7 「蒼見シャーロットの考察」
月曜日。いつも通りの学校が始まる。すなわち、いつも通りにお昼休みがやって来る。
「や、やばい……緊張してきた」
放送室にて、僕は汗を流していた。放送前に緊張するのはいつもの事だが、今日は特にだ。
だって、Mさんの投稿を読む日なのだから。そして、蒼見の推理を語る時でもある。
蒼見の推理をMさんとリナさんにどう伝えようか、予め蒼見と話し合っておいた。リナさんにはDMで伝えればいいだろう。でもMさんにはどうしよう。あの人は匿名で投稿していた。ここの男子生徒の誰かだが、それを特定するのは困難だ。でも、うちの放送のリスナーなのは確実だ。僕の放送なんてみんな聞いてないらしいけど、Mさんは別だ。だって、投稿の一番初めに『毎日愉快な放送をありがとう!』と書いてくれたのだから。わざわざお便りをくれる辺り、熱狂的なファンに違いない。
だから、放送で伝える事にした。今日の放送で蒼見の推理を語れば、Mさんは真実に気付いてくれる。二人が仲直りしてくれるきっかけになるはずだ。
「上手く喋れるかな……。ここで失敗したら、Mさんとリナさんは仲直りしないかもしれないんだろ?」
僕が慌てふためいていると、蒼見は「落ち着いて下さい」と嗜めた。
「重く考えすぎないで下さい。まずは練習してみましょう。ほら、まだ少し時間ありますよ」
蒼見は壁時計を指差した。もうそろそろ本番時間かと思ったが、思ってたより時間の余裕があった。一回くらい練習出来そうだ。
「そ、そうだな。蒼見。聞いてくれないか」
「はい。お願いします」
僕は放課後の練習を思い出す。蒼見が変な言い回しを推敲してくれた、Mさんの投稿文。それを音読する。練習だと思えば、スラスラと読めた。蒼見は僕の喋りを静かに聞いてくれる。
「〜と、いう訳です。Mさん。この放送を聞いているならどうかお願いです。リナさんともう一度話し合って下さい。二人とも悪くなかった。ただの勘違いだったんです。まだ仲直り出来ます」
Mさんのお便りと蒼見の推理を語り、最後は僕自身の言葉で締める。
よし、やり切った。満足だ。完璧な練習だったろう。僕はふぅと息を吐いて座り込む。蒼見は微笑んで、放送用の機器の方に向かった。
そして彼女は、放送のオンオフを切り替えるスイッチを、オフの方にした。
「お疲れ様です、先輩。いい放送でしたよ」
悪戯っ子みたいに笑う蒼見。僕は思考停止した。
「え? 今、放送切って……。なんで?」
「実は放送は始まってたんですよ。先輩には黙ってましたけど」
「え、え? だって、まだ時間じゃないだろ!」
「先輩が腕時計付けない人で助かりました。ほら、こっちが正しい時間ですよ」
蒼見はスマホを見せた。そこにある時間は、壁時計の時間より5分程度進んでいた。
こっちが正しい時間? じゃあ、壁時計の方は5分遅れてたって事か? 練習の時間があるかと思ってたのに、本当は本番の時間だったんじゃないか!
「先輩が来る前に時計をいじっておきました。練習のフリして、先輩に原稿を読ませるために。やっぱり先輩は、緊張してないと上手いですねー」
僕が放送室に来た時点で、放送はオンになっていたんだ。最初蒼見は笑いを我慢していたが、ついにクスクスと笑い始めた。こ、こいつ……僕を騙したな! 本人の許可無しに僕の声を全校に流したな!
