1 「春はまだ来ないらしい」
『お、お待たせしました皆しゃ……皆さん! 燕山高校放送部、お昼のほふそっ……放送、のお時間です! さーあ盛り上げていきましょう! あははははー……』
校舎全域に僕の声が響き渡る。我ながら、聞き心地の悪い喋り方だ。噛みまくってるし抑揚が変だし、何より話す内容がつまらない。
そんな自己嫌悪を振り払って僕は口を回し続ける。僕の放送なんてみんな聞きたくないのは分かってる。でも黙るわけにいかない。僕はこの高校の放送部部長で、お昼の放送を担う唯一の人材なのだから。
『いやー今日もいい天気ですね。本当に……その……晴天、というか。勿体無いくらいですよねー! あ、いや、別に勿体無いって皆さんの悪口とかじゃなくてですね……。そ、そうだ! 皆さんは外に出てますかー? たまには外に出て日光を浴びゅ……浴びるのもいいですね! ずっと室内にいると、その……アレ……アレですから。でもこの辺で遊びに行くところなんて桜の木公園くらいしかないですが……へへっ』
やばい。どうしよう。絶望的につまらない。
話すのが下手だとは思わない。日常会話は普通に出来る。でも『校内放送』という、大勢に聞かれる状況だと急に緊張してしまう。緊張は苦手だ。『出来る事』を一気に『出来ない事』に変えてしまう。
何とかしないと。何とかしないと。
そう考えれば考える程に呂律は回らなくなって、素っ頓狂な声になってしまう。頭が真っ白になって、話題が思い付かなくなる。
無理に元気を出そうとするのも、そろそろ限界だった。声のトーンは次第に落ちていって、話す内容は支離滅裂になっていって。お昼の放送は毒にも薬にもならない……いや8:2くらいの割合で毒の方が多い『聞く毒物』になって、楽しい昼食の時間を汚染した。
これが燕山高校のお昼の日常。僕が部長になってから、放送部はかつての人気を失った。
「最悪……僕は最悪だ……」
放課後。放送部の部室で、僕は机に突っ伏して呪詛を吐いた。
こんな調子でもう一年が経つ。僕が入部した当初の放送部は、今では考えられない程に最高のお昼ラジオをお届けしていた。先輩達の話す言葉は耳を癒し、理路整然として知的な言葉の数々は生徒先生問わず心を奪うものだった。大会出場経験もある、本当に立派な放送部だったのだ。
でも先輩達が卒業してしまい、唯一の2年生である僕が部長になった。1年生の頃にたっぷり練習したし、僕も先輩のような語りが出来ると思っていた。しかし身内しか聞いてない練習と、全校生徒が聞く本番では緊張のレベルが違った。練習のようにはいかず、僕は毎日のように学生のお耳汚しをしている有り様だ。
恥ずかしい。穴があったら入りたい。先輩の偉業に泥を塗った僕は本当に最悪だ。
現実から目を背けるように、窓の外を見る。まだ桜は蕾を実らせ、春の訪れを待つ季節。もの寂しい風が、窓を小刻みに叩いた。
「ふふっ。また森田先輩がウジウジしてます。飽きないですね」
僕の隣で本を読みつつ微笑むのは、後輩の蒼見シャーロットだ。苗字も名前も珍しいが、本名だ。ハーフだと噂に聞いてるけど、ご両親がどこの国の人かは知らない。
蒼見は1年生だがなんと放送部の副部長なのだ! ……まぁネタバラシすると、うちの放送部には実質僕と蒼見の2人しかいない。なので彼女が副部長になるのは必然だった。幽霊部員が何人かいるが、幽霊部員なので当然部室に来ないし活動もしない。2年生の僕と1年生の蒼見だけの、過疎部活なのだ。去年の主要メンバーは全員卒業しちゃったからね……。
「くっ……笑いたきゃ笑えよ。僕なんて名ばかりの部長だ。こんな喋るのが下手な放送部なんて天然記念物だろ。博物館に丁寧に展示されてしまえばいいのさ!」
「自己肯定感が高いのか低いのか分からない反応ですね。森田先輩って本当に楽しい人」
蒼見はクスクスと笑いを零した。嘲笑のようには聞こえず、むしろ優しさが感じられた。彼女の細い喉から放たれる声は、僕のと違って聞く人を幸せにさせる。
蒼見はファンタジーの世界から飛び出た姫様かと思うくらい可憐な少女で、それでいて底知れないミステリアスさを醸していた。こんな田舎の古い高校にいるのが嘘みたいだ。別世界の住人にしか見えない。いい意味で、彼女は異質だった。
見た目だけじゃなくて、蒼見は声も綺麗だ。声優か歌手になれそうだと本気で思う。そんな逸材が放送部に来てくれたのだから、当然僕は代わりに喋ってくれとお願いした。でもその度に丁寧な口調で断られるのだ。なんで? 勿体なさすぎる。もしかして彼女も緊張するタイプなんだろうか。
「蒼見は知らないのか? 放送部は陰でヒソヒソ言われてるんだ。昔は良かったのに今の放送部はなぁ……って」
「そうなんですか? 私は昔の放送部を知らないので。それに、別に森田先輩の放送は嫌われてませんよ」
「えっ、そうなの?」
「みんな、お昼の放送とか聞いてませんから。興味無さげです」
「そっちの方がショックだよ!」
僕は必死に喋ってるのに! 僕は虚無に向かって話してたのか!?
