#8『どうして?』
「──パパ、ちょっといい?」
高層ビル群が織りなす鮮やかな都心の夜景。そして、スカイツリーの煌びやかなライトアップ。
そんなえも言えぬ景色を一望できるバルコニーで、そんな問いかけが静寂を破った。
リクライニングチェアに腰掛け、ワインを片手に持ちつつ振り向いた男は、ふっと軽く笑う。
「なんだ、菜月か。勿論かまわないが……蒼矢くんはどうしたんだい?」
「そーくんなら、もう寝ちゃった。今日は入団会見もあったし、疲れてたんだと思う」
そう言って、彼女は微笑む。
その笑顔は微かにだが、どこか寂しげだった。
「おいおい、寝たって……。まさか客人をソファーとかで寝かせてる訳じゃないだろうな」
「……身体が資本のプロ野球選手に、そんなことさせる訳ないでしょ? ちゃんと私の部屋のベッドで寝かせてるよ」
「……あ、あー。そうだよな、うん」
「……どーして、そんな気まずい感じなの」
ジト目で父を見つめる菜月。
そんな彼女の目を見て、軽く苦笑しつつ。
「いや、な。なんというか、今の言葉で、さっきの話は本当なんだな……とようやく思えてきてな」
しみじみと、そう言って。
彼女、諸星菜月の父、諸星英一は息をふぅと吐いた。
実娘の菜月については勿論のこと。
そのことは、2人の関係性を昔からそれとなく知っていた彼にとっては、まさに感慨深いことで。
「──まぁ、ようやくそこまで進んでくれたなら良かったよ。いい加減、結婚相手をあてがうふりをするのにも疲れていたんだ」
「あれ、ふりだったんだ……」
そう満足そうに頷く父を見て、彼女は呆れ顔だった。
どうりで、断ればすんなりと破談になっていた訳である。
ただ、ただの当て馬に使われていた者たちについては、なんとも可哀想ではあるが……。
「そりゃなぁ。こっちとしては、そうやって2人をけしかけるつもりだったんだが……」
そして、彼はグラスをゆっくりと口に近づけて。
「──菜月も蒼矢くんも、想像を遥かに超えるヘタレときた。いい加減、強行策が必要じゃないかと母さんと策を講じていたところだったからな。いやー良かった良かった」
「……ねぇ、強行策ってなに?? ママといったい何をするつもりだったの? ねぇ?」
どこか声のトーンを低くして問い詰める娘を受け流して、彼はワインの香りを楽しみつつ、少しだけ口にする。
そんな彼の様子を見て、菜月はため息を吐くのだった。
「もしかして、今回の彼の移籍が転機になったのかな? やはり、環境の変化は人を変えるもn──」
「──そう、それ」
続けて楽しそうに言葉を紡ぐ父を遮って。
菜月は、力強くはっきりと、そんな提起を行う。
「私は、それを聞きたくて、ここに来たの」
いつもとは違う娘の雰囲気に、彼が振り返ると、そこにはいつにもなく真剣な表情の彼女がいて。
「──どうしてそーくんを獲ったの? お父さん」
そんな、単純な問いかけをしてきた。
「どうして、とは?」
そう。短く、単純に。
彼が問い返すと、少しだけ間が空いて。
「そのままの意味だよ。そーくんをトレードで獲得した理由。それはなに?」
「…………なるほど、な」
そう呟いて、彼はグラスをコトンと置いた。
そして、ゆっくりと空を見上げ、目を閉じる。
「最初は、パパとそーくんが同じチームにいるところが見れるんだってすごい嬉しかった。でも、その『意図』を考えてみて……思ったの。まさかパパ、そーくんに救ってあげたとでも──」
「──そんな訳がないだろう」
そう。彼は言った。
はっきりと語気を強めて、そう言い切ったのだ。
その迫力に、菜月は自然とたじろいていた。
「……私はプロだ。それは監督という立場でも何ら変わらない。職務の遂行で、個人的な感情を優先するつもりはない」
「……その言葉、信じていいの?」
微かに声を震わせたその問いかけに対して。
彼は、その顔の緊張を解いて、にっこりと笑った。
「勿論だとも。現役引退後は、監督としてのキャリアでもてっぺんまで登りつめる。それが夢だったんだ」
過去を思い返すように、彼は目を閉じて。
そして、拳をグッと握る。
「──故に、そこに妥協はない。彼の獲得は、そんな私の夢を叶えるために必要だった、ただそれだけの話さ」
