6 「桜の木は何も知らない」
そう、つばめ山公園にある木は梅の木だ。見た目は似ているが、別の植物だ。
梅と桜の違いはいろいろあるが、特に違うのは開花時期だ。今は3月で、梅の咲く時期。そして桜はまだ咲かない。暖かい地域ならもう咲いてるかもしれないが、少なくともこの町ではまだ一本も桜は咲いてないはずだ。
「梅の木でもいいでしょう。似てますし。梅も桜も、昔の歌人に愛されて多くの短歌が生まれました。藤原定頼の『見ぬ人に よそへて見つる 梅の花 散りなむ後の なぐさめぞなき』とか」
いや知らんが。僕は古典に詳しくないんだ。どうであれ、梅でも桜でもいい訳ない。全然違う。
「二人は桜の木の下で待ち合わせたんだぞ? だったら梅の木の下で待ってるはずないじゃないか!」
「そうでしょうか? 確かに二人とも『桜の木で待っていた』と証言しています。でも、本当にその木が桜だったとは限らないでしょう」
「いやそんなの言うまでもないだろ。桜の木公園に梅は無いし。そもそも梅の木を見たら気付くだろ。桜じゃないって」
「気付かないかもしれませんよ? 誰もが梅と桜の詳しい知識を持っている訳ではありません。この満開のピンクの花を見たら、綺麗な桜の木だと思っても不思議じゃないでしょう」
「だとしてもここは桜の木公園じゃないから、別の桜の木に行かなきゃって気付くはずだ」
「ここは桜の木公園じゃない……とすぐ分かるのはこの町の住人だからです。桜の木公園は地元じゃ有名なので、地元民で知らない人はいません。ですが、リナさんは隣町から来た女子高生。いえ、隣町の住人ですらないかもしれません」
「え? なんで?」
「小学校や中学校と比べて高校の数は少ないですから。家の近くに高校が無くて、遠くに進学するのは珍しくありません。隣町の女子高……あそこは意外と名門ですからね。そこの生徒なら、遠くから通っている可能性は十分にあるでしょう。つまり、この町の事は知らないかもしれません」
「そっか! リナさんは桜の木公園を知らなかった。だから間違えて、この『つばめ山公園』に来ちゃったのか!?」
「私はそう推理しました。Mさんはリナさんが遠くの出身であるのを考慮して、桜の木公園の場所を教えたのでしょうね。ほら」
そう言って蒼見は紙を僕に見せた。Mさんの投稿手紙だ。そこには確かに『そうそう。桜の木公園の場所をその子が知らないと思って、つばめ山駅に来たらすぐ分かるよって教えておいた。』と書いてある。
「ですが、Mさんの説明は不十分だった。確かに、桜の木公園の場所は駅に着いてすぐに示唆されてます。先輩が撮った写真にその証拠がありました」
あったっけ? あぁ、あれか。思い出した。改札の目の前にあるポスターの写真か。『桜の木公園 この先歩いて15分!』と書いてある、文字だけのポスター。地元の人間なら桜の木公園の場所なんて知ってるし、あの程度でも十分だと思ったけど、よく考えたら駄目だ。他の町から来た人に説明するには不十分すぎる。曲がりなりにも観光地ならもっと分かりやすく案内すべきなんだ。
「あれがあるから桜の木公園の場所はすぐ分かる……と、Mさんは考えたのでしょう。しかし桜の木公園の存在が『常識』になっているのはこの町の人間だけ。遠くから来たであろうリナさんには分からない。あんな文字だけのポスターなんて見てもいないでしょう。地味ですし」
「うーん、辛辣ながら的確。一応観光地ならもっと大々的に宣伝しないとなぁ。……あれ? でもリナさんは公園に着いたんだよな? この『つばめ山公園』に」
「駅に来たらすぐ分かる、とヒントだけは与えられていました。だからポスターを見なくても適当に歩き回ってこの公園を見つけたのでしょう。目と鼻の先にありますからね」
「なるほど。『駅に来たら分かる』の意味が、Mさんとリナさんで異なってたんだ。Mさんは『ポスターがあるから分かる』って言いたくて、リナさんは『出口の近くにあるから分かる』って思った。しかも、つばめ山公園にはピンクの花を咲かせた木が立ってる。……そりゃ、間違えちゃうよな」
