#16『開幕戦⑥ 〜vsレジェンド〜』
(──両投げ、か。俺も現役は長いが初めて見たぞ)
人見の投じた初球に対して、大嶋が一息吐いて気持ちを整える。
右利きである人見による、まさかの左での投球。
そんな衝撃的な出来事は、バッターとして相対する大嶋だけでなく、球場中の人々の困惑を生んでいた。
──ただ。
何故彼が、わざわざ彼が左投げに切り替えたのか。
その理由については、皆が理解していた。
……何故なら──。
(──大嶋さんは左投手が苦手。球界の常識だ)
キャッチャーからの返球を受けとった人見が、マウンドプレートに戻りながらその理由を思い返す。
現役一のレジェンドと言ってもいい大嶋颯斗という選手の最大の弱点。それが、対左の弱さである。
通算OPS.900超えに対して、対左OPSは.750弱。
とくに年齢を重ねたここ数年は左投手にめっぽう弱く、対大嶋として左の中継ぎが投入されるのもよく見られる光景なのだ。
(……本当はツーストライクに追い込んでから、左投げで不意をついたりしたかったんだけどな)
マウンドに足をかけ投球体制に入りつつ、人見は苦笑する。
初見を活かしたやり方を徹底するなら、それがベスト。
……ただ、そういう訳にもいかない事情がある。
何故なら現代プロ野球では、ピッチャーは両投げの場合でも、一人の打者の間に投げる手を変えてはならないからだ。
これは、かつてアメリカで起きた『両投げ投手と両打ち打者が、お互いが有利な側に立とうとして揉めた』という珍事が原因となって制定されたルールだ。
また、両投げの場合、投手は投げない方の手にグラブをはめる必要もあるため、完全な不意打ちも難しい。
──ただ、それでも。
人見が左投げを選んだのには、理由があって。
そして、2球目。
セットポジションに入った人見は、足を前に素早く踏み出す。
(──クイック!!? ……いや、だが──)
そんな彼の突然の行動にも合わせてバッティングフォームに入った大嶋だったが、堂々と見逃す。
そして、審判の手は上がらない。
ボール。人見の投球は、外に僅かに外れていた。
(……くそ、外しちまったか)
人見が、汗を拭いながらボールを受け取る。
大歓声を浴びるチーム一筋のレジェンドから溢れる、打ちそうな雰囲気。少しでも甘いところにいってしまえば、スタンドまで持っていかれると思わされる威圧感。
そういったムードを。人見とて、ひしひしと感じていた。
(──ただ、打たれる訳にはいかねぇんだ!!)
そして、3球目。
人見は、今度はゆっくりと足を上げてから足を踏み出す。
──ただ、その足は大嶋に向かうようにクロスして踏み出され、ボールを握った左腕は地面を這うようにして振るわれた。
(……なっ、その投げ方────ッ)
いわゆるアンダースロー。……そんな、彼のこれまでとは全く違う投げ方に、大嶋は多少の動揺を見せる。
──しかし。
パァン!!!!
まるでなにかの破裂音のような凄まじい音が響く。
大嶋が、体の側から入ってくるストレートを捉えたのだ。
打球は凄まじい速度でグングンと伸びていく。
「──ファウル!!」
しかし、僅かにポールの外。
一塁審判が両手をあげてファウルの判定を行う。
(まさか、『あの投げ方』で来るとはな……面白い)
球場がギリギリの判定に沸く中、当の大嶋はそれを特段気にすることはなく、人見に目を向けてニヤリと笑う。
(まぁ、こんなちょっとした小手先の技で打ち取れるほど、大嶋さんは甘くはないよな……!)
