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怨霊夜叉五月姫

承平天慶の乱 — 九百三十五年

平将門が討たれ、その一族郎党は徹底的に滅ぼされたかのように思われた。

だが、炎に包まれた村落の中で、一人の少女が生き延びていた。将門の娘、五月姫。


幼いながらも父を失った恨みは、彼女の心に深く根を張り、復讐の灯火を燃え上がらせていた。その強烈な怨念は、ついには貴船明神に届き、呪詛の力を授かるまでに至る。


挿絵(By みてみん)


延暦寺 — 九百九十五年

碓井貞光と甲賀忍者との激闘から一月。斬童丸と忍葉は延暦寺の山中で傷を癒し、修行の日々を送っていた。


斬童丸は、薄闇に包まれた延暦寺の本堂でひとり膝をついていた。深夜の風が木造の廊下を通り抜け、冷たさが彼の肌に触れるたびに、自らの罪を責める声が耳元に囁くように聞こえた。


目を閉じれば浮かび上がるのは、斬童丸が切り伏せた数多の影。甲賀の忍び、貞光の一党。その瞳に宿った絶望、断末魔の声、そして彼の刀を濡らした鮮血の温もり。それらが胸をえぐり、罪悪感として心を重く押しつぶした。


「俺は……本当に正しいことをしているのか?」


呟きは闇に消える。斬童丸の心には幾度も問いが浮かんだ。父母、一族、友人たちを皆殺しにされ、復讐の炎に駆られてここまできた。だが、己が人を殺した瞬間、彼の中で何かが崩れた。それは、父母から教えられた慈悲の心か。それとも、幼き日の自分が抱いていた理想の武士道か。


「それでも……」


次の瞬間、彼の頭に蘇ったのは、源頼光の顔だった。目の前で大江山の民が次々と切り伏せられ、家族の断末魔を耳にしながら無力だった過去。父が最後に見せた微笑、母が血まみれの手で彼を庇いながら息絶えた瞬間――それらが渦巻き、怒りとなって彼の心を突き動かした。


