彼女は願う。今も、かつても。
そして、ロケそのものはとても順調に進んでいった。
事前にスタッフさん達がしっかり準備していてくれたのもある。
サヤさんがばっちりと予習していて、淀みなく案内してくれたのもある。
でも、一番は。
「いやもう、筆舌に尽くしがたいというか……いっくらでも感想が出てきちゃうね、これは」
「ほんとねぇ……ここまでの場所を作りあげるのに、どれだけの手間暇がかかったのか、想像もできないわ……」
丹精込めたお花の数々が、考え抜かれた構図で配置され、それらが丁寧にお世話されていること。
それが、どんなアトラクションよりもあたし達の目と心を捉えて離さない。
それらに感受性が鋭いサヤさんが気づいて指摘し、多少なりと設計だなんだの知識があるあたしが応じて。
同行している施設スタッフさんも、ずっと『そうなんです!』とか『そこに気付いてくれるんですね!?』とか喜びと驚きが入り混じった表情をしてくれているから、きっと的外れなことは言ってないのだろう。
であれば遠慮する必要もなく。
……あたしが気づいたことは、当然サヤさんも気づいていて。
ただでさえ鋭いアンテナの感度を上げて、あれもこれもと気づいて話題に出してくる。
もちろん、アピールにならないことは省きながら。この辺りのバランス感覚も流石だよねぇ。
年の功、とか言ったら拗ねられそうだから言わないけど。
でも、やっぱりあたしよりも人生経験豊富な人なんだなぁ、と素直に感心するくらいは許して欲しい。
そうやってあちこちを紹介して、ちょっと休憩。
……のつもりが、休憩にならなかった。
「えっ、何これ、バラのジャム!? めっちゃいい香りなんだけど!?」
「エディブルフラワーは食べたことがあるけれど、ここまで贅沢に使ってるデザートコースは初めてだわ……」
施設内にあるカフェでアフタヌーンティーという体で休憩しようとしたのだけど、精神的には休憩と言っていいのかわからない状況に陥ってしまった。
ちなみに、エディブルフラワーとは食べられる花の総称。たまにサラダやスイーツに添えられたりすることがあったりする。
思わず食レポを始めてしまい、そこにサヤさんの感心が溢れたコメントが付いてしまえば、最早休憩なんてしている暇はない。
デートな空気は醸し出しつつ、レポートもしっかりせねば。
「ジャムを入れてロシアンティーにしてもよし、マフィンにつけてもよし。
爽やかさと華やかさを兼ね備えたこの香りが、ティータイムを一層優雅なものにしてくれるねぇ」
「そ、そうね、なんだかお嬢様になった気分になれるわ」
ちょっとカッコつけた言い方をしてみたつもりなんだけど、サヤさんから目を逸らされた。
う~む、失敗か。あたしにはこういうの似合わないのかなぁ?
なんて一人反省会をしつつも会話を続けていく。
「じゃあしっかりエスコートさせてもらわないとね、お嬢さん?」
「おっ、お嬢さんだなんて年じゃないわよ、もう」
「何言ってるの、女性はいくつになったってお嬢さんだしレディなんだよ?」
「やだ、そんなこと言われても騙されないんだからね?」
あれ、今度は照れながらも嬉しそう。
なるほど、言い方よりも扱いが大事なのかも。
それにしてもお嬢さん扱いで喜ぶだなんてサヤさんも可愛いところがあるなぁ。
そんな感じでひとしきりおしゃべりして、お茶や軽食を味わって。
「あ、いけない、そろそろ次の場所に行かないと」
「もうそんな時間? 楽しい時間はあっという間に過ぎちゃうなぁ」
そう言いながら立ち上がったあたしは、サヤさんへと手を差し伸べる。
「さ、お手をどうぞ、お嬢さん」
「ふふ、まだその路線で行くの? じゃあ……ありがとう、素敵な方」
はにかむように言いながらサヤさんがあたしの手を取り、楚々とした仕草で立ち上がる。
なるほど、こういう演技も出来るんだな~。
なんて感心しながらあたしはサヤさんが立ち上がるのを手伝い、それから腕をちょっとだけ曲げてみせた。
すると、もうすっかり慣れた動きでサヤさんが腕を組んでくる。
……この感触にはまだ慣れないけども。
そんなことを思いながらあたしはカフェの外に出るべく足を進めていった。
それから、更に歩いてあちこちを見て回って1時間ばかりだろうか。
日が少しばかり傾きかけたところで、あたし達は最後のスポットにやってきた。
「うっわ~……こりゃ凄い」
「ほんと……見渡す限り、一面が青に染まってる……」
ちょっとした丘を登り切ったあたし達は、目に飛び込んできた光景にしばし言葉をなくす。
花弁そのものは鮮烈な青なのに、その中心あたりが白くなっているせいか、全体としての印象は柔らかな小ぶりの花。
それらが広々と敷き詰められている様は爽やかでもあり……何故か寂しさや切なさも想起させられる。
ネモフィラと呼ばれる花。
最近はこの花を売りにした公園だとかもそこかしこで見られるようになったけど、それも納得というもの。
その中でもここは、相当に規模がデカいネモフィラの園になっているんじゃなかろうか。
「ここまでのは、初めて見るなぁ」
「そうね……あ、見て回れるように小道が作られてるわ。行ってみましょう?」
誘われて、もちろんあたしは頷く。
小道自体は大人二人が並んで歩くに丁度いい程度の広さ。
すれ違うのは難しそうだからか、順路も決められていた。
それに従って歩いていくんだけど……なんだかあたし達の言葉数が少なくなっていく。
雲一つない晴れ渡った空。
その春空と似ているような色合いに染まっている一面のネモフィラ畑。
