彼女は策を練る。
「何やってんのよ、あの子は~~!」
一方的にぶち切りされた通話アプリを閉じながら、あたしは悪態を吐く。
言うまでもなく『あの子』とはお騒がせ娘のえっちゃんことエチエンヌ・ドラゴニュール。
たまたま配信を見ていたあたしがトラブルに気付き、用を足していたえっちゃんに慌てて通話。
運よくスマホを持ってたえっちゃんが事態を知って、慌てて配信を打ち切ったというのがここまでの流れ。
「まっずいわね……ワタヌキなんてそうそうある苗字じゃないし」
慌てて検索を掛けるも、いくら膨大な人数が立候補している東京都区議会議員選挙といえども、同じ苗字の候補者なんてそうそういるわけがない。
見事に、えっちゃんが住んでる区にのみ、ワタヌキ候補は存在している。
ということは、これでえっちゃんが住んでいる区は特定された。
その上、それだけでは済まない可能性が高い。
「この時間に、ワタヌキ候補が街宣車で走ってた場所くらい、特定する奴がいてもおかしくない……」
そんな馬鹿なということなかれ。
特定厨の調査能力と執念は、本当に常軌を逸していることがあるのだ。
以前見かけたものだと、エアコンのリモコンが映りこんだ→このリモコンが使われているエアコンはこれ→室外機はこのタイプだから……という風が吹けば桶屋が儲かるもびっくりな展開で特定されたことがあったらしい。
もちろん、それ以外の情報も総合して、ではあるんだろうけど。
いや、この場合は普段の情報からある程度絞り込んでいたから、と考えるのが自然か。
……となると、ご覧のように迂闊なところのあるえっちゃんであれば、既にある程度絞られている可能性が高い。
「もしもし、社長!?」
何とか手を打たないといけない。
となるとまずは責任者に報告と相談。社会人の基本である。
あたしが社会人かって言われると怪しいけども。
『んぁ……どしたの、百合華ぁ……』
電話に出た社長は、寝起きっぽい声だった。
……そういや今日は土曜日、昼過ぎまで寝ててもおかしくないかぁ……昨日も遅くまで事務所で働いてたみたいだし。
折角の休日でゆっくりしていた社長には悪いけど、こればっかりはしょうがない。
「寝てたとこにごめん、えっちゃんが……」
と、あたしが経緯を説明したところ。
『またなのあの子は!?』
頭を殴られて完全に目が覚めたかのような声で社長が声を上げた。
いやまあ、うん。そりゃそうなる。あたしだってそーなった。
前に言ったかも知れないが、あたしはえっちゃん関係のトラブルを3回ほど何とかしている。
これで4回目、流石にしっかりしてくれとは思っちゃう。
けども。
こういうところが憎めないところでもあり、おかげでえっちゃんもまた我が事務所、スアラ・デウィの稼ぎ頭。
……もしかしたら、こういう危なっかしいところも人気の秘訣なのだろうか。
もちろん、人を引き付ける声、っていうのもあるんだけどね。
「またなのはもうしょうがないから、手を打たないと。いつ場所が特定されるかわかったもんじゃないわ」
『そ、そうね、まずはマンションの管理人に連絡して、不審な来客に気を付けてもらって……土曜だったから良かったわ、これが日曜だったら管理人が常駐してないはずだし』
「いやまあ、日曜、明日の投票日当日だったらそもそも選挙カー走ってないはずなんだけどさ」
『意識したことなかったけど、そういえばそんな決まりあったわね……』
最近は色々グレーな選挙活動が話題になったりするけど、流石に爆音で候補者名を連呼するようなアホなことを投票日にする奴はいないはずと信じたい。
いやしかし、そうなると。
「……出来れば明日までにはえっちゃんをどっかに移動させたいわね」
『そうね、管理人がいない状態だと……部屋に籠っててもらったらそんなに心配はいらないでしょうけど、ご飯の問題もあるし』
「このタイミングでデリバリーは怖いからね……自炊しない子だし、冷蔵庫に何もないどころかカップ麺すらなかったこともあったし」
えっちゃんが住んでいるのは、管理人が普段は常駐している、屋上にヘリポートもあるようなデカいタワーマンション。
実家が太いだとか彼女自身が稼いでるとかあって、経済的に豊かなんだ、あの子。
そのせいで自炊したこともないし、買い物も面倒だからってデリバリーのご飯ばっかりなんだけど……今はそれが災いの元になってしまいかねない。
デリバリースタッフのふりして住人の出入りの隙を突いて侵入する、なんてことも考えられるわけだし。
『だったら、すぐにタクシーを手配するわ!』
「……や、ちょっとそれも拙いかもしんない」
『え、なんで??』
社長が提示した真っ当な案に、あたしは同意出来なかった。
何故なら、事態があたしが考えるよりも早く拙い方に向かっていたから。
PCで色々情報を集めながら社長と話していたあたしがその情報を掴めたことは、きっと幸運なことなんだろう。
「アンチの連中が、0ちゃんねるでやらかしてる……『エチエンヌ・ドラゴニュール特定オフ』だとか阿呆な企画を!」
『は、はぁ~~!?』
乙女が発してはいけない悲鳴を上げる社長。いや、そうなるのも無理はない。
あたしらみたいなVtuberには、好いてくれるファンもいればそうでない人もいる。