こんな姿、卒業した先輩達には見せられない……。あの頃はみんなお昼の放送に耳を傾けてくれたのに……。今や『どうでもいいもの』扱いなんて。
「こ、こうしちゃいられない! もうすぐ4月! 新入生が入ってくるんだ。放送部の栄光を取り戻し、部員数確保する作戦を考えないと!」
今は3月。別れ、そして新たな出会いの季節。この田舎の高校にもちゃんと新入生は入学してくるんだ。放送部がこのままじゃ、新しい人材を逃してしまう。
いざ、放送部復興作戦! 部活の魅力を引き出し、勧誘活動に備えるのだ!
僕は部室のホワイトボードにでっかく『新入部員確保大作戦!!』と書いた。
「すぐ元気になりましたね、先輩」
蒼見は座ったまま、読んでいる本から目を離さない。会話をする意図はあれど、作戦会議に興味は無さそうだった。
「何を読んでるんだ蒼見。新入部員が来なくてもいいのか?」
「古今和歌集です」
「え?」
「今読んでいる本。先輩も読みますか?」
蒼見は本を閉じ、表紙を僕に見せた。それは確かに古今和歌集(厳密に言うと、原文と現代語訳が一緒に載っている解説本)だった。
「へー。珍しいもの読んでるんだな。試験対策?」
「いえ。私が好きだから読んでるんです。楽しいですよ。古文」
「古文かー。僕、国語って苦手だな。古文もだけど、現代文も。『作者の気持ちを考えなさい』なんて、分からないだろそんなの」
「それ現代文の難しさを表現する例としてよく言われますけど、実際はそんな問題見かけませんよ。『次の文章を読み、以下の問題に答えなさい』ならありますけど」
「似たようなもんじゃん」
「全く違います。『作者の気持ち』は分かりませんが、文章に書いてある事は答えられます。だって、文章に書いてあるんですから」
うーん。そういうものだろうか。どちらにせよ僕には難解だけども。蒼見は国語が得意だから羨ましいよ。古今和歌集が好きだなんて、僕には正直理解出来ない。
「なるほど。……じゃなくて! 今は本より作戦会議! 放送部に革命を起こすアイデア、何か無い?」
「私は今のままの放送部が好きですけど。放送を楽しくするアイデアなら、一個くらいありますよ」
「え、何なに!?」
「お便りを募集するのはどうですか? ラジオではよくありますよね。リスナーからのお便りを読むコーナー」
「それだぁ! ナイスアイデアだぞ蒼見!」
僕は眼鏡をクイっと押し上げ、テンション高く言った。褒められて嬉しいのか、蒼見は少し照れ顔だった。
お便りコーナー。実に王道だ。何故今まで思いつかなかったのか不思議ですらある。
僕は放送の話題を考えるのが苦手だった。何を話せばいいのか分からなくて意味不明な事を口走ったりする。でもお便りがあれば、話題に悩まなくて済むだろう。リスナーの力を借りれば良かったんだ。
「お便りを読むだけだったら僕も緊張しないかもな。ウィットに富んだ話題を咄嗟に思いつかなくても大丈夫な訳だ」
「先輩がウィットに富んだ話題を繰り出した事なんてありませんけどね」
「ええい、やかましい! とにかく僕はやるぞ。少しでも面白い放送のために!」
お便り募集のコーナー。上手くいったら、燕山高校の名物になるかもしれない。考えるだけでワクワクしてきた。
「そうと決まれば早速準備だ。お便り入れボックスを作るぞ。段ボールってあったかな?」
「この部屋には無いですね。先生に聞いてみますか?」
「そうだな。ちょっと行ってくる」
「私も行きますよ。暇ですし」
僕が外に向かうと、蒼見も同行した。暇……そうか。確かに蒼見は放送部らしい活動をあまりしていない。たまに発声練習をするくらいで、大抵の時間は読書をしている。まるで幽霊部員だが、蒼見は副部長として事務仕事もしてくれているのだ。頑張っている彼女を幽霊部員扱いするのは幽霊部員に失礼……いや蒼見に失礼だな。