そして、彼に見られた人見もまた、汗を拭いながら笑う。
先ほどの3球目に、人見が行ったアンダースローの投げ方。
それは、大嶋が現在の球界において最も苦手としているリリーフ。名古屋リザーズ、一ノ瀬のフォームだ。
なんと昨年の対戦成績は、脅威の12打数0安打。終盤のチャンスの場面で継投が行われ、ことごとく打ち取られていた。
だからこそ、人見はそのフォームを真似たのである。
そして、4球目も再び同じフォームで投じるも。
低めのボールに審判の手は上がらない。
これでツーストライクツーボール。
(ここまでは全てストレート。これだけ投げられているとはいえ逆投げ。変化球は投げられないのか、それとも隠しているのか)
一旦バッターボックスから外れた大嶋は、バットを使って伸びる運動をしながら次のボールについて考える。
(……ただ、いずれにしても、人見くんは既に切り札を見せてくれた。恐れることはない。ただ打つだけだ)
最終的に大嶋はそう結論付けて、再びバットを構える。
それを受けて、人見が投球フォームに入る。
(…………いや、これは……?)
そこで、大嶋の頭に疑問が浮かぶ。
何故かといえば、人見の5球目の投げ方は、これまで見せてきた通常のフォームとも、『大嶋キラー』一ノ瀬のフォームとも違うものだったのだ。
右足を一歩引いてから投球動作に入る、ノーワインドアップ。
一度派手に大きく足を上げ、その後少しだけ再び上げてから前に踏み出す二段モーション。
それは、どこかで見たことのあるフォームで。
(──最後は、アイツに教わった投げ方でキメる!!)
「オラアァッッッ!!!!」
人見が大きな声をあげて、力強くリリースする。
そして、そのボールは。
──グインッッッ!!!
……と、ジャイロ回転で大きく斜めに曲がり始め。
「──ストライク!! バッターアウト!!」
大嶋のバットの、空を切らせていた。
ストライクから低めのボールになる大きな変化。
「──しゃあッッ!!!」
(──スライダー!? 左でも投げられたのか!!?)
人見が雄叫びを上げる中、三振の大嶋は驚愕する。
左投げで130キロ超えのストレートを投げられるだけでなく、あれだけのスライダーを投げられるというのか。
……そこで、彼ははっとして。
(いや、今のフォーム。そしてあの大きく曲がるスライダー。彼が参考にしたフォームは、まさか……)
「──蒼矢兄さん、ナイスピッチングです!!」
初回を三者凡退で切り抜け、ベンチに帰っていく瞳に対して、後ろからショートの諸星一輝が、背中を叩いて声をかける。
まさに笑顔も笑顔。テンションも高くて興奮気味だ。
「もしかして、最後の投げ方って悠佑さんの投げ方ですか!?」
「……あぁ、この前左での投げ方について指導してもらってな。それと、アイツのスライダーも」
そんな一輝の疑問に対し、人見は頷いて答える。
左の一流投手、廣中悠佑直伝のスライダー。これが、対大嶋における『最後の切り札』であった。
「いやーほんと、とてもブランクある人間のピッチングとは思えないですよ。もう投手再転向も余裕なんじゃ──」
「いや、それは違うな」
……ただ。笑顔満点、興奮して話し続ける一輝の言葉を、人見はあっさりと否定する。
「俺がこうやって抑えられたのは、結局のところ初見ボーナスだ。小手先の技もそうだし、球種についてもそう。見慣れられたり、ちょっとでも研究されたら、たぶん普通に打たれる」
そう淡々と語りながら。
ゆっくりとベンチに帰って、グラブを丁寧に置いてから座った人見は、「ただ」と区切って。
「──それでも。そんな俺でも。やれる間は、勿論ギリギリまでやらせてもらうけどな」
そう言って、彼は得意げに笑ってみせるのだった──。
【大嶋颯斗 選手名鑑】
《19年目》
東京山手スターズ一筋のフランチャイズプレイヤー。2000本安打400本塁打も達成しており、これまで何度も名門スターズの優勝に貢献してきた、まさにレジェンド。衰えを感じさせない打撃を見せる天才も、来季は節目となる20年目。目指すは2年連続の優勝だ。
[野手成績]
.298(503-150) 27本 100打点 0盗塁 OPS.910
143試合 二塁打26 三塁打0 四球84 死球2 犠飛3
出塁率.399(592-236) 長打率.511(503-257)
IsoD.101 IsoP.213 0犠打 (583打席)