と、憤りは感じたがすぐに収まった。単なる悪戯で蒼見がこんな事する訳ない。蒼見は、僕にちゃんと放送をして欲しくてこんな策を練ったんだ。僕が、練習だと思ってたら緊張せず喋れると知ってたから。わざわざ時計をズラして、僕に『練習』をするよう誘導した。
おかげでお昼の放送は大成功だ。一年ぶりの成功。僕はやっと、先輩達に恥じない放送を提供出来た。
「蒼見……なんで」
「私、先輩の放送のファンですから。先輩にはめげずに頑張って欲しかったんです」
放送部唯一の後輩は、いつものようにクールに言った。
§
私はずっと孤独だった。孤独を作っていた、と表現した方が正しい。
私の父は探偵で、よく私に仕事の話をしてくれた。私はその話が大好きで、ワクワクしながら聞いていた。でもある日、父は言った。
「シャーロット。お前は探偵を知らない」
私は首を傾げた。探偵の娘で、仕事の話をよく聞く私が、探偵の事を知らないなんて。
父は続けた。
「探偵には守秘義務がある。そして、目立ってはならない仕事だ。無名である方が探偵として優秀だ。だから俺が話した内容は、所詮話しても構わない程度の事に限る」
衝撃だった。私は探偵に詳しいつもりでいた。でも私はほんの一部の情報しか握らせてもらえなかったのだ。僅かな真実に踊らされていた情報弱者だった。
「シャーロット。探偵になりたいなら覚えておけ。身内にでも重要な情報は漏らさない事だ。友達にも仕事仲間にも真実は隠せ」
それが、今の私を構築する言葉だったと思う。
私は自分を隠した。学校でも、自分の事を出来る限り隠した。家庭の事とか好きな事とか、何も教えない。極度に独りでいたら逆に目立つから、違和感が無い程度の『普通』の人間関係は維持しておいた。でも、特定の誰かと深い関係にはならなかった。私のクラスメートには『知り合い』はいても『親友』はいない。誰かと一緒にいても、私はその輪にいない。
そこそこ群れていても、私は努めて孤独だった。
いつしか私は『謎に満ちた人』になった。計画通りだ。私の事を根掘り葉掘り聞く人はいなくなった。
私は容姿が良いらしく、異性に告白される事もあった。当然、全て断ってきた。私の真実を知りかねない関係は避けるべきだ。それに、告白の言葉に心が動かされなかったのもある。
「蒼見さんの事、ずっと好きだったんだ!」
よくそんな言葉を吐けると思う。私の事なんて何も知らない人が。私の容姿だけで好意を抱いた人が。勝手に私の中身を決めつけて、好きになるなんて。
私と瓜二つの人形があったなら、きっと人気になっただろう。中身を隠す私なんて、周りからすれば人形と同じだろうから。
探偵ぶってみて分かった事がある。みんなの口から出るのは嘘ばかりだ。私に好意を抱く男子も、私にかっこよく見られたくて虚勢を張った。私を不気味がる女子も、『寂しい生徒を助けてあげる優しいクラスメイト』になりたくて、無理に気遣って私に話しかけた。
私に関わらない人も同じだ。人間関係は虚構で作られている。自分が何者かより、自分が何者と思われたいかを重視する。
私も偉そうに言う資格は無い。嘘吐きではなくとも、己の真実をひた隠しにする私は嘘吐きと同レベルだ。
『かっこいい人』、『可愛い人』、『賢い人』……そんな虚構を顔に貼り付けて、人は平然と息をする。
高校に入っても自分隠しは続けるつもりだった。目立たないように、知られないように。ひっそりと暮らしていく。そのつもりだったのに。
私の殻を破る人がいた。
『はい、始まりました! ちゅば……燕山高校放送部……、すみません、えっと……放送部です! 今日は何を話しましょうかね! その……アレですよね! 良い天気ですね! ………………。はい。そういえば今日ちゃぶっ……茶柱がね! 立ってたんですよ!』
滑舌が悪くて、声が上擦ってて、声量が上がったり下がったりで、とにかく滅茶苦茶な放送だった。お昼のBGMにしては最悪だ。
ほとんど誰も聞いてない。スピーカーに向けて嫌な眼差しを向ける生徒もいた。この高校の放送はこんなのか。
驚いた。でも、何故か無視出来ずにいた。放送に耳を傾けずにはいられない。
この人は多くの生徒に向けて積極的に自分を曝け出していて、なのに殆ど無視されて。そして諦めずに喋り続けている。不器用だけど必死な姿。私とは正反対のスタンスなのに、私とこの人は『孤独』という一点で同じだ。
