第5章 意外な結末
最終章となります。
そしてとうとう卒業式の朝。
寮の玄関ホールで、マリアンと私は目を見開いて棒立ちになった。
なぜならそこに、フロックコート姿のケイン様と一緒に、スーツの制服姿のヒューリーが立っていたからだ。
まさか、ヒューリーもこの女子寮の誰かをエスコートするつもりなの?
ショックで頭が真っ白になり、私はふらついてしまった。するとそんな私を、慌てて走ってきたヒューリーが支えてくれた。
「大丈夫か、キティ。貧血か?」
キティ?
また愛称で呼んでくれるの?
婚約を解消してからはずっとキャスティー嬢と呼んでいたのに?
思わず涙が溢れてきて、頬を伝った。するとヒューリーが胸ポケットから身覚えあるハンカチを取り出して、その涙を拭ってくれた。
「そのハンカチをまだ持っていたの?」
私が思わずそう訊ねると、ヒューリーはニカッと笑って言った。
「当たり前だろう。大切な婚約者が贈ってくれた、お気に入りのハンカチなんだから。番のカワセミの刺繍が刺してあるのなんて、そんじょそこらでは手に入らないぞ」
「元婚約者が贈ったハンカチなんて捨てて、新しいパートナーからもらったハンカチを持ち歩いた方がいいわ。お相手に嫌な思いをさせるじゃないの」
するとヒューリーはキョトンとして後ろを振り向いて、一つ年上の幼なじみにこう訊ねた。
「なあケイン、女性ってさ、昔の自分にも嫉妬するものなのか?」
「まあ、稀にそんなこともあるんじゃないかな。若いときの自分に嫉妬するってことも。
でもまあ、キティの年ではまだ当てはまらないと思うけど。だって今のキテイがこれまでの中で一番綺麗で輝いているからね」
「ケイン様!」
「ああ、誤解するなよ、マリアン。僕にとっての一番綺麗な女性は、いつだって君だから」
「ケイン様ったら、こんなところで何を言っているの!」
「照れちゃって、本当にかわいいね、僕の婚約者は!」
ケイン様のこの言葉に、マリアンではなく周りのご令嬢の中からいくつもの悲鳴が上がった。
「相変わらずだな、ケインは。近ごろはようやく落ち着いてきたと思っていたのに」
「愛する恋人の前ではしゃぐのは当然だろう」
「はいはい、そうですね。それでは僕も親友に負けないように、愛する人に告白します。
キャスティー嬢、幼いころからあなただけを一筋に愛してきました。
どうか僕の妻になってください。そして世界中を一緒に旅をしてください。
僕は鳥を観察し、あなたは魔物を倒しながら。きっと自由で楽しい夫婦旅になること間違いなしです」
ヒューリーが私の体から手を離すと、今度は私の前で跪きながらこう言った。
周りのご令嬢達からは、再びいくつもの悲鳴が上がった。
そして私は何がなんだかわからずに硬直した。プロポーズ? 私に? 十か月前に婚約解消をしたというのに?
「あなたと私の婚約は解消になったでしょう? それなのになぜ今ごろになってそんなことを言うの?」
「あれはメイヤール伯爵家とギルメン伯爵家の間で結ばれた婚約を解消したんだ。
今僕は平民のヒューリー個人として平民のキャスティーにプロポーズしている。告白するのにこんなに時間がかかってごめん。
君は今日メイヤール家を出て平民になるんだろう? 僕も平民の君と結婚すれば平民になる。それでも二人で暮らしていけるように色々と準備が必要だったんだ」
「あなたは平民になっても私をお嫁さんにしてくれるというの?」
「ああ、もちろん。(ただし、そのうち叙爵されるとは思うけど。世界的な科学賞の受賞が決まったからね)
愛してるよ、キティ」
「私もあなたを愛してる。いつも私を守ってくれていたヒューリーを。ずっとずっと昔から」
私はそう言うと、膝を床につけたままの状態のヒューリーに抱きついた。カワセミと同じ色鮮やかな青いドレスの裾が汚れるのも気にせずに。
その後、卒業式の開始が予定より少し遅れた。女子学生寮の玄関ホールでなぜかカワセミの番がいちゃついていて、多くの卒業生がその美しさに思わず見とれてしまったからだという逸話が、その後長く語られることになるとは、当時の私達が知る由もなかった。
ちなみにヒューリーの髪の色はカワセミの羽のような鮮やかな青色で、私の髪はこれまたカワセミのお腹のような鮮やかなオレンジ色だった……
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卒業から半年後、私とヒューリーは、マリアンとケイン様のカップルと合同結婚式を挙げた。
そしてマリアン達より一足早く夫婦旅に出かけることになった。そう、夫となったヒューリーがプロポーズのときに言った言葉通りに。
「それじゃあ、半年後にあの湖で落ち合いましょう」
私達夫婦は、親友夫婦に手を振りながらそう声をかけた。彼らも数日後に夫婦旅に出かけるのだ。まあ名目上マリアンはコンサートツアー、ケイン様はそれに同行して各地でスケッチをするためだったけれど。
