いいわけ魔人
「ねぇ、リク、あんたまた体操着やぶいたでしょ?」
姉ちゃんは部屋に入ってくるなりそういった。
おれはゲームに夢中で聞こえないふりをしたのに、姉ちゃんはしつこく話しかけてくる。
「ちょっと、聞いてるの?」
「うるさいな! ほかの洗濯物の下に隠したのに、なに掘り出してるんだよ!」
「やっぱり! 隠したってどうせ洗濯するときに見つかるのに。ばかじゃないの」
「姉ちゃんには関係ないだろ」
明日の朝になればお母さんにバレることくらいわかっている。だけど、お母さんが洗濯をするころ、おれは学校だ。すぐに怒られることはない。
ただ先延ばしにしているだけなのはわかっているけど、時間が経てば少ししか怒られずにすむかもしれないという期待もある。
「体操着やぶくの何度目だと思ってるの?」
「まだ3回だよ」
「その3回が多いっていってるの! だいたいどうやったらやぶけるのよ」
「知らねーよ!」
おれはゲーム機もったまま部屋を飛び出した。
お母さんには見つかってないのに、姉ちゃんに怒られていたら意味がない。けどまあ怒られるのももっともだ。
どうやったらやぶけるかって? 知らねーよっていったけど、自分でやったんだからもちろん知っている。ズボンをかぶったからだ。体操着に着替えるときに上のシャツと間違えたふりをしてズボンの足の穴に両腕をつっこんだ。
「あれー? 頭が出ないよー。あれー? なんでだろう?」
そうやって無理に頭を出そうともがいていると、みんな笑うんだ。
「リクがまたばかやってるよ」
「ほんとリクっておもしろいよな」
おもしろいといわれると、もっと笑ってほしくなる。
「あ、ここかな? ちがうな。じゃあここかな?」
あちこちに頭をおしつけると、みんなの笑い声が大きくなる。たぶん変な生き物みたいになっているんだと思う。
「えいっ!」
もっと変な形にズボンを伸ばそうとしたら、びりびりといやな音がした。笑い声が大きくなる。
「ズボンやぶけたぞ!」
「リク、これから体育なのにどうするんだよ」
だれも心配なんていていなくて、笑いが止まらなくなっている。
おれはやっと満足して
「やべ、これズボンだったわ」
と腕を抜いて、足を入れた。
「リク、やべえ。パンツ見えてるし」
おれはやぶけたところが開くようにわざと大股で歩いた。後ろを歩くやつらがヒィヒィ苦しそうに笑っている。
校庭に出ると女子がキャーキャー叫び、先生は「またか」と苦笑した。おれは満足だった。
そして、後悔する。
いつもそうだ。
「ああっ、なんでやぶけるまでやっちゃんたんだろう」
ウケねらいでやりすぎてしまった日、帰り道はいつもゆううつだ。
おれがリビングでゲームの続きを始めようとすると、お母さんが目の前に立った。
「リク、これ隠したでしょ?」
体操着のズボンを両手で広げている。やぶれたところがばっちり見えるように。
「え? なんで?」
洗濯は明日の朝にやるはずだ。まだ見つかるはずじゃなかった。
お母さんの後ろで姉ちゃんの口が「ざまあみろ」と動いた。すぐにわかった。姉ちゃんがお母さんにいいつけたんだ。
「姉ちゃん、ずりぃぞ!」
姉ちゃんはお母さんから見えないのをいいことに、べーと舌を出してから部屋へもどっていった。
「お姉ちゃんは悪くないでしょ。リク、なんで体操着がやぶれるの?」
お母さんは怒鳴ったりはしない。だけどいつもはにこにこしているのに、今は少しも笑っていない。だから怒っているんだってことはわかる。
「知らないよ」
「なにもしないのにやぶれるわけないでしょ」
「えっと、あ、そうだ、しっぽ……しっぽ用の穴だよ!」
「リク、あなたねぇ……」
お母さんはあきれたようにため息をついた。
すると、どたどたと足音がして、一度はいなくなったはずの姉ちゃんが戻ってきた。
「お母さん、見て! リクったらこれもやぶいてる!」
姉ちゃんが手に持っているのは少年野球の帽子だった。てっぺんに穴があいている。
