#10『器用貧乏』
『次のニュースです。2月も終わりを迎え、各球団の春季キャンプ日程が終了する中、下町ブレイブハーツの諸星新監督がキャンプの総括について会見を行います』
「ん、パパだ」
ぼーっと実家でテレビを見ていた菜月が、たまたま映った家族の姿に、テレビのチャンネル回しを止める。
どうやら、春季キャンプの総括についての会見が行われるようだ。しかも、その様子が生中継で地上波放送までされるらしい。
下町ブレイブハーツは以前より、プロ野球16球団拡張で生まれた新しい4チームの中でも1番人気のチームではあったが、今季から球界一の人気を誇る諸星英一が新監督になったことで、世間での注目度はかなり高まっているのだった。
『──監督、まずは秋季キャンプの総括についてコメントを』
『そうですね。まだ調整段階ですからなんとも言えないところではありますけど、皆非常に気合いが入っていたな、と』
そうして、すぐに会見が始まった。
流石に記者慣れしているようで、コメントも冷静だ。
『チーム内ではレギュラー獲得、そして球界では優勝争い。そんな一人一人の思いが感じられました』
感慨深そうに頷いて、諸星は回答を締めくくる。
──そうして。
諸星監督の会見はつつがなく進んでいき、最後の記者からの質問へと移っていた。
彼はコホンと咳をすると、マイクを差し向けて問いかける。
『──私からお聞きしたいのは、少し早いかとは思いますが、開幕投手についてです。監督、ご自身の初陣には、どの選手を先発に選ぶ予定なのでしょうか?』
『……開幕投手、ですか』
すると、珍しく諸星が少し言い淀むようにしてそう反芻した。
少し周りを見渡した後、再び正面へ顔を向けて口を開く。
『実は、今日はその話もしたかったんですよね』
おお、と記者のどよめきが広がる。
諸星新監督の初陣における開幕投手。
それは、かなりの注目を集める話題となるだろう。
故に、その場にいる全ての記者が、そのカミングアウトを待ち、固唾を飲んで耳を澄ませる。
『そう、今季のブレイブハーツの開幕投手は──』
そんな周りの様子を見て、諸星は少しニヤリと笑うと。
じっくりと、溜めて。
こう、高らかに宣言した。
『──人見。彼でいきます』
…………静寂。
会場に広がったのは、まさにそのような世界だった。
──そして。
暫くの間が空いて。ようやく。
『『『『『え?』』』』』
記者達の、そんな困惑の声が揃ったのだった。
「…………えっ?」
そして、菜月も同じ呟きを口にしているのだった。
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『という訳で、下町ブレイブハーツの諸星監督は野手の人見を開幕投手に指名したようですが……」
『──喝だ!! いくらなんでもふざけすぎですよ。現役の頃持て囃されすぎて勘違いしてるんじゃないかね? 監督としては最悪だ! しかも──」
球場の更衣室に設置されているテレビでは、日曜朝のニュース番組のコメンテーターが怒りを露わにしていた。
手に持っているスマホの画面では、この前の諸星監督の会見における某発言についての話題がSNSをいまだに賑わかせている。
「──はははは!! こりゃあ人見、もしかして競合ドラ1でプロ入りしたとき以来の話題ぶりなんじゃないか!! どのメディアでも例の話題で持ちきりだぞ!!」
そんな世間の様子にずっとこんな調子で大爆笑なのが、人見の幼馴染の1人で、今季からFAで下町ブレイブハーツに移籍してきた廣中である。
今もなお、椅子に座って新聞を読みながら涙を流すくらい笑っているのだった。
「どれどれ……、『贔屓起用』『諸星は日本球界を舐めている』『開幕投手には格というものがあるだろう』……うわぁ、新聞でもすごい叩かれようですね」
そして、そんな廣中の傍から新聞に目を通して苦笑しているのは、話題の渦中にある諸星監督の息子である諸星一輝だ。
「まぁ、これに関しちゃあこういう反応がむしろ正常だろ。普通に考えたら、開幕投手はこの廣中悠佑だからな!!」
「……なんかムカつくので否定したいんですけど、成績的には妥当なところではあるのでなんとも言えないですね」