そんな彼の結論に。
菜月もまた、目をゆっくりと閉じる。
彼のその夢については、彼女もまた、昔からよく聞かされていたことであった。故に、それが『嘘ではない』ことは、分かった。いや、知っていた。
(……そう、優勝のための戦力増強を考えれば、彼の獲得は必須なんだ。そこにそれ以外の意味なんてない)
再び、ワインを一口飲みつつ。
彼は、下町ブレーブスの監督として人見を獲得するという判断に至った経緯を思い返す。
これは菜月にも本人にも言わなかったが、彼が人見獲得を推すに至った、何よりも重要なポイント。
それは、彼が球界屈指の『過小評価されていた』選手であったことだった。
かつての甲子園のスター。競合ドラフト1位。それでいて、オールドスタッツにおいてはパッとしないキャリア。
少なくとも、そんな表面上の部分だけ見れば『期待外れ』でしかない彼は、球団からもそれほど重要視されていなかった。
故に、人見蒼矢という野球選手は、その『見えにくい』が優秀である能力とは全く見合うことのない、破格の条件でトレードを成立させられる存在だったのだ。
だからこそ。
そんな美味しい相手を、逃すわけにはいかなったのである。
──しかし、話はそれでは終わらない。
彼は「ただ、だ」と付け加えて。
「見込みがある、資質がある、可能性がある。それだけで、プロの世界は必ず成功できるほど甘くはないからな。……そういう意味では、『彼なら出来る』と思いたい自分がいるというのは、否定できないのかもしれない」
そして、彼は振り向いて。
娘の瞳を優しげに見据えて、こう言い切った。
「──それでも、監督して本気で優勝を狙う。そのために補強した。それだけは誓えるよ」
「……だから、安心して旦那は私に預けてくれていいんだぞ」
「──なっ」
真面目な話の中から、突如として飛び出た父の軽口に、思わず菜月が変な声を上げてしまう。
そんな彼女の様子を見て、彼は愉快そうに笑う。
「まぁ、心配な気持ちはよく分かるさ。私も、妻が引退後に芸能界に出るなんて言い出したときには、どの事務所なら問題ないかって、色々探ったこともあったしな」
「……お父さんの場合は、ちょっとやりすぎだったと思うけどね……」
その頃のことを思い出して、菜月はジト目でそう呟く。
確かに、最愛の妻のことを心配するのは当然のことかもしれないが、どこが預けるに相応しい場所なのかを面接して、合格後もしばらく監視しだしてしまうのは、流石に過保護すぎる。
「──まぁ、そうだよね。たとえ、パパの中にどんな意図があったとしても、私はそーくんを信じてあげるだけだし」
「……今の話で、そういう結論になる?」
そんな吹っ切れた純粋な笑顔を浮かべる娘に対しては、かつての球界のスターであり、今もなお伝説的に人気を誇るレジェンド諸星英一と言えども、驚嘆の呟きをせざるを得ないのだった。
「──そうだ。菜月も呑むか? 今日はめでたいこともあったし、パパはもう少しこうしていたい気分なんだが」
「……うーん、別にパパとは飲みたくないかなぁ……って冗談だから!! 子どもみたいに拗ねるのやめて!?」
こうして、夜が更けていくのだった────。
【人見蒼矢 選手名鑑⑧】
《9年目》
昨年キャリアハイを記録し、さらなる昇華を誓ったシーズンだったが、今季は2年ぶりの期待打席未達と悔しい結果に終わった。
打率は過去3年でワーストの.226と低調で、久しぶりの2軍落ちも経験。再昇格後もなかなか調子が上向くことはなかった。
来季はいよいよ10年目。節目の年に、かつてのスターは再び輝きを取り戻せるか。
.226(230-*52) *5本 26打点 *6盗塁 OPS.690
*84試合 二塁打14 三塁打1 四球36 死球0 犠飛1
出塁率.330(267-*88) 長打率.361(230-*83)
IsoD.104 IsoP.135 *9犠打 (277打席)
と言う訳で、いきなり放置してしまっていたこの作品ですが、今後はちゃんと更新していこうと思います。
(すでに次話以降の準備も進めてます。とりあえず、早くシーズンを開幕させたいですね……!)