「あらやだ。リク、どうやったらこんなところに穴があくの?」
「し、知らないよ」
もちろん知らないわけがない。河川敷のグラウンドでの練習が終わってチームメイトと遊んでいるときにやぶけた。河川敷には草がいっぱい生えていて、木の枝みたいに堅い茎の草もある。それを剣のかわりにして遊ぶんだ。あとは槍みたいに投げたり。おれは帽子を高く投げて、それを射る遊びをしていた。狩りみたいで楽しいんだ。うまく刺さると、まるで鳥を捕まえたみたいで狩猟気分が味わえる。みんなも「すげー」といってくれる。で、やりすぎた。
「リク、正直にいって」
「それは、その……つの。そう、角のための穴だよ!」
「あなたはしっぽも角も生えてないでしょう?」
「これから生えるんだよ」
「リク、あなたねぇ、そんなこといっていると……」
お母さんの口調がいつになくこわい。すごく怒られるのかもしれないと緊張していると、意外なことをいった。
「そのうち『いいわけ魔人』に魔法をかけられちゃうわよ」
「い、いいわけ魔人?」
なんだそれ。お母さんはおれとちがって、ふざけたことをいったりはしない。それが急にいいわけ魔人とかわけのわからないことをいいだした。
「そうよ。言霊というのがあってね、言葉には力があるからいったことがそのとおりになることがあるの。てきとうないいわけばかりしていると、いいわけ魔人に魔法をかけられちゃうんだから」
お母さんは腰をかがめておれの肩に手をかけ、真剣な目で見つめてくる。
これ、笑うとこなのかな?
ほかの人がそんなことをいったら「そんなことあるわけないだろ」と笑いとばすところだ。そういうときは笑ってほしくてふざけているはずだから。
だけど、相手はお母さんだ。おれの話に笑うことはよくあるけれど、自分でふざけたことなんて一度もない。
そうはいっても、いいわけ魔人がいるなんて、そんな変な話、真面目にいっているとは思えない。
たいしておもしろいわけでもないけれど、とりあえず「はははっ」と軽く笑っておいた。
お母さんはがっかりしたように、大きなため息をついた。
そんなお母さんのため息は、がんばっていってみたことがウケなくてがっかりしたせいだと思っていた。次の朝になるまでは。
おれが起きたとき、同じ部屋で寝ていた姉ちゃんの姿はもうなかった。姉ちゃんが早起きなのはいつものことだ。きっともう朝ごはんを食べているはずだ。おれも早くしないとまずい。急いで洗面所に向かおうと部屋を出ると、なんだかふらふらして歩きにくい。まだちょっと寝ぼけているのかもしれない。
ふらふらよたよた歩いてようやく着いた洗面所で鏡を見たとたん、すっかり目が覚めた。
「えっ!」
あまりに驚いて目が覚めた気がしたけど、やっぱりまだ寝ぼけているのかもしれない。なぜなら、おれの頭には角が一本生えていたから。
「うわあ! なんだこれぇ!」
両手で角に触れると少しざらざらしていた。
「お母さん、お母さん、見てよこれ!」
相変わらずふらつきながらダイニングにいくと、お母さんと姉ちゃんがそろって大きなため息をついた。
「やっぱり、いいわけ魔人の魔法がかかってるし」
姉ちゃんがあきれたようにいった。
おしりのあたりがむずむずとした。パジャマのズボンの後ろから手をつっこんでみる。すると、ふさふさしたものに触れた。手探りで形を確かめる。長い。にぎって前までもってきてみると、おしりがひっぱられるような感じがした。
「しっぽ?」
おれのおしりからしっぽが生えていた。
姉ちゃんがプッと吹き出すようにわらった。
「変ないいわけするからよ」
「なんだよ、変ないいわけって」
「忘れたの? 昨日いってたじゃない。ズボンの穴とか帽子の穴とか」
そういえば、やぶいてしまったいいわけにいいかげんなうそをついたっけ。しっぽのための穴だとか、角のための穴だとか。
「えっ、まさかそれで?」
「ほんとうに言霊の力ってすごいわね」
お母さんは感心したようにおれの角やしっぽを観察している。