「許せぬ……!あの男だけは、この手で討たねばならぬ!」


斬童丸は拳を固く握り締め、無意識に刀の柄へと手を伸ばしていた。自身の理性を破るほどの憎しみ。彼の中に残る善の声は、復讐の炎の前で徐々に弱まりつつあった。


夏の盛り、蝉の声が境内にこだまする。遠くの岩場では忍葉が座禅を組み、清らかな水音の中で心を静めている。


「おーい、忍葉!」


斬童丸の元気な声が静寂を破る。修行着姿の彼が、手に木剣を持ち忍葉を呼ぶ。


「そろそろ稽古を頼む!」


忍葉はゆっくりと瞑想を解き、鋭い目つきで斬童丸を見下ろす。その瞳は、何度斬り合っても未だ底が見えない。


「ん……」


忍葉が身軽に岩場を飛び降り、手際よく木剣を受け取る。


「今日こそ参ったと言わせてやる!」


斬童丸が挑発気味に構える。


「まず一本取ってから言え、馬鹿弟子」


忍葉は冷静に返す。


斬童丸の木剣が風を切るが、忍葉の動きは速い。斬童丸が一振りするたびに、彼女は背後に回り込み、ついには軽く後頭部に木剣を当てた。


「何を焦っている?そのままでは甲賀どころか雑兵にも負けるぞ。」


忍葉が斬童丸の肩を軽く叩き、指導を続ける。


「くそっ……本当か?」


斬童丸が問い返すと、忍葉はため息をつきながら肩をすくめた。


「動きは良くなっているがな。それにしても、儂の身にもなれ。毎度殺気を感じさせる修行など御免だ」


斬童丸は頬をかきながら苦笑いを浮かべる。


比叡山の静寂を破るように、数人の影が忍葉の周りに現れる。薄絹をまとった貴族風の少女が一行の中心に立っていた。彼女は高貴な佇まいと共に、不穏な気配を漂わせている。


「忍葉、この人たちは何者だ?」


斬童丸が尋ねる。


「甲賀の追っ手ではない。だが……厄介な連中だ」


忍葉が目を細めて少女を睨む。


「失礼な言い方ね。私たちはただ、あなたたちに協力を願いに来ただけなのに」


少女がにこやかに微笑む。彼女は一歩前に出ると、斬童丸をまっすぐ見据えた。


「貴殿が斬童丸殿ですね?初めまして。私は平将門の血を継ぐ者、『滝姫』と申します」


滝姫は紅に彩られた唇で微笑み、斬童丸の手を軽く取る。


「どうか、私たちとこの国を脅かす朝廷を討ち滅ぼしませんか?」


忍葉は滝姫を冷たく睨みつけた。


「朝廷を討つ?この百年間、一族郎党滅びたとされる平将門の名を借りて、何を企んでいる?」


滝姫は微笑みを崩さないまま言い返す。


「甲賀の忍は口が過ぎますね。けれど、あなたたちにはこの国を変える力がある。特に斬童丸殿、あなたならば……」

「朝廷を……?」


斬童丸は呆気に取られた。


「はい♡」と滝姫は無邪気に笑う。


斬童丸の手を握る滝姫に、忍葉が険しい顔で近づいた。「その手を離せ!」と木剣を振り上げる。


「危ない!忍葉、それを降ろせ!」

「今、降ろしてやる!」


忍葉の木剣が滝姫と斬童丸の手に振り下ろされる寸前――。


「ちっ……鬼蜘蛛」


低い舌打ちの後、滝姫の後ろから現れた巨躯の男が音もなく木剣を受け止めた。

六尺余りの大男、鬼蜘蛛と名乗ったその男の腕は岩のように太く、握り締めた忍葉の木剣を微動だにさせない。その場に漂う緊張感は凍りついたようだった。


「失礼をば。我が主がご無礼を働きまして。彼女、意外と頑固者でしてね」


鬼蜘蛛は穏やかな声で言いながらも、目には鋭い光を宿していた。


「斬童丸殿!」


滝姫は再び声を張り上げ、斬童丸の手を両手で握り直す。


「今や朝廷を牛耳るは藤原家。その武力を象徴する頼光四天王を貴殿が破ったという噂、我らが知らぬはずもありません!斬童丸殿は朝廷に抗う英雄です!」


目を輝かせる滝姫の姿に、斬童丸は少し居心地の悪さを覚えたが、敵としてではなく同志として迎え入れられる感覚に、不思議な安堵感を覚えてもいた。


「こちらこそ、よろしく頼む」


斬童丸が応じると、滝姫は満面の笑みで彼に飛びついた。その姿を見て鬼蜘蛛はため息をつき、静かに頭を下げた。


「では、後日迎えの者を遣わせます。その者に詳しい話を聞いてくださいませ」


そう言い残し、滝姫と鬼蜘蛛は延暦寺を後にした。


滝姫たちが去った後、忍葉は小さな岩の隙間に閉じこもってしまった。


「忍葉、勝手に彼女の手を取ってすまなかった。どうか出てきてくれ」


斬童丸が頭を下げて謝るが、忍葉はそっぽを向いたままだった。


「……ぷいっ」

「忍葉……朝廷にいた頃、彼らと戦ったことがあるのか?」


忍葉は静かに岩の隙間から這い出てきた。「直接の戦はない。ただ、噂は聞いていた。中でも鬼蜘蛛――奴の話は武士の間でも広まっていた。一個中隊を相手にし、誰一人帰らせなかったと」


その言葉を聞き、斬童丸は改めて鬼蜘蛛の底知れぬ力を思い知った。


「忍葉、元朝廷の者だったお前に辛い思いをさせてすまない。何か埋め合わせをする」


忍葉は微笑を浮かべ、「では、儂をおぶれ」と斬童丸の背に乗り込む。


「……そんなことでいいのか?」

「良いのじゃ。それで儂の気が済む」


斬童丸の背中から忍葉の温もりが伝わる。それは、孤独を忘れさせる温かな重みだった。

忍葉は微笑みながら、斬童丸の背中に小さな円を指で描く。「……何でもない」

それぞれの思いを胸に抱えたまま、二人は再び歩き始めた。未来の戦いに備えて――。


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