延暦寺の夕暮れ
灼熱の戦場を駆け抜け、ようやくたどり着いた延暦寺。夕焼けが深い橙色に山の木々を染め上げ、寺の瓦屋根が黄金の光を反射している。血と泥にまみれた斬童丸と忍葉は、疲れた体を引きずりながら山門をくぐった。
「先ずはこの穢れを落とさねばな」
と斬童丸が呟く。
忍葉は、足を引きずりながらもわざと明るい声で答える。
「そうじゃのう。儂も撒菱の痛みを癒したいところじゃ」
その言葉に斬童丸は苦笑する。
「お前も無茶をするな。俺が背負った方が早かっただろうに」
「斬童丸に甘えるのも考えたがのう。それでは忍の誇りが立たぬ」
彼らは互いをからかい合いながら、寺の湯殿へ向かった。そこには澄み切った湯が用意され、二人は久々の平穏を味わう。体を流す湯に浮かぶ血と泥。斬童丸は、その汚れをじっと見つめた。
(俺はこれまで何をしてきたのか。大江山を焼かれ、家族を失い、その復讐に全てを注いできた。そして甲賀の忍びを切り、碓井貞光を討った。それでも心に残るこの曇りは何だ……)
忍葉は湯の中で目を閉じ、師である烈司の言葉を思い出していた。
(あの最後の言葉。儂は果たして、強く生きられるのかのう……)
湯浴みを終えた斬童丸は、延暦寺の主であり恩人である悟真のもとを訪れた。寺の奥の静かな部屋で、悟真は香を焚き、落ち着いた様子で彼を迎えた。
斬童丸は静かに頭を下げた。
「出て行くと申し上げておきながら、すぐに戻ってまいりましたこと、お詫び申し上げます」
それに対し、悟真は微笑んだ。
「戻ってきた理由を聞かせてくれるか」
斬童丸は拳を握りしめる。
「俺は……孤独だと思っていました。家族を失い、生きる意味を見失っていた。だが、今なら分かります。ここが、俺の帰るべき場所だったのだと」
「そうか……そうだったのだな」
その言葉に悟真は目を細め、静かに涙をこぼした。
廊下の陰から、その様子を忍葉がそっと盗み聞いていた。涙を流す悟真と、それを前に真摯に話す斬童丸の姿を目にして、彼女は自分の師であった烈司を思い出していた。
(師匠……儂も、あの時の貴殿に感謝を伝えておれば良かったのかもしれぬのう……)
忍葉はそっと鼻をすすり、部屋を後にした。