明るい雰囲気であるはずなのに、何故だか切なさに胸が締め付けられてくる。
本当になんでかわからないんだけども。……お別れの場に似た空気を感じてしまった。
もしかしたら。
サヤさんも、似たようなものを感じたのかもしれない。
「ね、百合華ちゃん。ネモフィラの花言葉って、知ってる?」
「え? いや、知りませんけども」
思わず素の口調に戻って、あたしは返す。
なんだろう、茶化したりだとかはダメな気がしたんだ。
待ったのは多分数秒くらいだったんだろうけど、妙に長く感じた時間。
それから、サヤさんは口を開いた。
「可憐、成功とか色々あるのだけど……その中にね、『あなたを許す』っていうのもあるのよ」
「……なんだか、それだけ毛色が違いますね?」
可憐は、もちろんわかる。ネモフィラは、まさに可憐そのものと言わんばかりな花だから。
成功、もわからなくはない。これだけ広範囲に咲いているということは、相当生命力も強いんじゃないだろうか。
だけど、あなたを許すとは、どういうことだろう。
「元々はギリシャ神話から来ているらしいの。
ネモフィラは、結婚したての夫を亡くした女性の名前。夫を返して欲しいと冥界までやってくるのだけど、生者である彼女は冥界の門を通ることが出来なくて夫に再会も出来なくて。
そんな彼女を哀れに思った冥界の神が彼女を花に変えたんだそうよ。
……もっとも、誰が誰を許したのかは、明確には伝わっていないらしいのだけれど。
死者の国にたどり着けなかったネモフィラを夫が許したのか、冥界の神が、冥界の門に留まることをネモフィラに許したのか。
それとも、他の意味があったのか。……もう、わからないのだけど」
「なるほど、そんな意味が……だから、なのかなぁ……」
サヤさんの説明に、あたしは思わず納得してしまった。
何故あたしが、この可憐な花に死の雰囲気を感じてしまったのか。
いや、逆か。死の雰囲気を感じた古代の人がそんな神話を作ったんだろうし。
そしてサヤさんも、それに近いものを感じ取ったのだろう。
「……あの人は、私のこと許してくれるかな。成功したり、笑ったり……幸せになったりしても」
ああ。
わかった。わかってしまった。
泣きそうな顔で振り返ったサヤさんを見て、あたしは理解した。
彼女の言う『あの人』とは、未亡人設定なサヤさんの、死に別れた夫。
なんでそんなマニア向けな設定にしたんだろうと不思議だったんだけど……その謎が解けた。
サヤさんの言う『あの人』とは。
二度と会えない、でも大切な人。ずっと一緒で、きっと別れの時には身を裂かれるような思いをした人。
……きっと、彼女の前世であるセクシー女優だった時のサヤさんだ。
もう二度と会えない。会うわけにはいかない人。
それでも、忘れたくない人。
だって、前世で過ごした時間も、サヤさんにとっては大事な時間だったんだろうから。
だから、こんなにも切ない顔をしている。
だから、大切な夫を亡くしたネモフィラを想起させる花畑で、泣きそうになっている。
それでも。だからこそ。
『あなたを許す』という花言葉を持つネモフィラ達に囲まれて。
サヤさんは、許されたいと願っている。『成功』へと向けて歩みだしたいと思っている。
『あの人』を、今度こそ思い出に変えて。
そう思えるきっかけになったのなら、今回の騒動にも意味はあったのかも知れない。
であれば、あたしがすべきことなんてただ一つ。
「許してくれるに決まってるじゃないですか」
そう言って、そっとサヤさんを抱きしめた。
許してくれるに決まってる。
……望んでいいに決まってる。
だってサヤさんは、より自分が幸せになる道を選び、決断した人だから。
だったら、決断した時のサヤさんは。もっと前、恐らく自分の幸せがわからなくなっていた時のサヤさんは、きっとそのことを喜んでくれるはず。
だって。
「サヤさんの『あの人』は、誰よりもサヤさんが幸せになることを望んでいた人でしょう?」
幸せになりたかったから、別の道を選んだ。
そっちの道で幸せになれる人もいれば、そうでない人もいる。
サヤさんは後者だった、というだけの話。
そしてサヤさんは、この場所に……うちの事務所に、スアラ・デウィに居たいと思ってくれている。
ここに居ることが幸せだと思ってくれている。
だったら、幸せになれる場所を見つけた今のサヤさんを、かつてのサヤさんは喜んでくれるはず。
だってサヤさんは、そういう人だから。
「いいんですよ、幸せになって。ううん、幸せに、なっちゃいましょ?」
最後だけ、少しばかりおどけて。
これくらいは許されるんじゃないかな。
だって。
「うん……うんっ……私、私ぃ……幸せに、なるっ、なる、からぁ……」
あたしの胸の中で、サヤさんが泣きじゃくっているから。
切なさや悲しみを嬉しさが凌駕したような、そんな声で。
恥ずかしながら、このあたしが思わずもらい泣きしそうになったくらい。
そして、時間が過ぎていく。
少しずつ、少しずつ、日が傾いていく。
世界が、赤に染まっていく。夕日の色に。
ネモフィラの鮮やかな青は赤と交じり合って紫に、更に深い色へと。
世界が、変わっていく。
それに合わせるかのようにサヤさんの声は、軽くなっていく。少しずつ、何かを吹っ切っていくかのように。
そして。
「……ごめんなさい、こんなに泣いちゃって。でも……ちょっとだけ、気が晴れたかも」
顔を上げたサヤさんが、笑う。
その顔は。声は。一番星もかくや、とばかりの輝きだった。
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