#6『世話焼きなカノジョ』
「──はぁ、疲れた……」
人見が心の底からのため息を吐く。
あれから、それなりの時間が経っていた。
入団会見も無事に終了し、その後の色々な手続きとかやり取りも終わり、ようやく解散ということになったのだった。
そういう訳で、人見は球団事務所を後にして、エレベーターへ向かおうとして──いると。
「──あ! そーくん、ようやく出てきた!」
「ん? ……って、菜月!!?」
突如として脇の方から聞こえてきた声に、人見は驚愕する。
そこにいたのは、元気で可愛らしい1人の女性だ。ただ、それでいて身長は高く170cm近くほどか。
人見を見つけるや否や、茶色がかったロングな髪を揺らして、小走りで近づいて来るのだった。
「おま、なんでここに……?」
「そーくんってば、『泊まりの仕事』っていうから何かと思ってたら、ニュースでブレイブハーツにトレードっていうんだもん。居てもたってもいられなくて、飛んできちゃった」
そう言って、彼女は「てへっ」と下を出して笑った。
そんな彼女を見て、驚いていた人見も思わず苦笑してしまう。
「でも、なんでその事言ってくれなかったのー?」
「それは……いや、なんせ急な話だったからさ。菜月に話してる時間もなかったし」
首を傾げて、ちょっと不満そうな上目遣いでそう尋ねてくる彼女に対して、瞳は目を逸らして答える。
……だが、本当はそんな理由なんかではない。
単に言えなかったのだ。
悔しくて、恥ずかしかったのだ。
トレードなんて話をしてがっかりされたくなかった。失望されたくなかった。そんなちっぽけで意味のない、ただの意地……いや、悪かったテストの答案を隠す子供のような気持ちだ。
それに、下町ブレイブハーツの新監督のことを考えると、余計に言い出す勇気が出なかった。
「──それで? そーくん昨日の夜はどうしたの」
「……? 普通に錦糸町のホテルに泊まったけど?」
と、先ほどまでののほほんとした雰囲気から一転。
眉間に皺を寄せてジト目で見つめてくる彼女に対し、人見は訳も分からないままにとりあえず返答する。
しかし、そんな返答にも彼女は疑うような目つきのままで。
「……本当に? それっていわゆるお泊まりコースだったり、デ◯ヘル使ってたりしない?」
「いや、普通のビジネスホテルで1人で寝ただけだけど……。なんでそんなに今日は疑い深いんだ?」
「だって、そーくん黙ってたし、しかも錦糸町だし……」
「おい、錦糸町をなんだと思ってるんだよ!?」
今度は人見が少し声を荒げて抗議する。
確かに、昔の錦糸町といえばディープな歓楽街。
そういうイメージがあるのは一般的なことだろう。
しかし、近年では綺麗な街並みへの再開発も進み、そういったイメージも過去のものとなりつつあるのだ。
特にここ最近は、例の下町スタジアムの開業によって、さらにそのような傾向は顕著となっている。
──いや、まぁでも。今でも南口の方なんかは、そういう面がない訳では……あれ、結構あるか……?