その中でも特にVtuberを嫌悪して、あるいは叩きやすい相手と認識して執拗に攻撃してくる連中もいる。俗にいう、アンチという奴だ。
こういう連中にとったら、あたしらを叩くなんて娯楽の一種。
そこにこんな騒ぎとなったら、お祭り騒ぎにもなろうってもの。
実際、『祭りだ祭りだ!』とか騒いでる奴もいる。
それが、どれだけ人に迷惑をかけるか、傷つけるか、わかりもせずに。
というか、こういった連中にとったらVtuberだとかネットの向こうにいる存在は、人間じゃないんだろう、きっと。
そして、人間じゃない、おもちゃのごとく認識している相手に対しての衝動的な行動力は、悍ましいとすら言えるレベル。
「土曜で休みの連中が多いのも災いしたわね……人海戦術でワタヌキ候補のルートをかなり絞り込んで、あちこちに網を張ってるわ」
小人閑居して不善を為す、ってのはこのことだわ。あたしは思わずため息を吐く。
意外なことに、こうしたネット上で攻撃的な言動をする連中には、それなりに歳がいった会社勤めの人間がそれなりにいたりする。
あたしが知ってる限りだと、生活に困らない程度の金はあるが碌な趣味がない……他人に対する叩きが趣味になっている連中が大半だった。
「そんな連中がゴロゴロいるところに、慌てた様子で若い女性がタクシーに乗り込むところが見つかったりしたらどうなると思う?」
『じゅ、住所の特定どころか、顔バレまでしちゃうじゃない!?』
「困ったことに……なんかバズーカみたいなレンズのカメラ持ってる奴もいるし。その金と技術はもっと別のことに使えばいいのに」
愚痴の一つも出てしまうだろう。本当に生産的じゃないというか無駄遣いというか。
おまけに、無駄遣いなのはそれだけじゃなかった。
「うわ、なんかデリバリーの仕事やってる奴が、この辺りの注文全部取るとか言い出してる」
『……えっちゃんの食事のこと知ってる奴がいる、ってわけね……?』
社長の声が震えている。そりゃそうだろう、社長から見れば、手詰まりにしか見えないんだから。
アンチの連中は、その異様な執着心から対象の情報をファンよりも知っていることが往々にしてある。
それがこんなイベントでお披露目出来るとなれば、それはもう盛り上がるんだろう。胸糞悪いけど。
『ど、どうしたらいいの、これじゃぁ食べ物を持っていくとかも危ないし!』
「落ち着いて社長。かなり拙い状況だけど、でも、まだ致命的じゃない」
『……え?」』
あたしが普段通りの声で言えば、社長の声から震えが少しばかり抜ける。
そうそう、大丈夫、大丈夫だからね~。
「連中は網を張ってるし、そこに引っかかったらアウト。だけど連中は、これ以上詰めることが出来ない。
だって、特定しきる情報が今はないはずだからね」
『あ……』
淡々と言えば、社長が納得したような声を漏らす。
そう、連中はかなりのところまで迫ってはいる。
だが、あと一手が足りない。そしてそれは、そうそう見つからない。
何しろえっちゃんが住むのは、さっきも言ったけどタワーマンションで部屋数はかなりのもの。
おまけに似たようなマンションが近くにいくつもあるのだから、絞り切れるはずがない。
そして、絞り切れないからと強引に押し入ったりすれば不法侵入で御縄である。
遊び半分でやってて自分だけはかわいい連中が、そんなリスクを取るわけがない。……今は。
「焦れて暴走する連中が出てくるかも知れないけど、まだそこまでの熱狂じゃない。
後は……ワタヌキ候補の位置情報や移動方向、音声変化なんかをスパコンだとかにぶち込んでシミュレートして位置を推定するような規格外の馬鹿が出てきたりしたらアウトだけど、仮にそんなのがいたとして、半日はかかるはず」
『……百合華? あの、もしかして……』
「まあ、あたしも出来るっちゃ出来るけど。やんないわよ、もちろん。うちの子達に対しては」
『お仕事』に必要ならやるけど。スパコン使わせてくれそうなツテもあるし。
こんな連中の中にそんなスキルがある人間がいるとは思いたくないな~……でも、最悪の状況は想定しとかないと。
その上で、手は……あるっちゃある。
「とにかく社長、えっちゃんに連絡取って、食事の注文含め外部に対して何もしないよう指示して。
しばらく我慢してもらうけど、必ず夜になる前には迎えに行くからって言ってちょうだい」
『わ、わかったわ! ……でも、夕方だからって連中が張ってるのは変わりないんじゃ……?
多少暗くなってるとはいえ、それに乗じて……とかも通じない予感しかしないし』
素直に返事をした社長が、ふと怪訝な声になる。うん、そこはその通りなんだけど。
「だいじょぶだいじょぶ、そこを何とか出来るツテもあるから」
まあ、ほんとは私的に使っちゃだめなんだろうけどさ。
今回ばかりは許して欲しいし、なんならあたしが責任取る。……社長が許してくれないかもだけど。
「んじゃ、あたしは色々手を打つから……えっちゃんへの連絡、お願いね?」
そう言ってあたしは、電話を切る。
さ……『お仕事』の時間だ。
あたしの目つきが変わる。
こいつら全員、目に物見せてやる。
そんな決意を胸に、あたしは連絡を取り始めた。
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