから。
「実行犯は捕まったの?」
「う、うん、例の騒ぎで管理人や警備員が気を付けてたから、割とすぐに」
「それは、ある意味で不幸中の幸い、かもねぇ……」
未遂であっても死刑があり得るのが放火の怖いところなのだけども。
今回のものなら、最低の量刑である5年の懲役、で済む可能性がある。
単独犯ならば一番重い刑を望むところなんだけど……多分、これは違う。
「……百合華の言った通りに、なったわね……」
「そうね、残念なことに。
おかしいとは思ったのよ。なんであんなすぐに、みょうちきりんでヤバいオフ会が企画されたのかって」
恐らく、これらの騒動には黒幕がいる。
それも、他人を扇動して動かしながら自分はリスクを冒さないタイプの。
「あんたの言う通り、無茶な作戦実行してまでえっちゃんを移動させて正解だったわ……まさか、こんなに早く特定するだなんて」
「まだ確定じゃないけど、ね。でもま、可能性は極めて高いでしょ」
ただの偶然かも知れない。
でも、状況的には極めて怪しい。
「……えっちゃんをマンションから炙り出すために、放火を仕掛けた。そんな頭おかしい奴が黒幕だって前提で動いていいと思うわ」
「なんでそんな奴がこの世にいるのよ……」
「あたしが聞きたいくらいだけど、聞きたくもないわね。反吐が出るだろうから。
理解出来ない存在もいる。そう考えるしかないわ」
正直理解しがたいし、納得したくもないけど。
でも、いること前提でコトを進めないと、痛い目を見るのはこっちだろうから。
あたしは、そのつもりで対処する。
「だから、最大限の反撃を食らわせるしかない」
「ま、まって、その、こう、物理的生物学的に終わらせるのは、そのっ!」
……あ、いかんいかん。そんな誤解を生むような声になっちゃってたか。
一回だけあたしは深呼吸をして頭を冷やす。……それで、冷える。冷えた。
「そういうやり方はしないから、安心して? 社会的には終わってもらうけど」
「百合華、だからぁ……でも、もうそうしないといけないところまで来ちゃってるのは、そうなんでしょうね……」
まだまだ物騒なあたしの言い草に、一瞬だけ社長は腰が引けたけども。
すぐに気を取り直し、現実と向き合う。
残念ながら、ここまで来たら命の取り合いだ。まだ、社会的な命で済んでるだけ御の字だと思って欲しい。向こうには。
そして、もう終わりは近い。
「多分、向こうはそう思ってないんだろね。だから、こんな致命的なミスをした。
ま、往々にして攻めてる側なつもりの人間は、自分が攻められることを考えてないものだけど」
自戒を込めながら言う。
あたしだって尻尾を掴まれたら社会的にアウトなことをやってんだから。
「明日で全部終わらせてやる」
そんな流れで、社長との通話は終わった。
さ、とりあえず今は寝ましょうか。
少なくとも今夜は、何故か安全だろうから。
いや、明日の段取りも立てておかないと、ね。
そんなことを考えながら、あたしはベッドへと向かったのだった。
そしてしばしの休息を、と思ってたのだけど。
「……なんでいんのよ、えっちゃん」
そうは問屋が卸してくれなかった。
あたしのベッドには、いつの間にかえっちゃんが潜り込んでいたのだから。
そんなあたしの問いに返されたのは、普段と違う、心細げな顔だった。
「だって……なんか、お腹膨らんで、落ち着いたら……逆に心細くなっちゃって……」
「あ~……そっか、そりゃそう、よねぇ……」
お腹が空いていたらろくなことを考えないものだけど、今のえっちゃんの状況は、冷静に考えたらそれはそれで不安にもなるだろう。
で、人にくっつくと安心する性質なえっちゃんは、あたしにくっついて寝ようと思ったわけだ。
……ちなみに、あたしがケアしたトラブルの一つが、そうやって人にくっつくから起こったことだったりはするのだけども。
まあ、この状況で言うのは酷ってものだろう。
「……いいの?」
そんな顔で聞かれて、断れるほどあたしも冷たい人間じゃないんだよねぇ、困ったことに。
「しょうがない、今日だけよ?」
渋々を装って言ったのに、ぱっとえっちゃんの顔が輝く。
まったく、そういうとこだぞ。そんなだから色んな人を勘違いさせるんだから。
そんなことを顔に出さないようにしつつ、あたしもベッドへと潜り込んだんだけど……それに合わせて、自然な動きでえっちゃんが抱き着いてきた。
この動き、こやつ手慣れておる。……だから更に勘違いさせるのかもなぁ……。
「抱き着き甲斐のある柔らかボデーじゃないのが申し訳ないんだけども」
「ううん、そんなことない。とっても、落ち着く……」
そう言いながら、えっちゃんは大きく息を吐き出す。
その声音は、言葉通り落ち着いたものになっていた。
それからしばらく、他愛のないおしゃべりをしてたんだけども。
「なんで、ああやって特定とかしようとするのかなぁ……」
しみじみと、えっちゃんが零す。
ちょっと前までの、不安で震えるような様子はもうないのだけど。
その分、心底不思議そうな、呆れてそうな声になってしまっているのは、まあ当然といえば当然だろう。
「いくつか理由はあるんだろうけど、ね。
面白半分な奴もいれば、えっちゃんともっとお近づきになりたいってのもいるだろうし」
加害欲からって連中もいるんだろうけど。流石にそれを今言うのは憚られた。
あたしの返答に、えっちゃんは深々とため息を吐く。
「もっと、って、さぁ……どーしてなんだろ。ボクは今の距離で十分楽しいと思ってるんだけどなぁ……。
友達とかじゃダメなのかな?」
心底不思議そうに言うえっちゃん。
彼女は恋愛とかに興味が薄いタイプでありながら友達付き合いには積極的、というある意味男泣かせなタイプ。
いや、女泣かせなこともあったらしいけども。
「もちろん、ダメなことはないんだけどね。
えっちゃんの思う距離感を大事にしてくれる人達がいればいいんだけど」
「ボク、呪われてるのかなぁ。お母様も距離なしだったし。申し訳ないけど、息苦しかったもんなぁ……」
「だから家を出たんだっけ。えっちゃんは一人の時間もないとダメなタイプだもんねぇ」
色々正論とかアドバイス的な言葉も浮かぶのだけど、今は違う気がした。
えっちゃんが思うところを吐き出させた方がいいんじゃないかな、って考えたのは、間違いではなかったらしい。
「そなんだけどさ……でも……スアラ・デウィのみんなは、大事にしてくれてると思うよ?」
しみじみと、それこそ大事なことを告白するかのように。
実際、うちの事務所、スアラ・デウィに所属している子達は性格がよく、相手のことを尊重できる子ばっかり。
くっつく時はくっつく、離れる時は離れる、なんて関係性を望むえっちゃんにとっては、居心地のいい場所なんだろう。
「そう思ってもらえてるなら、社長も喜ぶわよ。もちろん、あたしも」
こんなことを言ってもらえるなら、『お仕事』をしている甲斐もあるってもんだ。
だから、必ずこの案件も収集を付けないと。
だったら。
「ね、えっちゃん。えっちゃんやこの事務所のために、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」
「え、何々? もちろんボクで出来ることならなんでもするよ!」
あたしの提案に、えっちゃんは一も二もなく飛びついてくる。
……よかった、もう大丈夫そうだ。
そんなことを思いながら、あたしは考えついたプランをえっちゃんに説明したのだった。




