そして彼らは嵌められる。
「ワタヌキ候補の足取りがまた掴めたぞ!」
「こっちも話聞けたぞ!」
日が沈みかけ、一日が終わろうというのに、その街に静寂は訪れない。
『エチエンヌ・ドラゴニュール特定オフ』の参加者達が、口々に己の戦果とでも言うべき情報を誇っているからだ。
その光景は、傍から見れば実に悍ましく、滑稽なのだが……当の本人達にそんな自覚はない。
また、彼らが話を聞いた人々から向けられるているものが冷たい視線であることも。
何故ならば、彼らはこの熱狂に酔いしれてしまっているから。
誰にどれだけの迷惑をかけているか、だなんて自覚がまるでないから。
「うほっ、今あのマンションから出てきた女の顔、バッチリ撮れた!」
「おけ、声聞いて本人確認してくるぜ!」
だから、こんな迷惑極まりない連携も生まれてくる。
諸々の情報から、この辺りにあるマンションにえっちゃんことエチエンヌ・ドラゴニュールの中の人が住んでいるらしいことまでは特定出来た。
であれば、後は力技。マンションから急ぎ出てくる若い女性を虱潰しに撮影、その声を承諾なしに録音することで本人特定をしようという流れになっている。
そんなことをすれば、当然ターゲットにされた女性は怯えるわけだが……それは彼らを抑制する方向には働かない。
むしろ嗜虐心を煽り一層攻撃的にする効果まで出てきてしまう始末。
高級マンションが立ち並ぶ、本来ならば治安の良い区域が荒らされている。
いや、そんな区域を荒らしているということも彼らにとっては愉悦を生み出しているのかも知れない。
「あの女は随分と食いしん坊みたいだからなぁ、そのうち出てくるか、出前頼むかだ!」
「くそっ、さっきの注文は外れだった!」
百合華や社長が危惧していた通り、デリバリーの配達員に扮して……いや、その立場を悪用して特定しようとする人間が実際に動いている。
それも一人二人ではなく、十人に及ぼうかという人数で。
流石にこれだけの人数でカバーしてしまえば、注文の多い土曜日とはいえ、この地域からの注文はほとんど網羅出来てしまう。
ここまでの体制が出来てしまえば、後は時間の問題。
腹をすかせたドラゴン娘が罠にかかるのは、そう遠くない。
……はずだった。
「あ~、ちょいとお兄さん達」
盛り上がっていた彼らへと、声がかけられた。
その場にいた人間が振り返れば、そこに立つのはくたびれたスーツを着込んだ一人の中年男性。
身長はさほど高くもなく、顔もいたって普通の顔。強いて言えば、髪が短めにカットされている程度。
と、ぱっと見にはどこにでもいる普通のおじさんだった。
……ただ、わかる人間が見れば、そのスーツの下には鍛えられた筋肉が隠されており、たたずまいも常人のそれではないと気付けるのだが。
残念ながらというかなんというか、この場に、少なくとも声を掛けられた男性連中に、そんなことがわかる人間はいなかった。
それが、彼らの不幸、あるいは因果応報の始まりだった。
「お、おう、なんだよおっさん」
リーダー格らしい男が、居丈高風に応じる。
……思い切り動揺が見える声で。だからあくまでも、居丈高『風』でしかない。ビビっていることが丸わかりなのだ。
所詮は匿名性と勢いと人数を隠れ蓑にしていた輩、こうしてダイレクトに、リアルの人間に声を掛けられれば怯えが先に立つ。
それを隠すための強気に見える態度なのだが……おっさんと呼ばれた彼には見透かされていた。
まるで怯んだ様子もなく……むしろ憐れむように笑いながら、中年男性は答えを返す。
「いやね、俺はこういうもんでして」
そうして彼が示して見せたのは。
『警察手帳』
それを見た瞬間、リーダー風の男に、いや、見ていた周囲の男達全員に動揺が、そして怯えが走る。
つまり、今目の前にいるこの中年男性は、刑事。
そう理解した瞬間、男たちの足が震え始める。
「この辺りで、男性集団による組織的な盗撮と盗聴が大っぴらに行われているって通報がありましてね?