そして半年後に、私達はあの思い出の地であるバイトン侯爵領にある湖で合流する予定なのだ。またカワセミの番を見ることができたら嬉しいのだけれど。
ワクワクした気持ちで馬車に揺られてい私だったが、ふと、今までずっと疑問に思っていたことを夫に訊ねた。
「ねぇ、なぜあんなにも膨大な慰謝料を請求したの? どうせまた私と婚約するつもりだったのなら」
「あのお金は君と、君の母上が受け取るべき慰謝料だよ。それを君達の代理で要求しただけさ。
それにまあ、こうして君とゆっくり旅をしたいと思っていたから、その費用に当てたくてね。
だって、気ままな旅には先立つものが必要になるだろう?」
「案外ちゃっかりしてるのね。でも本当はその慰謝料の半分をメイヤール伯爵領の領民に還元してくれたのでしょう? ありがとう」
「礼なんていらないよ。本来なら僕達の領民になるはずだった人々が苦しむ姿なんて、僕が見たくなかっただけだからね。
領主とは領民のために存在する。それなのにそれを理解していない者達に居座られたら困るだろう?
だから彼らを早く追い詰めて追い払うために、できるだけ多く慰謝料を請求したんだ。
でもそのせいで領民の生活をこれ以上困窮させたら本末転倒だろう? だから救済措置が取れるようにそちらに慰謝料を回したんだ」
ヒューリーは鳥の研究だけをしているのかと思っていた。しかし、実際は次期伯爵家の婿となるために私同様に、学園に入学する前から経済学や経営学、商学、農学などについても学んでくれていたのだ。
しかもそれは嫌々義務感でしていたのではなく、私とともに歩むためだったのだという。
それなのに彼のその血の滲むような努力を、元メイヤール伯爵はいとも簡単に切り捨てたのだ。
そして、次の当主が私ではなく生まれて間もない弟に変更になることを知ったとき、長い間当主に代わってその仕事をし続けてきたメイヤール伯爵家の家令は絶望したのだという。
ヒューリーと私が当主になればきっと領民も救われる。それまでは頑張ろうと必死に耐えて仕えてきた。それなのにその未来が消えてしまったからだ。
このままでは領民の生活はもっと苦しくなるだろう。今でさえ領主一家の散財のせいで高い税を搾取されて、皆困窮しているというのに。
ではどうすればいいか。彼は稀代の秀才だと評判の、本来ならば己の主になるはずだったヒューリーに相談しに行ったのだという。
お門違いの図々しい行為だと知りながらも。
するとヒューリーは嫌な顔一つせずにその相談に乗ってくれた。そして淡々とこう提案したそうだ。
「領民のことを全く考えない領主ならいらないよね。大丈夫。領主がいなくなっても国の直轄地になるだけだから、ちゃんと領地運営をしてもらえるし、そのうち国が相応しい領主を新たに見つけてくれる。だから心配ないよ。
それにあなたの働きは帳簿を見ればわかることだから、実際の運営はこれまで通りあなたに任されるだろう。大変だと思うが引き続きあなたに頑張ってもらいたい。領民のために」
それを聞いた家令は瞠目した。そしてこう言ったらしい。
「私はあのろくでなしの当主に全ての仕事を丸投げされて、それに手一杯で、辛い思いをされていたお嬢様をお助けできませんでした。
そんな私がこんな望みを持つことは許されないと重々承知していますが、できることなら、私はあなたに新しい当主になっていただきたいのです。キャスティーお嬢様とともに」
項垂れてそう呟いた家令に向かってヒューリーはこう応じたという。
「ずいぶんと先の話になるとは思うが、いずれあなたの願いは叶えられると思うよ。だからそれまで是非頑張って欲しい。それが彼女への罪滅ぼしになるのだから」
と。
そしてヒューリーは家令と共に、私の廃嫡が言い渡される前から、当主の追放に向けた計画を練り上げて、着々とそれを進めていたらしい。
その第一歩が私の廃嫡とヒューリーとの婚約解消だったという。そしてその直後に家令が辞職すること。
メイヤール伯爵家を一手に任されていた家令がいなくなれば、ギルメン伯爵家からの高額な慰謝料の請求に、当主が対応できるはずがないとわかっていたからだ。もちろん本来もっとも大切な領地運営に関する事柄も。
そう時間がかからずにメイヤール伯爵家が没落することは明らかだった。これまで一族の忠告を無視して好き勝手をしてきた彼らに、手を差し伸べる者などいるはずがなかったのだから。
でもどうしてそれを私には教えてくれなかったのかと、少し恨めしくなって詰ると、ヒューリーは相変わらず飄々とした顔で、君のそういうところのせいだよ、と言われてしまった。
「学園に入学したころから、キティって割とすぐに感情を表に出すようになっていたじゃないか。
婚約解消されて悲しいはずなのに、平気、いやむしろ幸せそうにしていたら、婚約解消は偽装で本当はまだ陰で付き合っているんじゃないかと思われてしまうだろ?
