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微妙な文学論

作者: 石川 瑠佳

 明治、大正、昭和初期の文学と、今の文学。何が、違うのか?


 私は、まあまあライトなとこしか知らんけど。


 やっぱ、天皇制の違いがあるのかな?


 はぁっ、私ごときがこの辺り触れると危険なんだけど。


 なんか、今は、民主主義でルンルンッで中毒って感じだよねぇ。

 つまり、馬鹿が調子にのって、なんでもアリにしようとして、その毒が回っている。

 政治は、おもちゃじゃないってことだよね。


 昔は、国で文学の内容を取り締まっていた。つまり、国の具体的悪を取りあげれば、発禁処分をくだされた。

 だから、個人の周辺を表現した。恋の罪や、気持ち悪い思考、そして、気持ち悪い思考の実行の結果とか。

 まぁ、こんな人、いたら新聞に載るぐらい、いないだろうけど。立場的弱者をせめるのが、戦前までのたくさんの文学だろうけど。


 政治が国民の手に握られるようになったら、権力握った馬鹿の暴走をとめる文学かな?

 いや、とめるっていうのは、実際とめるまでいかなくても、疑問をもつとか、結構曖昧な表現であったりするけど。


 勧善懲悪って、だけじゃ描けられない世界もあるだろうし。少年漫画や水戸黄門とかは、しっかり悪を描いてたりするけどね。


 悪だって、別の方向向けば、結構いいことしてるかもしれないしね。


 結局、強い者の馬鹿なところをせめる訳なんだけど。なんか、表現がいきづまっている感じがするよね。


 それは、表現を歪めているというのも理由にあるのかな?

 強い者はルンルンでしょうよ。

 弱い者が下を向いて、過ちを犯す。ドンドン、それが酷くなって…。

 まぁ、考えてみれば、人は平等なはずなのに、強い者と弱い者がいるっていうのがおかしいよね。

 現実は、強い立場の者が過ちを犯すことが結構、ある。

 つまり、強い者にも、弱い部分があるってことだよね?だから、弱いとこを隠すため、酷いことをしてしまう。


 人間は、ただ強いだけの人も、ただ弱いだけの人もいない訳だ!


 と、いうことは、強いと弱いをもつ人間を両方書けばいいということになる。


 まぁ、昔っからそれは、書かれているんだけど。ヒーローのピンチと悪の敗北。強い、弱い、書いている。


 で、私の理論だと皆、強さ弱さは違うけど。平均して、強さは一緒ってことになるんだよね。


 強さは一緒の者たちが動き回る。取り敢えず、これを書くべきじゃないかと思っている。


 結局は、適材適所にいくことになって。そっから、活躍するとこを盛り上げて書けたらいいなと思う訳で。


 ただ、活躍もね?方向、間違えたら、迷惑だからね!割とソフトな激しさが、最初は必要だと思うね!!



                 終

悪の、美学。駄目なとこがあるけど良い点ももっているってことか……。

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