おなごの気
ふは〜、こう暑いときに水を飲むと、なんとも生き返る心地だ〜!
水。我々が生きるのにとても大切な物のひとつなのは、疑いようがないだろう。
水を取らなければ、ものの数日で命が脅かされる。周りにあるものを洗うこともできず、不潔という名の不快感、病原菌との戦いも余儀なくされる。
生命に対する試練は厳しくなるばかりで、いずれ限界がきてしまうんだ。生きるのをあきらめない限り、付き合いを余儀なくされる相棒だ。
相棒。
本来は駕籠をかつぐときなど、いてくれて初めてことを成すことができる存在。
水もまた人が生きるのに役立つが、どのように役立たせるか。役立っているかは、まだまだ研究途上なところもあるかもしれない。
私の昔に聞いた話なんだが、耳に入れてみないか?
むかしむかし。
あるところに、雨の降る頻度の高さで知る人ぞ知る寒村があったという。
台地の上に設けられたその村は、先祖代々そこに住み続けている人たちによって保たれているが、非常に雨降りの日が多かったという。
一年の間で晴天を一日中拝める日は、数えるほどしかない。たとえ昼間に降らずとも、夜の間に降り注ぎ、朝に水たまりを残していくこともあった。
台地という立地上、表に長く水はとどまらない。蒸発するか、地面に溶け込んでより低きに流れていくか。
水はけの良さゆえに、長年畑作が彼らの生活の中心にあったのだが、問題はかの村から嫁に行くおなごたちに起こった。
村を離れたおなごたちは、個人差こそあれ数年がたつ頃には、ほぼ全員が脱水に似た症状を示した。
水を飲んで休んでも、症状は容易に回復しない。それどころか、飲んだ端から厠に行きたがり、せっかく取り入れた分を片っ端から出してしまっているようだった。
湿らせた布などを口に含ませると、いくぶんかは落ち着くが解決には至らない。
一刻休んで半刻動けるかといった容態で、まともな生活を送るにはちとしんどい労力を強いられる。
医者たちを呼んでも、原因は容易に特定できず。彼女たちは長い時間を要する活動を行うことができず、家の中でもつらい立場になりつつあったらしい。
その彼女らが、満足に動ける数少ないときがある。
雨の上がった直後だ。降りやんだ直後に、彼女らに見られた脱水の兆候は、ぱっと息を止めたかのように消え失せる。
周りも彼女たち自身も、びっくりするほどの変わりよう。その間に、溜まっていた家事や仕事をこなしていく彼女らだが、もって数日。悪い時には数刻程度で、ふたたび脱水症状に陥ってしまったという。
その彼女たちの近辺で、共通していたことは他にもある。
水たまりの存在。これらが乾くのが異常に早かったのだとか。
はたで見ているなら一目瞭然。雨が止み、水たまりの顔から波紋が消えて、やすらぎのときを迎えた際。
水たまりは、たちまち蒸気を吐き始める。
表面から放たれる白い息は、当初こそそのまま空へ吸い込まれそうな軌道を見せた。
それがくいっと向きを変えると、ときに家の中へ、ときに敷地の奥や外へと、まっしぐらに飛んでいくんだ。
その図体は長くは伸びていかない。いずれは周囲の空気に溶け込んで見えなくなり、後を追いきれなくなってしまう。
しかし、水たまり近くに件のおなごたちが姿を見せると。
蒸気は彼女たちへ目がけて、殺到する。取り巻くには至らず、彼女らの全身の何寸か手前で空気との同化を果たしてしまうのだが、一部始終を見た者たちはおおよそのところを悟る。
彼女らは、あの雨水の蒸気なくして十分に体調を整えることができないのだと。
いくつもの同様の例が確認されたことで、やがてかの村から嫁に行く者たちの数は減っていった。
頻繁にかの地へ降る雨は、すべて彼女らが動くに足る力を授けるがためのもの。それが十分に満ちた土地だからこそ、彼女らは自らの異常さになかなか気づけなかったのだろう。
ごくまれに、これらの雨が降らずともよそで平然と暮らせるおなごたちもいたが、故郷にいるときのほうが、心なしか生き生きした所作が見受けられたのだとか。
そうした身体の作りの判明とともに、かの地で生まれて死んでいくことこそが当然の理だとおなごたちは教え込まれていく。
しかし、その役目は唐突に終わりを迎えたと伝わっているんだ。
あるとき、いつものように雨を降り注がせる雲が天に満ちたが、その雲は雨を降らせる間もどんどんとその色を変えていった。
黒に近い灰色だったのが、時を追うごとに緑が混じりはじめ、やがてそれすら飲み込んだ紫色、ついにはそこに元あった黒を重ねた紺色へと変わっていく。
雲の色が変化し終わるや、降っていた雨はピタリとやんだ。それとほぼ同時に、できた水たまりから蒸気が立ち昇り始めたんだ。
この現象は村の中で起こったためしがない。これまでよそでしか見られなかったために、おなごたちも村の者も自らの奇異な環境に気づくのが遅れていた。
それが今は、村の全体をあげて水たまりたちが蒸気を立てていく。これまで見られたという白いものではなく、立ち込める雲と同じような紺の色をまとって。
それらが屋内外にいる、おなごたちへ殺到した。
話に聞く限り、これらの蒸気は彼女らへ達するより前に空気へ溶け込んで見えなくなるとのことだったが、これも今回は違う。
じかにおなごたちの肌へ触れていくのが見えた。おなごたち自身もとまどい、身をよじったり、手で払いのけたりなど、迫りくる蒸気から逃れんとする。
しかし今度はどけようとしたその手にくっつき、なおおなごたちの中へ入り込まんと蒸気たちは身体をくねらせる。
ただ幸いに受け取れるのは、おなごたちが浮かべる表情は痛みによるものではなく、どちらかといえば、くすぐったさ、こそばゆさによる笑いを思わせる緩みようだったとか。
大半のものは、おなごたちの心配をしたが、その中でふと頭上を見やった者のみ気づくことができた。
紺色に広がる雲の中。そのずっと高い高い位置に、一本の長い手ぬぐいのようなものが垂れ下がっていたんだ。
空の大きさ相応の図体。吊るした者の正体も見えず、ただその身をさらすのみだが、家屋さえおよびもつかない高さでもって、そこにとどまり続けていた。
おなごたちの身を取り巻いた蒸気は、気持ち濃くなったその身体を帯にして、今度は空の手ぬぐいへ向けて飛んでいく。
その軌道は、途中で切れてしまうものの白い手ぬぐいが蒸気の色と同じ、黒の強い紺色に少しずつ染まるのを見れば、あそこへ届いているのだと察せられる。
やがて村から水たまりがすっかりなくなり、手ぬぐい自身が元の白色も一緒になくしてしまったとき、現れたときとは逆に、するりするりと雲の上へ引き上げられていったのだという。
あの手ぬぐいの主は、こうして染め上げるためにこの台地に人を呼び込み、その身体を都合のいいように整えながら根付かせたのではないかと噂されたそうだ。
その台地の村自身もやがて海面の上昇によって、いまは海の底に眠っているのだとか。