リナさんはこの町を知らない。その仮説で考えると、次第に真実の一片が見えてきた。
桜の木公園で集合を約束したのだから桜の木公園にいたはず……その前提が間違ってたんだ。Mさんもリナさんも集合場所について違和感を主張してなかったから、二人とも桜の木公園に辿り着いたと思い込んでいた。でもリナさんがいたのは『つばめ山公園』で、そこにあった木は梅の木。綺麗な花を咲かした、下手すれば今の時期の咲かない桜よりもよっぽど桜らしく見える、この木の下で。
「リナさんを責める事はできないでしょう。誰だって、見知らぬ町の地理には疎いものです。Mさんのヒントが逆にミスリードになっていたのも、たまたま今が桜ではなく梅のシーズンだったのも、不幸な偶然です。もちろん、Mさんも悪くありません。あの人は約束の時間にちゃんと桜の木公園で待っていました。二人を分断したのは『悪意』ではなく一つの『勘違い』でした。リナさんは場所を勘違いし、Mさんは『桜の木公園は有名だから道を間違えない』と勘違いした。私達も同じです。この町で生まれ育ったから、他の町の人の立場になって考えられなかった。だからこんな簡単な真実になかなか気付けなかったんです」
蒼見は優しく言った。その通りだと思った。Mさんとリナさんの喧嘩に、悪意は存在しない。固定観念が生んだ事故だったのだ。どちらも嘘を吐いておらず、でも真実を語っていたとも限らない。人は勘違いをする生き物だ。悪気が無くても、コミュニケーションの失敗はあり得る。
そりゃそうだろう。『桜の木』って聞いたら、普通は満開の桜を想像する。シーズン前の、まだ蕾の桜を想像はしない。リナさんの目に映ったこのピンク色の梅の花は、桜よりも桜だったのだ。
そして僕らは、『桜の木=桜の木公園のあの木』という図式に引っ張られていた。リナさんがそこにいるはずだと決め付けていたんだ。
「リナさんがバーベキュー事件について言及してないのも納得だな。あの場にいなかったんだから」
「ですね。代わりに花見を楽しんでたみたいですよ」
そう言って蒼見は自分のスマホを見せた。そこにはリナさんのホザイター画面があった。
Mさんへの苦言をつらつらと述べた後、『でも公園の花は綺麗だった』『あれだけが収穫』とか書いてある。当日はスマホの電源が切れてたらしいから、帰ってから呟いたのだろう。
ごく普通の呟きのように見える。だがこれも、リナさんが桜の木公園にいなかった事の証明だ。桜の木はまだ咲いてないのだから。
「私がこの推理に行き着いたきっかけはこれです。偶然にも、リナさんの何気ない呟きが本人すら知らない真実を導いたんですね」
「本人も気付かない真実、か。知っていたのは梅の木だけだな」
もちろん、梅の木は何も語らないので答えを教えてくれない。真実を知りたくば、尋ねるのではなく自らの推理で暴くしかなかった。
自らの、っていうか蒼見の推理なんだけど。僕は何もしてないな。
本当に蒼見の頭はいい。柔軟な発想で答えを導き出す。単純な真実だけど、その真実に辿り着けたのはきっと蒼見だけだろう。
「どうしたんですか? 森田先輩。暗い顔してますけど」
蒼見は不思議そうに僕を覗き込む。いけない、そんな暗い顔してたか。慌てて僕は表情を直す。
「別に。ただ、僕は役に立ってなかったなって」
「何言ってるんですか。画家のおじさんと話せたのは先輩のおかげですし、駅の写真も撮ってくれたじゃないですか。それに……」
「それに?」
「私、楽しかったです。正直私は真実が何であれ良かった。推理する事そのものにワクワクしてたから、こうして先輩を誘ったんです。休日に誰かと一緒に外で遊ぶなんて、久しぶりでした。また一緒に探偵ごっこしてくれますか? 先輩」
蒼見は目を輝かせた。推理を語る蒼見はあどけない少女のようで、普段のクールな蒼見とは違う魅力があった。また蒼見のこういう姿を見れるのだったら、断る理由なんてある訳ない。
「……うん。また謎が見つかったらな」
夢のような助手ごっこは、これで終わりだ。でもまた始まるかもしれない。
今は3月。かつての日常が終わって、新しい日常が始まる季節だ。
次回投稿予定日:4/23