と、そんな感じで、強く否定は出来ないのだった⭐︎
因みに、人見はそういうのに関しては、一回も行ったことはなかった。野球選手には、そんな暇はないのだ。
……いや、うん。本当に。
すると今度は、菜月は再びご機嫌そうな表情に戻って。
「ならさ、そーくん。今日は私のお家に泊まろうよ!!」
そんな提案をしてくるのだった────。
──その後については。
特に断る理由もないため、彼女の好意に甘えることにして。
特に深い意味のある訳でもない、たわいない会話をしながら。都道沿いに南下していき、徒歩約20分ほど。
下町スタジアムのすぐ横。大型ショッピングモール『オリナス』に隣接したタワーマンションへと入っていく。
そして一階の共用部分を進み、エレベーターで最上階に。
45階からの景色は、広大な関東平野に所狭しと建てられたコンクリートジャングルを一望できる。
そんな絶景ポイントに、彼女の家はあった。
「──因みに、誰もいないから。安心していいよ」
菜月が、そう言って玄関のドアを開ける。
そこに広がっていたのは、当然というべきか。
非常に広くて綺麗な部屋だ。外を一望できる大きなガラス張りの壁に、高級そうな絨毯やソファなど、まさにタワマン暮らしといった感じの様相である。
「──って、少なくともお父さんがいないのは知ってるか」
「……まぁ、そりゃあな」
彼女のそんな呟きに、人見は少し呆れたように頷く。
……それもそのはず。
なぜなら人見は、彼女のお父さんとは、つい先ほどまで顔を合わせているのだから。
──そう、彼女の名は『諸星 菜月』。
あの伝説の野球選手、諸星英一の娘である。
そして、人見の幼稚園の頃からの幼馴染でもあった。
年齢は彼の1つ下だが、その頃からずっと隣にくっついてきていて、小中高まで同じ学校。高校ではマネージャーとして部活にまでついてくる徹底ぶり。
そして、現在でも尚、彼の横にひっつき続けているのだった。
「お父さん、なんか変なこと言ってこなかった?」
そんな彼女が、そう言って首をちょこんと傾げる。
人見は、その可愛らしい仕草に苦笑して。
「変なことってなんだよ」
「例えば、菜月とはどうなのか……とか」
「──自分で言って、そんな照れるなら言うなよ……」
顔を真っ赤にして俯きながら呟く彼女の様子を見て、人見は少し呆れた表情をして言葉を漏らす。
しかし、そんな様子もすぐに切り替わって。
「そーくんお腹空いたでしょ? 待っててね」
彼女はそう言うと、ささっとキッチンに向かって、テキパキと慣れた手つきで料理を始めた。
「そーくんのため」と言って、管理栄養士の資格を取っただけあって、彼女の料理は美味しくて栄養バランスもとれている。
ここも素直に好意に甘え、料理を人見は待っていると。
ふと、昔からよくあの背中を見つめていたのを思い出した。
「──それで、会見はどうだった?」
「どうって言ってもなぁ……、ただ記者の人に聞かれたことにふつーに答えるだけだし」
「それはそうかもしれないけどさ!!」
菜月が料理を初めてからおよそ20分後。
人見たちは、そんな何気ない会話をしながら、一緒に料理を食べていた。彼女の言う通り、実際お腹はかなり空いていたので、彼はありがたく頂くことにする。
「──そういえば、広島の方のお家はどうするの?」
「まぁ、さっさと売っぱらうよ。若い頃にノリと勢いで買ったヤツだし、あそこじゃあ2人でも狭かったしな。どの道、今後のことを考えてれば……いや、なんでもない」
と、彼女のそんな問いに答えていた人見が、急に話を止めてわざとらしく咳をしたふりをする。
一方の菜月は、そんな彼の様子を見てニヤニヤとして。
「え〜〜、どういうことぉ〜〜?? そーくん、今後のことってなんのこと〜〜???」
「そ、それは……だなぁ……」
さらにニヤニヤとした笑みをを強めながら、ほっぺをつんつんとしてくる彼女にしどろもどろとなりながら。
──人見は、ようやく……『決心』を固める。
昨日、錦糸町に帰って来る前に。
いったん銀座に寄って買ってきた『アレ』を手にかけて。
「──俺も、いい加減に腹を決めないとって思ったからさ」
額に、一筋の汗が流れる。
喉もひどく乾いたように感じて、ゴクっと飲む唾もない。
────そして。
暫しの間の後、人見は懐から『アレ』を取り出して。
「──菜月、結婚しよう…………っっ!!!」
そう、微かに震える声で持っているものを差し出した。
勿論、その『アレ』とは。手のひらサイズほどの箱であり。
開いた箱のその中には、
ダイヤモンドの指輪が、入っているのだった────。
【人見蒼矢 選手名鑑⑦】
《7年目》
昨季の悔しい思いを胸に、今季はオープン戦から活躍を見せ開幕スタメンを掴む。オフシーズンの間増量に取り組んだこともあり、ホームラン数は自己最多・チーム内3位の13本をマークした。しかし、その「副作用」か、打率は低調。不調期にはスタメンを外れることもあり、自身2度目の規定には惜しくも届かなかった。しかし、チームでも2年ぶりとなる生え抜きの二桁本塁打の達成でファンを湧かせた。
[成績]
.235(374-*88) 13本 52打点 *3盗塁 OPS.737
119試合 二塁打21 三塁打1 四球58 死球1 犠飛4
出塁率.336(437-147) 長打率.401(374-149)
IsoD.102 IsoP.166 *3犠打 (440打席)