放送で喋っていたあの人の事が気になって仕方なかった。応援したくなった。あの人が無視され続けて孤独なままなのが、どうしても許せなかった。
私は一人でもいい。でも、あの人の声が聞き流されるのは違うだろう。私が閉ざした扉を、あの人は頑張って開けようとしているんだ。あの人は私と違って、他人の興味を受け入れられる温かい人だ。
あの人の正体はすぐ突き止めた。放送部部長の森田良助。一つ上の先輩だ。その程度の情報、私にかかればすぐに手に入れられた。
私は放送部の戸を叩いた。幽霊部員でギリギリ保ってる、実質一人だけの部活。私が行ったって問題ないはずだ。大勢に私が知られる訳じゃない。それに、たった二人しかいない隠れ家は探偵らしいとも思った。
放送をするつもりはない。全校生徒相手に喋るなんて嫌だ。私は、森田先輩の放送を隣で聞ければそれでいい。
私の隣にいるのはこの人であるべきだ。『かっこいい人』でも『可愛い人』でも『賢い人』でもない。ダサくて情けない姿を隠さず、それでも立ち上がって堂々としているこの人が、誰よりも素敵に見えた。
「はじめまして。一年生の蒼見シャーロットと申します。入部者は募集してますか?」
それが、私と森田先輩の出会い。この頃の私は知らなかった。森田先輩が、私にとって唯一の、本音を出せる相手になるなんて。
§
「春だなぁ」
年度を跨ぎ、4月になった。僕は3年生、蒼見は2年生。そして新入生が来る時期だ。
蒼見に騙された放送以来、放送部の評判は少し良くなった。放課後に蒼見と練習を続けた成果が出て、本番だと思っていてもあまり緊張しなくなった。人間、やれば出来るものだ。
放送部革命計画はひとまず成功と言えるだろう。あとは一年生を勧誘するだけだ。
窓を開ければ、風と共に薄桃色の花びらが教室に紛れ込む。もちろん、梅の花じゃなくて桜の花だ。校庭にある桜も、桜の木公園に負けず劣らず綺麗だ。
「私にも後輩が出来ちゃいますねー」
窓を眺めながら、蒼見はぽつりと言った。その顔は寂しげだ。
「嫌なのか? 後輩が来るの」
「そう聞こえました?」
「少しだけ」
「邪推ですよ。先輩の面倒を一人で見なくて済むから楽になりますー」
何だよ。そんな言い方ないだろ。蒼見ってこんな意地悪な後輩だったっけ?
蒼見はプイッと向こうを見て視線を合わせてくれない。
「……そういや、さ」
桜で思い出した事がある。新学期になったら言おうと思ってた事だ。胸の高まりを抑えつつ、声に出す。
「桜が散る前にさ。花見に行かないか?」
「花見、ですか」
蒼見がこっちを向いた。花見に興味はあるようだ。良し。
「そ。今度の土曜日。あ、でも、他に予定があるならいいんだぞ。その……友達とか、か、彼氏……とかと出かける予定があるなら」
しまった。そんな言葉、なんで言っちゃったのかと後悔した。僕は臆病者だ。断られるのが怖くて、咄嗟に予防線を張ってる。諦める理由を自分から探そうとしている。馬鹿か。
「………………」
蒼見は僕をじっと見た。何だ、その視線は。どういう意図だ。
ほんの数秒が永遠にすら思える。蒼見はゆっくりと、口を開いた。
「いいですよ」
蒼見は頷いた。すんなりと。
「え、いいのかっ!?」
オッケー貰えるなんて思わなくて変な声が出てしまった。
「花見に一緒に行く相手なんて森田先輩しかいませんし。ちょうど暇してたんで、ついて行ってあげます」
一々毒のある言い方。でも、そんなのどうだって良かった。蒼見が花見に来てくれる。それが最重要事実だ。
ん? 花見に行く相手が僕しかいない? 彼氏がいないのも驚きだけど友達もいないのか? 蒼見は人気者だから友達が多いと思ってたけど。意外だ。
蒼見はまた一つ、謎を残す。彼女はミステリーに満ちている。国語の苦手な僕には、蒼見の気持ちは分からない。
「不思議そうな顔ですね、先輩。また謎を見つけましたか?」
美少女探偵蒼見は、その眼の奥底に期待の輝きを光らせて僕を見る。謎を追う彼女の姿は、クラスメイトが知らない蒼見のもう一つの素顔。
真実を探求したいと、蒼見は言う。その気持ちだけは僕にも分かる気がした。
もう春がやって来た。窓の外では桜の花びらが舞っていた。