お兄さん達のさっきまでの会話も聞こえちまったもんですから、ちょいと話を伺わないとってわけでして」
中年男性が腕を振れば、隠れて包囲を完成していたらしい警察官達が姿を現す。
その人数、雰囲気からして、この場にいる全員を取り押さえるには十分。
都合のいい妄想に浸っていた連中でも、逃げ場がなくなったことは理解出来たのか、ろくに声を上げることも出来ない。
「例えばそこのお兄さん、なんでこんな住宅街でそんなデカい、そこの窓を盗撮出来そうなレンズのカメラ持ってんですかね?」
「えっ!? い、いやこれは、その、と、鳥を撮影するための……」
刑事から問われて、かつての被写体を口にする男。
だがしかし、この都会のど真ん中、高層マンションが立ち並ぶ住宅街でその言い訳は通用しない。
「ほうほう、鳥ですか、いいですねぇ。ちょいと本官にも見せてもらえませんかね?」
「な!? だ、だめだ、これはっ、そのっ!」
「鳥を撮ってたんなら、別に構わないでしょうよ? さぁ、ほら」
そう促されて、反射的にカメラを持った男がカメラを刑事から遠ざけようと庇う。
その動きで……『たまたま』傍によっていた警察官の身体に、男の肘が当たった。
「うわっ、痛っ! 梶浦さん、この男今、私に肘打ちをして抵抗しました!」
「そりゃ大変だ、公務執行妨害の現行犯だなぁ」
茶番である。
どう見ても全くダメージを受けていないのに痛そうにしている警察官と、棒読みで応じる刑事。
その光景を見て、カメラを持っていた男の顔が真っ青になった。
漫画やアニメ、ドラマでよく見る……あるいはミーム的によく言われるシチュエーション。
オタク的知識が豊富な男は、それがすぐさま頭に浮かんでしまった。
そして、自分がやらかしてしまったことも理解できてしまう。
ただ、そんな時にどうすればいいのかは、フィクションも他の誰も、教えてくれなかった。
だから、硬直するしかなく。
「取り押さえて、カメラの中身を確認しろ。よほど警察に見られたくないものらしいからな!」
「はっ!」
そんな隙があれば、ずぶの素人である男を制圧するなど、警察官にとっては朝飯前。
すぐに取り押さえられ、カメラの中身が検められる。
まず表示されたのは、驚きと怯えが交じり合った表情の女性が映る画像。
「こいつはどう見ても、まともに撮られた写真じゃないですなぁ」
「ち、違う、それは知り合いの写真で!」
「鳥じゃなく? いや、別にいいんですがね。そんじゃ、この女性の名前は?」
必死に言い訳をしようとしていた男の口が、固まる。
何しろ誰ともわからない相手の顔を勝手に撮影しただけなのだから、名前など知る訳もない。
そして、とっさに名前が出てくるような関わりのある女性もいない。
「んじゃこの女性は? こちらの女性も。……この短時間に、随分と多くの、名前がすぐに出てこない女性の写真を撮ってたもんですなぁ」
しみじみと。それでいてじわじわと真綿で首を締めるような声で、刑事が迫る。
色々な意味で反論が出来ない男は、口をパクパクと開閉するばかり。
ある意味でそれが何よりの証拠になってしまっているのだが、男とつるんでいた連中すらフォローの一つも入れられない。
その程度の繋がりでしかないのだから。
「こいつはどうにも盗撮臭い。ってことは……お兄さん達全員に話を聞かないとですなぁ」
しかし、その程度であっても繋がりは繋がり。
この刑事が、そこを逃すわけがない。
「ち、ちがっ! 俺達は別にっ!」
「はいはい、違うっていうならそのスマホの画像データ見せられますよね~」
「梶浦さん、何やら困惑する女性の声が録音されたデータが多数あります!」
一人の男が抵抗したのを皮切りに、警察官達が連中を取り押さえ、所持していたスマートフォンやカメラ、ICレコーダーを検めていく。
当然のごとく出るわ出るわ、盗撮や無断録音データの数々。
これはもう、疑うには十分すぎるわけで。
「そんじゃ皆さん、署でお話を伺いましょうかね……うん?」
現場を取り仕切る刑事がそう言いかけたところで、急にバタバタと激しく風を斬る音が聞こえてくる。
見上げれば、間もなく日没だというのに一機のヘリコプターがこちらへと近づいてくるところだった。
と、そこで梶浦と呼ばれた刑事のスマートフォンが鳴る。
「はいもしもし。……え? このマンションに住む独居老人が救急通報? ドクターヘリを向かわせたが、事件性がないか一応調べてくれ?
ったく、大捕り物の最中だってのに……わかりましたよ、手が空いた奴を向かわせますから」
そう応じてすぐに電話を切った梶浦刑事は警察官一人に指示を出し、マンション内へと向かわせる。
その間にもドクターヘリと思しきヘリは近づき……マンションの屋上に設けられたヘリポートへと着陸した。
それを見届けた梶浦刑事は、小さく呟く。
「これで借り一つチャラ、ってことでいいんかねぇ、お嬢さん。こんな小物ばっかじゃいまいち釣り合わないんだが」
小さく笑う男は梶浦刑事。百合華から『カジさん』と呼ばれていた男。
つまりこの大捕り物を仕込んだのは、何を隠そう百合華だったのだ。
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