第2章 魔力欠乏症
私の父親であるメイヤール伯爵マルティンは、魔力が多いという理由だけで好きでもなんでもない男爵令嬢だった母リリヤと政略結婚をさせられた。まあ、母だって同じだっただろうけれど。
魔力がゼロというだけで出世街道に乗れなかったと、いつも酒を飲んでは愚痴っていた祖父が、孫の世に期待して父と魔術師だった母との縁談を決めたのだ。
人気と実力のある魔術師だった母がなぜその話を受けたかというと、やはり実家の借金返済のためというお決まりのパターンだった。
物心ついたときには、すでに父は私に冷たかった。母がいるときはただ無視していただけだったが、いないときはいつも罵詈雑言の嵐だった。
「魔力持ちの子供が欲しかったから格下で貧乏人の家から、いやいや嫁をもらった。それなのに、生まれたのが魔力ゼロの子供ではまったく意味がないじゃないか。
しかも私に少しも似ていない可愛くもない娘。職場で浮気でもしてできた子なんじゃないのか?」
それでも母が生きていたころはまだよかった。一応娘として伯爵令嬢として扱ってもらえたから。
母は王城に勤める魔術師だったから、伯爵とはいえ、ただのヒラ文官だった父は母に頭が上がらなかったのだ。別に母は偉そうにしていたわけではなかったが、魔物を指一本で簡単に倒せるという噂の母を恐れていたのだろう。
だから私が八歳のときに母が流行り病で亡くなると、もう誰にも気兼ねすることはないとばかりに虐待を始めた。
服で覆われている部分はいつも青痣だらけだった。そして食事は度々抜かれ、部屋はメイド部屋に移された。
母の喪が明けると父はすぐに再婚した。相手はモント子爵の未亡人のカリーナで、私と同じ年の娘のセリナがいた。まだ幼いセリナでは後は継げないと、子爵の弟が後継者となったらしい。
どうやら父とカリーナは元々恋人同士だったらしい。それが祖父によって引き裂かれたのだという。
つまり、二人にとって私は共通の憎むべき人間だったのだ。
それ故に私は完全にこの家の娘ではなくなり、下女となった。主夫妻の扱いを見て使用人達も私を見下すようになったからだ。
彼らは浴槽やご不浄の掃除、洗濯、皿洗い、水汲みと、自分達のしたくない仕事をみな私に命じた。逆らうと僅かな食事をさらに減らされるので、仕方なくそれに従った。
痩せこけてボロの服を着ている私を見て、二月遅い生まれのために義妹となったセリナがいつも馬鹿にしてきた。
これ見よがしに可愛らしいドレスを着て、まだ子供だというのにアクセサリーまで身に着けて。
「あなたのお母様ってやっぱり男爵令嬢ね。ろくにアクセサリーを持っていなくて。
なんなのその首に掛けているみっともないペンダントは。
情けないわね。貧乏だから宝箱に憧れてそんなデザインの石をつけたのかしら」
貧しい家の生まれだった母は、学園を卒業してすぐに持参金なしで嫁いできた。当然荷物もトランク一つ。ろくなドレスなど持っていなかったし、アクセサリーもなかった。
結婚してからも、父から贈り物をされたことはなかったから、自分が働いて得た収入で必要最低限のドレスを仕立て、アクセサリーを購入していたらしい。
つまり母の持ち物の所有者は、母の亡き後は全て私の物になるはずだったが、そのほとんどが父に取り上げられ、義母と義妹の手に渡ってしまった。安っぽいというのなら、母の形見なのだから返して欲しかった。
そして父が再婚して一年が経ったころ、彼らはとうとう唯一残っていた大切な形見まで本気で奪おうとしてきた。
それはセリナが言ったように、まるで宝箱のような形をした虹色に光る不思議な石のついたペンダントだった。
それまでも何度か奪おうとしたことはあったのだが、鎖に留め具がついていなかったために、私の首からそれを取り外せなかったのだ。
それなのにあの日彼らはなぜか時間差で別々に私の元へやって来て、ペンチを使って私の首元の鎖を切ろうとしてきた。しかしその瞬間、彼ら曰く、全員が雷のような衝撃を受けたようで、利き手にひどい火傷を負った。
私からペンダントを盗むことに多少後ろめたさを感じていたのか、彼らが情報交換しないでそれぞれ単独で行動した結果がそれだ。
仲の良い三人はその後手袋を外せなくなった。