でも時々不思議に思う。特に放送に興味の無い蒼見が、なんでこの部活に来ようと考えたのかって。
職員室から余りの段ボールを貰い、小学校ぶりの段ボール工作へと洒落込んだ僕達。直方体に形を整えてガムテープを貼り、穴を開けただけのシンプルな物だが、これこそが僕ら放送部の未来を変えるお便りボックスだ。
「完成! 名付けて『お便りボックス』!」
「捻りが無いですね」
蒼見は冷ややかな顔で段ボールの箱を覗き込んだ。
「名前はシンプルの方が分かりやすいだろ? この町の名スポット『桜の木公園』だって、でかい桜の木が有名だからそういう名前なんだし」
燕山町には碌な観光地なんて無いが、唯一誇れる(と、町長は言ってる)のが『桜の木公園』だ。名前の通り、中央には大きな桜の木がある。そこを囲うようにベンチなり遊具なり花畑なり池なりがある。公園なんて他にいくらでもあるが、ただの公園とは一味違うぞ。町が観光地として推しているだけあって、割と広くて飲食店や展望台も建っているのでそれなりに楽しい場所ではあると思う。(僕は何度も行ったのでもう面白みを感じないけど。)
「確かに一理ありますね。弱小放送部が置いた得体の知れない工作物なのに、名前まで奇妙だったら誰も近寄りませんし。それが何であるかくらいはアピールしないと誰もお便りをくれません」
「うぐっ……情け容赦皆無! でも事実だから反論出来ない……」
蒼見は時々、顔色一つ変えずに厳しい事を言う。それが毎回的確なので、僕は何も言い返せないのだった。
「と、とにかく! 早速ボックスを置きに行くぞ。どこがいいかな? 掲示板の前とか?」
「部活勧誘ポスターが貼ってる場所ですね。人が集まるので御誂え向きですけど、あそこは競争率高いですよ。勝手に置いて怒られません?」
生徒数減少の一途を辿る燕山高校は、どの部活も部員確保に必死だ。野球部や吹奏楽部のような人気部活以外は、掲示板の少ないスペースを奪い合って勧誘ポスターを貼っている。故に、領地を過剰に広げないのが暗黙の了解だ。掲示板の前に置く、というルールの穴を突くようなやり方を無断でやれば学校の怒りを買うかも知れない。
「な、なるほど……。それもそうか。先生に許可取ってから行くか」
「さっき職員室に行った時についでに許可貰えばよかったですね」
蒼見の言う通りだ。本当に、彼女の指摘は的確すぎる。
蒼見は顔や声だけでなく頭も良い。無数の情報を一瞬で整理して、最善の結論をすぐに出す。彼女の芸術的なまでの理知的な思考は、これまた芸術的な言葉に還元されてその可憐な声と共に具現化される。
「………………」
言うまでもなく、蒼見は人気者だ。男女問わず学年問わず、蒼見を好いている生徒は少なくない。彼女が放送部に属しているのは知られていない。あまり自分の事を語りたがらないかららしい。放送部が見向きもされない弱小部で良かったと、この時だけは思う。もしここに蒼見がいると全校に知られたら、放送部に興味の無い輩が蒼見目当てに入部してきたかもしれない。そしたら、蒼見の二人だけのこの時間だって……。
なんて。僕は何を考えてるんだ。馬鹿らしい。こんな才色兼備の後輩が僕なんかの隣にいる事自体が奇跡に等しいんだ。もっと有り難がるべきなんだ。これ以上を求めるなんて、傲慢な。
謎だらけの彼女の、一番の謎だ。こんな不人気部活の、こんな冴えない僕のいる部室に、彼女が毎日来る理由が。
「森田先輩? どうしたんですか? 急に黙っちゃって。らしくないですよ」
怪訝そうな顔で僕を覗き込む蒼見。長くて艶のある髪がふわりと靡く。思わず息を呑んだ。近い。蒼見の顔が、目の前に。
幻想が現実を侵食しているようだった。このボロい部室に、妖精みたいな少女が立っているから、そう思うのかもしれない。このまま時が止まったって、僕は何も狼狽えないだろう。
「いや、なん、でも、ない」
お昼の放送みたいに、つっかえながら答えるのが精一杯だった。