#26『7戦目③ 〜逃げるか勝負か〜』
『──さぁ、5回裏ツーアウト一、二塁。ブレイブハーツにとってはこの試合初の得点圏となったこの場面で、打席には初回にツーランホームランを放った2番の人見が入ります』
「よーし、そーくんに回ってきた……!!」
緊迫した試合展開の中。
中継を流れているテレビの前で、菜月が手を叩く。
「……人見さん、すごい集中してるな」
そして、その隣の俊介もまた、息を呑んだ。
テレビ画面に映る人見の表情は、彼のよく知る近所の優しいお兄ちゃんの姿ではない。
勿論、試合中である以上、当たり前ではあるのだが……、そのような局面においても際立つ顔つきなのであった。
──と、そこでたまらずタイムがかかり、内野陣及び投手コーチがマウンドに集まる。
2回以降ゼロゼロ行進となったこの試合展開においては、ターニングポイントともいえる重要な局面だ。
一旦間を開けるのは当然の判断だろう。
しかも、その上で相手打者は今日ホームランの人見である。
このピンチの場面においては、横浜シャインズというチームにとって一番勝負したくなかった相手であるのは間違いない。
おそらくマウンド上では、どのような戦略をとるのかの話し合いが行われているのだろう。
──だが。
「──塁は埋まってるんだし、ここは勝負だよね?」
「……まぁ、少なくともカウントが悪くなるまではそうなんじゃないかな。いくら人見さんが怖いとはいえ、満塁で曹浩然選手との勝負は避けたいだろうし」
菜月の疑問に、俊介が首肯する。
いくら投手のコントロールが良かろうと、ただ1球の失投が致命傷になりかねないクリーンナップ相手に、押し出しでも負け越しとなる満塁は当然好ましくない。
それに、曹浩然は満塁男としても有名である。
満塁という試行回数の少ない場面における局地的成績はオカルトといえばオカルトなのだが、それでもおっかなさ・不気味さを与えるには十分な事実であろう。
『──さて、シャインズのタイムが終わりましたが、監督が出て来る様子はないようですが……?』
『そうですね。ここはこのまま勝負のようです』
そんな実況・解説の言葉どおり、キャッチャーもマウンドから帰ってきて座り、審判がプレイを宣告する。
やはり、俊介の予測通りの展開となったようだ。
(……マウンドに集まってたときの表情なんかを見る限り、服部選手もここで逃げるのは嫌だと考えていたように思える。まぁ、当然といえば当然なんだけど)
中継画面を見つめながら、俊介はそう考察する。
服部隼人は、誰もが認める横浜シャインズの絶対的エースだ。
本人にも、その肩書きについてプライドがあるだろう。
だからこそ、いくら苦手にしているとはいえ、やはり人見レベルの選手から逃げるというのは、許せないという気持ちは少なからず抱いていてもおかしくはない。
(それに、ここで降りるって選択肢もありえない)
まだ、5回途中で球数は70球ほど。
ここでマウンドから降りる……ということについては、本人も。そしてシャインズ首脳陣も考えてはいないだろう。
(そうなると、ここはやっぱりボール球中心でいって、カウントが悪くなれば申告敬遠……って感じになりそうか)
……と、先ほど菜月に対して答えた、その判断が実際に現場でもなされたのではないかと俊介は結論づけた。
そのようなやり方であれば、痛打を浴びる可能性はかなり低くなる。それでいて、痺れを切らし欲張って手を出した相手打者を打ち取ることのできる可能性も十分にある。
それに、いざノーツー、ノースリーにでもなれば、「カウントが悪いから」と、逃げることへの都合の良い言い訳もできる。
いわば、勝負と逃げの折衷案。
現代プロ野球において、こういった場面ではよく見られる『セオリー』とも言える戦略なのだろう。
──ただし。
(そんな分かりやすいやり方。……当然、人見さんの頭にもある筈だ。それなら…………)
そう、頭の中で呟きながら。
彼は目の前の映像に集中するのだった。
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そして、注目の初球。
バッターボックスの人見は、それを悠々と見送った。
アウトコースに外れており審判の手は上がらない、ボール。
まさに、様子見とも言えるようなボールであった。
(……よし、これでいい。こうやってボール球を続けて、さっきのホームランの感触が忘れられなくて欲張った人見が打ちにきて凡退してくりゃもうけもん、だ)
と、横浜シャインズのキャッチャー山下が、服部に返球しながら方針を再確認する。
……しかし、それでも。目の前でバットを構えているバッター人見の様子が少し気になっていて。
(さっきの初球。コイツ、全く手を出そうという素振りがなかった。やはりこういう風に攻めて来るのは分かってるってことか? ……だとしたら、ボール球を続けても無駄なのか? そもそも、今日打ってるとはいえ所詮2割5分選手なんだ。本当にこの戦略でいいのか……? いや、そうだとしても──)
……と考えながら、サインを出し終えてミットを前に掲げる山下は、気づかない。……そう、気づけなかったのだ。
さっきよりも少し、自身の構えたところがストライゾーン寄りになっていることに。
──そして、その2球目。
アウトコースのフォークボール。
決して甘くはない。なかなか良いところに決まっており、追い込まれていれば決め球にもなるようなボールだ。
…………しかし。
それはギリギリとはいえ、ストライクゾーン付近であった。
「────ふッ!!!」
そんなボールに、人見は思い切り踏み込んで。
パカンッッ!!!
ちょうど手の伸び切るところで、そのフォークを掬い上げるようにして捉えてみせたのだ。
「──な……ッッ!!!!?」
山下は、それを見て反射的に面を取って立ち上がる。
その視界には、レフト線へ高々と上がった飛球があった。
それは、先ほどの打球と比べれば、詰まり気味で打球の勢いは劣る。おそらく、少しバットの先だったのだろう。
…………だが。それでも。
思い切り踏み込んで打ちにいったこともあって、逆方向ライン側への打球としては悪くない角度と打球速度で飛んでいて。
しかも。
(…………思ったよりも、風で伸びてやがるッッ!!)
レフトを守るチーム不動の3番打者一条蓮が、その打球を追いかけながら歯噛みする。
現在、球場付近の風向きは概ね南から北。
つまり、この下町スタジアムの位置関係においては、まさにライト方向への追い風が吹いているのだ。
そんな文字通りの追い風を受けて、人見の打球は一条の感覚どおりに運ばれていって。
「────はっ……?」
服部の口からも、そんな間の抜けた声が漏れ。
ぽーん。
黄色い棒に着弾したボールが、そんな音を鳴らしたのだった。
【人物紹介① 諸星菜月】
野球界のレジェンド諸星英一の長女。人見とは幼なじみで、年齢は1つ下。彼とは幼稚園以前からの付き合いで、小中高までずっと同じ学校。高校では野球部のマネージャーとしてサポート。プロ入り後も家に押しかけて、彼の活躍を陰から支えた根っからの世話焼き系幼なじみ。
天然っ娘と思いきや意外としたたか。ついに結婚を果たした今は、これまでの停滞の鬱憤を晴らすように、人見との『さらなる未来』についていろいろと動いている。
得意なものは彼のために学んだ家事全般だが、諸星英一の血を引くだけあって運動神経も良い。最近は地元の友人から誘われた女子草野球チームに助っ人で参加して活躍しているとか。




