#2『明日のことは一旦忘れて』
東京都墨田区、錦糸町。
お隣の江東区亀戸と併せて日本の7大副都心の1つであり、都内有数の繁華街である。古くから現代に至るまで、東京23区東部における代表的エリアとして栄えている街だ。
また、近年は再開発も進み、親子連れにも人気のある綺麗な街並みへ変貌を遂げつつあり、その象徴ともいえるのが、錦糸公園跡地周辺に建てられた新球場『下町スタジアム』である。
アメリカの球場を参考にして作られたこのスタジアムは、スカイツリーが見える景観。そして、様々なお店やアミューズメントパークなどが併設された複合型施設を有していることから、プロ野球の開催有無に関わらず、稼働以来人気を博していた。
──そして。
その下町スタジアムを本拠地とする、プロ野球16球団拡張に伴い8年前に新設された球団こそ、下町ブレイブハーツである。
「──それで早速、明日は新チームの監督と顔合わせって訳か。そりゃスピード感のあるこったな」
そして、そんな下町ブレイブハーツのお膝元である錦糸町にて。
2人のプロ野球選手が、とある居酒屋で盃を交わしていた。
その1人は廣中悠佑。
大阪パンサーズの先発ローテの一角であり、過去には最多奪三振を受賞したこともあるリーグ屈指の投手である。
そして、対するもう1人は。
「ほんとにな。入団会見もまとめて明日やるみたいなんだけど、なにを話せばいいんだ……」
「まぁ、でもそのおかげで俺は蒼矢の面を見れた訳だ。今日のとこは、とりあえず飲もうぜ」
──そう、人見蒼矢である。
ブレイブハーツとのトレードを今朝報告され、先ほど新幹線にてこの東京の地にまで来ていたのだった。
「まぁ、そうだよな! 明日のことは明日考えるか!」
そう言って、勢いよく瓶ビールをグラスに注ぐ人見。
様々な大きい苦難や困難が待ち受けている長きプロ野球人生。ときにはこういった切り替えが重要なのだ⭐︎
そうして(半ば現実逃避をするようにして)。
「「乾杯!!」」……と、2人はグラスを打ち鳴らす。
しかし、東京から距離も遠く、異なるチームの人見と廣中。
そんな彼らが、何故この錦糸町にて呑んでいるのかといえば。
「……にしても、オフ最初の帰郷がこんな形になるとはなぁ」
「まだ言うか、と言いたいとこだがそりゃ言いたくもなるよな。ま、今日はタダにしとくからグイっといっちまえよ」
「──おい、お前が勝手に決めるなバカ息子が」
「ごがっ!!? 後ろからいきなりどつくかクソ親父!!」
後頭部を抱えて喚く廣中に対して、親父が意を介さないようにしてガハハと笑う。
──そう。ここは廣中の実家である。
『居酒屋ひろなか』。錦糸町駅からもすぐ近く、昭和の匂いを感じさせるような趣のあるお店だ。
そしてここは、人見にとっても慣れ親しんだ場所だった。
昔から、よくここには友達と共に入り浸って、部屋の隅に置かれたテレビでプロ野球を見ていたことを彼は思い返す。
……ようするに、2人はいわゆる昔馴染みなのだ。
一緒に少年野球を始め、中学でも同じクラブチームに入り、高校ではエース二本柱として地元の公立高校から甲子園優勝を果たし、その後同じ高校の注目選手としてプロ野球界に入った関係であった。
そして、廣中悠佑の父。
廣中悠次は、息子の頭をどついた方とは反対の手に持っていた皿を机にカタッと置いた。
盛り付けられているのは、焼き鳥だ。どうやら酒のつまみを持ってきてくれたらしい。
「蒼矢くん久しぶり。まぁコイツの言う通り支払いなんか気にせず呑んでいいぞ。それに、今日は定休日だから周りの客に気を使う必要もないしな」
「いやいや、流石にそれは悪いですよ……!!」
人見が立ち上がって、全身で遠慮を表現する。
昔はこういった感じでお世話になったこともあったが、流石にこの歳になって甘える訳にはいかないのだ。
「なぁに気にするな。なんたって、今日は下町の象徴ブレイブハーツに、母校業平橋高校の誇りの蒼矢くんの入団が決まった記念日だ。祝わなくてどうする!!」
「……始まったよ。親父のブレイブハーツファン節が」
大声で純粋なる歓喜の声を上げる父親に、その息子が呆れたようにため息をついた。
「ったく、息子のチームを応援しようって気はないのかね」
「いやいや、あるに決まってるじゃないか」
「じゃあパンサーズとブレイブハーツが戦うときはどっt」
「ブレイブハーツに決まってるだろ!!」
「やっぱねーじゃねぇか!!」
そんな廣中家の親子漫才に苦笑しつつ、人見は言われた通りに一杯目をグイッと喉に注ぎ込んだ。
シーズン中は控えるようにしていたアルコールの感覚が、身体中を駆け回った。明日の試合のことを気にせず飲む酒の、なんと美味いことか。
「──あぁ、俺は『生きてる』……!!」
「おっ、蒼矢くん。いい飲みっぷりだな!! どれ、酒飲みなら私も負けてられないな……!!」
「いや、親父は早くキッチンに戻れよ!!?」
【人見蒼矢 選手名鑑③】
《3年目》
シーズンオフに新球種を複数習得するなど、今季のブレイクを誓った3年目右腕だったが、昨季を大きく下回る9登板に終わる悔しいシーズンとなった。しかし持ち前の器用さは健在で、延長戦で代打に使われると絶妙なセーフティバントを決めてその後のサヨナラ勝ちに貢献する場面も。
オフには球団側からの提案もあり、なんと野手に転向へ。戦場をマウンドから変え、4年前の甲子園のスターが来季に臨む。
[投手] 9試合 9 2/3回 4.66 0勝1敗0H
6奪三振 与四球2 与死球0 自責5
[野手] 1.000(1-1) 0本 0打点 0盗塁 OPS2.000