「だろ? ……っておい一輝、いまムカつくって言ったか?」
「いや、気のせいじゃないですかね」
廣中の非難の目に背中を向けて、白々しく一輝が口笛を吹く。
なんだか不仲のようにさえ思えるが、この2人に関しては、昔からこんな感じである。ある意味お互いに信頼があり、ただの正常運転なのだった。
「──にしても。蒼矢のやつ、なんか意外と冷静だよな。これだけ世間で騒がれてんのにさ」
「ですね。全然気にしてなさそうというか……」
「……ん、今呼んだか?」
彼に目を向けつつこそこそ話している2人に気がついた人見が、イヤホンを外して問いかける。
そんな彼に、廣中と一輝は少し気まずそうにしつつ、2人で話していたことを伝えた。
すると、人見はあっけらかんと笑って。
「あー、そのことね。うん。まぁ確かにそう思うよな、うん。普通は、うん、ね」
わざとらしいくらいに何度もウンウン頷いて。
彼は、今度は見開いた真っ直ぐな瞳を向けて、2人に語る。
「──ただ、な。俺はもう吹っ切れてんだ。この世界でやってくためなら、そんな『器用貧乏』でいいんだよ。むしろそれを活かして、野手登板だろうが、ポジションたらい回しだろうが、せっこい小技だろうが、なんだってやってやるってんだ」
ドヤっと得意げに笑う人見に対して、2人は目を見合わせて。
「……なんだアイツ、諸星監督に洗脳でもされたのか?」
「蒼矢兄さん。前は『器用貧乏』って言われてるの、かなり気にしてましたよね……?」
そんな会話を、こそこそと交わす。
確かに、以前から人見のことを見ていた彼らとしては、心配してしまうくらいの変わりようなのだった。
──ただ、人見がそのように完全に吹っ切れたことについては、諸星英一の影響が全て……という訳ではない。
もうなりふり構っていられない。試合に出られるのならば、別に『器用貧乏』でいいんだ……というのは、昨年のシーズンオフの時点で、既に心に決めていたのだ。
……まぁ、その固まった決意は、直後のトレードの連絡で有耶無耶になっていたのだったが。
「──にしても、監督のあの発言は本気なのかね」
「……まぁ、個人的には蒼矢兄さんのマウンド姿をまた見られるのは嬉しいですけど、いくらなんでも開幕投手ってのは……ちょっと早まった感は……」
そう呟いてから、一輝はため息をつく。
スマホでに映るネット上では、「ふざけてる」「目立たればなんでもいいのか」のような単純な批判だけではなく、諸星監督の娘が人見と愛仲であるという噂から「贔屓起用なんじゃないのか」という家族を絡めた批判すら出ていた。
勿論、そこまで過激なのは一部だけだが、それでも、流石に彼の判断を疑問視する声の方が圧倒的に大きいのが現実だ。
「──ふっふっふっ。そんなモノ、『勝つため』意外に何があるというんだ」
するとそこで、先ほどの調子そのまま、なんだかキャラが変わってしまったかのような口調で、人見が2人の会話を遮った。
そんか彼の言葉に、廣中は少し呆れたようにして。
「──そうか、『勝つため』か。なるほどね。……それで、抑える自信はあるのか?」
……と問い返すと、人見はニヤリとして意味深に笑って。
「──あるぜ」
「……本気か? 俺すら投げたことねぇ開幕戦だぞ。大差での野手登板とかとは訳が違うんだが」
「……まぁ見とけって。今季の開幕戦で、俺が吹っ切れたところをみんなに見せてやるよ」
──そうして。
人見はどこか自信ありげに、そう言ってのけるのだった。
【廣中悠佑 選手名鑑①】
《9年目》
昨季、最多奪三振のタイトルを獲った最速159km/hの速球派左腕。今季は「投手四冠」を目標にしていたが、怪我による離脱の影響もあり、6年ぶりの規定投球回未達となった。
しかし、持ち前のタフさは相変わらず。9月の復帰後には、早速シーズンとCSでフル回転の活躍を見せた。
オフにはFA権を行使し、地元球団の下町ブレイブハーツに移籍。かつての相棒人見との再会も果たし、来季の活躍を誓う。
[投手成績]
12登板 76回 3.20 5勝5敗 2完投 1完封
83奪三振 与四球25 与死球2 被安打63 自責27
K/9 9.83 BB/9 2.96 K/BB 3.32 被打率.216 WHIP1.16