「見てないでどうすれば元にもどるか教えてよ」
「そうねぇ。お姉ちゃんのときはどうだったかしら」
「姉ちゃんも魔法をかけられたことがあるの? そのときはどうやったんだよ?」
姉ちゃんに近づいたら、角をにぎられた。
「内緒。自分で考えるのね」
「なんだよ。教えてくれたっていいだろ。けち」
「教えてもらってもだめなんだって。自分で気づかないと魔法はとけないんだよ。まあ、がんばんな、リク」
姉ちゃんはおれのしっぽをピンッとはじいて学校に行った。
「お母さん、おれどうすればいいの? こんな姿じゃ学校に行けないよ」
「あら、みんな笑ってくれるんじゃない?」
「おれは笑わせたいんであって、笑われたいんじゃないよ」
落ち着きなくしっぽがゆれる。体の一部なのに、生えたばかりだからなのか、おれの意志に関係なく動いている。なんだか気持ち悪い。
けれどもお母さんは気にしていないみたいだ。
「しっぽが生えたことだし、昨日のズボンをはく?」
なんてのんきに聞いてくる。
「しっぽのために穴をあけたなんて、うそに決まってるだろ」
「あら。そうなの?」
「ふざけててやぶいちゃったんだ。ごめん」
おれがほんとうのことをいってあやまると、お母さんは安心したようにやさしくわらった。
そして、しっぽがしゅるしゅると短くなって、消えた。
おれは両手をズボンの後ろにつっこんでおしりをさわったけど、もうどこにもふさふさしたものはない。
「しっぽがなくなった!」
急いで頭に手をやると、角はまだ生えていた。
「あとひといきね」とお母さんがいった。
「なに? どういうこと?」
おれの質問には答えず、お母さんは別の質問をしてきた。
「ズボンのことはわかったわ。帽子はどうして穴があいたの? 角のため?」
「ちがうよ。あれもふざけてやぶいちゃったんだ」
それもほんとうのことをいうと、お母さんは大きくうなずいた。それから、おれの頭をなでた。
「リク、頭をさわってごらん」
おそるおそるさわると、角がなくなっていた。
「角もなくなった!」
「よかったわね」
「うん! でも、なんで?」
「いいわけ魔人の魔法がとけたのよ」
「おれ、なにもしてないよ?」
「リク、昨日お母さんが話した言霊のことおぼえてる?」
そういえば、おれがうそをついたあとにそんな話をしていた。言葉には力があるからいったことがそのとおりになることがあるって。てきとうないいわけばかりしていると、いいわけ魔人に魔法をかけられちゃうって。
「そうか。あれって、このことだったんだね!」
お母さんはおれの両手をにぎって、まっすぐ目を見ている。
「お母さんはね、服をやぶいちゃったり、物をこわしちゃってもしかたないと思っているの。もちろん、大切にしてほしいけど、うっかりやっちゃうこともあるでしょう? でもね、うそをつかれるのはいやだな。いいわけ魔人の魔法にかかってほしくないもの」
おれはうなずいた。
「うん。もううそをついていいわけしたりしないよ」
おれはみんなに笑ってもらうのがすきだ。いやがることをしたら笑ってもらえない。
「そういえば、姉ちゃんもいいわけ魔人の魔法がかかったことがあるんだよね?」
お母さんは思い出し笑いをした。
「お姉ちゃんがリクの歳のころにね、お母さんの口紅を勝手に使ったの。それをね、自分のくちびるの色だっていったのよ。ほっぺまではみ出ているのに気づかずにね」
あんなにえらそうにしている姉ちゃんもそんなことがあったのかと思うと、ちょっとうれしくなった。
そこへどたどたと大きな足音をたててお父さんがやってきた。
「うわあ。寝坊した!遅刻する!」
「あらあら。ゆうべおそくまでゲームやってるからでしょ」
「そ、そんなことないぞ。最近ゲーム機が調子悪くて遊んでなんか……」
お父さんがそこまでいうと、リビングでボンッと音がした。あわてて見に行くとゲーム機がバラバラになっていた。
「わあああ! おれのゲーム機があああ!」
にやりと笑って消えていく魔人の姿が見えた気がした。