王立学園入学後にわかったことだが、ペンダントの宝箱のような石には魔力が込められていて、それを壊せば魔力のない者でも一回だけ好きな魔法を使える、という噂が世間ではまことしやかに広まっていたらしい。
彼らはそれを街へ買い物しに行った際に耳にしたようだ。だから三人は個々にやってきたのだ。自分だけその力を行使したくて。
どんな魔法を使いたかったのか興味はないけれど、その噂の半分は真実だった。たしかにその石の中には魔力が入っていたからだ。
しかしだれもがその魔力を使えるというのは嘘だった。その魔力の真の持ち主しか使えなかったのだから。
この宝箱の形をした石は転移箱と呼ばれるものだ。
似たようなもので分霊箱というものがあるが、あれは不老不死を望む悪魔的思考を持つ闇の魔法使いが、魔法をかけた様々な容器に自分の魂を分割してしまって保存し、新しい肉体を手にいれたら移し替えるというものだ。
それに対して転移箱というのは自分の魔力を一時的に転移させておくためだけのものだ。
たとえば魔力切れしたときを考えて、予備として前もって自分の魔力を注入しておくとか、その反対に溢れ出す魔力が暴走しそうになったときに、余計な魔力を体内から安全に移すときとか。
そして一番使う頻度が高いのは、妊娠中の女性がお腹の中の赤ん坊の魔力を奪いたいときだろう。
お腹の中の赤ん坊の魔力が大きいと、魔力酔いを起こすことがある。それが酷いと赤ん坊ごと母親が命を落とすこともある。
だから最悪の場合を未然に防ぐために、この転移箱を使って胎児の魔力を吸い取るのだ。母親が魔力持ちなら本人が、母親が魔力なしならば、魔力持ちの夫が代わりにそれを使う。
しかしその吸い取った魔力は、生まれた赤ん坊にすぐ戻されるわけではない。幼い子どもにいきなり膨大な魔力を戻すと、魔力暴走を引き起こすからだ。
空になった体に除々に魔力が溜まってきて体がそれに馴染んできたら、戻すことになっている。
これは魔力持ちなら皆知っていることらしいが、そうでない者はもちろん知るよしもない。
私の場合、母の死に際にこのペンダントを首にかけられて、絶対に身から離しては駄目だと言われただけで、転移箱について何も説明をされなかった。というか、母はそれ以上話すことができなかった。
母もまさか流行り病くらいで自分が死ぬとは思いもしなかったのだろう。そしてそもそも母はもっと早く私に魔力転移するつもりだったのだと思う。私が魔力欠乏症に罹っていなければ。
その病の原因は、家族から受けていた虐待によるストレスだったのだと思う。学園に入学後、魔法学の教師からそう言われた。
留守がちだった母は、子育ては任せろと言った父に感謝して全く疑っていなかった。そしてしたたかな乳母や使用人達を信用していた。
しかし彼らは母のいないところで、まるで呪詛でもかけるように私を罵っていた。私が母にそれを告げていれば状況は変わっていたのもしれないが、それらが日常化していたために、私はそれを辛いとも悲しいとも感じなくなっていたのだ。
母は魔物が出ればすぐに呼び出されて数日家を空けることも当たり前だったので、おかしいと思ったときにはすでに私は魔力欠乏症に罹っていた。
私はたまにしか会えない母に訴えても無駄だと無意識に諦めていたのだと思う。本当はかなり傷付き、病んでいたというのに。
生まれたとき、私は魔力ゼロだと判定された。母に内緒で依頼した魔術師が父にそう告げたのだ。そしてそれは事実で間違いではない。
しかしその魔術師は、赤ん坊の魔力無しの状態がこのまま続くとは限らないとちゃんと言ったらしい。しかし、父も祖父も最初の言葉にショックを受けて、その後の説明を全く聞いていなかったらしい。母も私の魔力については、私の病が治ったら説明するつもりだったようだ。
私は今の家族や屋敷の者達を憎んでいるが、国や騎士団のことも恨んでいる。なぜなら彼らはあまりにも母を酷使し過ぎていた。いくら母の力を必要としていたとしても。
母は流行り病でなくなった。しかし死に至った本当の原因は、体がかなり疲労していて抵抗力がかなり落ちていたせいだと医師が言っていたからだ。
読んでくださってありがとうございました。