そうなったら慰謝料はいらなかったんじゃないかと返還要求される可能性が出てくる。そうなったら計画が頓挫してしまうだろう?」
そう言われてぐうの音も出なかった。
私が以前から提出していたメイヤール伯爵家からの離籍届は、卒業式の日に受理される手はずになっていた。それに気付いていたヒューリーも同じ日付けに届けを提出できるように手はずしていたらしい。
平民になってしまえばギルメン伯爵家やバイトン侯爵家に迷惑はかからない。だから彼はあの日まで私と接触しないようにしていたらしい。
そしてつい先月、元父親は早々と伯爵位と領地を国に返上し、唯一残ったかつて祖父が住んでいた別宅へ引っ越して行った。
領地は国の直轄地となった。そのうち新たな功績を上げて叙爵される貴族に払い下げられることになるだろう。
それが誰なのか、私には薄々想像ができた。
一年前発表した研究で、夫は国際的にかなり権威のある科学賞を受賞した。なんでもそれが、我が国初の受賞らしい。
そのために夫は各国の研究機関から高待遇で招聘されたそうだ。
それに気付いた我が国の上層部は非常に慌てたそうだ。そんな優秀な学者を容易く他国に奪われては大変だと。そして必死に彼を引き留めにかかったようだ。
そして彼が叙爵と領地を求めてもいないのに、色々と提案をしてきたらしい。
だから彼はそれに加えてさらに条件を二つ出して、それが可能なら受諾すると答えたそうだ。
自分とこれから妻になる女性に二年間の自由時間を与えること。そしてその間に適切な労働環境を整えておくこと。
それができていなければ断ると。
騎士団に勧誘されたとき、私は職場環境の改善と、二年間の猶予を要求した。しかし正直な話、その願望が通るなんて微塵も思っていなかった。だからこそ意外な展開に驚いたのだ。そして、忌々しそうな騎士団長の顔をしみじみと見つめてしまったのだ。
あれはすでにヒューリーが後ろで手を回していたからだったのね。
大体気楽な自由旅だとヒューリーは言っているけれど、私はちゃんと知っている。この旅行が本当は科学アカデミーの正式な依頼だってことに。
夫は世界中を回って生態系の調査をする予定なのだ。しかも私は単なる同行者ではなく、魔物の研究者としての随行であり、夫の護衛までするという貴重なパートナーなのだと主張して、三人分の手当を要求してそれを容認させたということも。
私の愛する夫はちゃっかりどころか、かなり抜け目がない逞しい人間だった。
世事に疎い鳥オタクかと思っていたら実は全く違っていたのだ。
そもそもヒューリーは人間を含めた生物全体に興味を持っていたらしい。それがたまたまあの湖でカワセミに夢中になっていた私を見たせいで、とりあえず私のために学園では鳥類を中心に研究してみようかな、と思っただけだったらしい。
私はただカワセミの求愛行動に関心があっただけなのに。
ずっとずっと好きだったヒューリーは奥が深過ぎる。次々と意外な一面を私だけに見せてくれる。きっとこれからもそうなのだろう。
私達の二人旅はこれからもずっと続いていく。もちろん途中で可愛い同伴者が増えていくかもしれない。
そしてどんなときでも彼と一緒なら、きっと毎日が新鮮でワクワクするのだろう。そんな気がする私だった。
ー 完結 ー
読んでくださってありがとうございました!