*終わりと始まりの話
どうですか? 旅のお方。
ここいら特産のハーブをブレンドしたお茶は、お気に召していただけましたか?
「ええ、とても……とても懐かしい味がします……」
はは、それは良かった! ……でもおかしいですね、なんだかここいらが故郷のようなことをおっしゃる。
あなたは見たところとてもお若いし、僕と同い年くらいに見えます。田舎のことで子ども同士のつながりも強いが、僕はあなたのようなお方は小さい頃から見知った覚えがありません。
ましてや、妖精を肩にとまらせた男の子なんて……!
異種族間でこんなに仲の良いのは珍しい。小さい頃に見知っていたら、忘れるはずもありませんがね。そんなになついているのですから、よっぽど子どもの頃からそうして仲良しなのでしょう?
念のためにお聞きしますが、あなた方のお名前は……?
「……アルバ。アルバとエィバです……」
「アルバとエィバ」……? ううん、やはり耳に覚えがありませんね。これはなんとも不思議だなあ。
ああ、いや、僕の方からこんなに訊ねてはいけませんよね。あなた方は「生きたおとぎ話」をお望みでいらっしゃるのに……。
しかしなんとも独特な理由で旅をされているのですね。「作り話でない、本当に起こったと言われる神話や民話を拾い集めて旅をする」とは。その目的は……?
ああ、いやいや、またこちらから質問ぜめにしてしまいました。
どうかお許しを! こんなへんぴな田舎では、旅人さんそのものがひどく珍しいので……! ああ、いかがです、お茶のおかわりは?
「いえ……もう十分にいただきました。ごちそうさまです……」
はあ、そうですか。いやいや、こちらから質問ばかりくり出して、どうも大変お待たせしました。それじゃあお望みのおとぎをお話いたしましょう。
……昔むかしの大昔、この村にとても仲の良い二人がいました。
青年と少女のカップルです。もう本当に遠い昔の話ですから、二人の名さえ伝わってはおりません。
けれども嘘か本当か、青年はさらさらの銀髪に青い瞳……。少女はふわふわの長い金髪に、萌黄の瞳をしていたそうです。
二人ともとても美しく、幼なじみの二人は当たり前のように末の結婚を誓っていました。互いの両親にも反対の意思はまるでなく、まわりの人びとも「お似合いのカップル」だと祝福してくれていました。
ところが、悲劇が起きたのです。
それはちょうど二人が結婚する日でした。空は青く、日は輝き、初夏の風が淡い緑にさあっとそよぐ、申し分のない日和でした。ところがその心地の良い初夏の風が、何よりいけなかったのです。
それは気まぐれな夏風の精の吹かした風でした。その生まれたての夏の風の精霊が、よりによって花婿を見初めてしまったのです。風は見たこともないような美しい人型の姿になって、花婿にまといつきました。
『なあお前……こんなつまらぬ人間の花嫁よりか、わらわを嫁にもらいとうはないか?』
「いいえ、まったくそうは思いません」
『わらわの婿になれば、お前も風の精になれるぞ。そうすれば今の美しい姿のままで、永遠に共に生きられる……!』
「ごめんですね。あなたと共に永遠に生きていたくなぞありません」
『されば、わらわはこの花嫁の命を奪うぞ。そうしてお前を婿にするぞ!』
「それは出来ない相談ですね。私はこの花嫁が死んだなら、その場で舌を切って死にます。そうしてあの世で花嫁と結ばれましょう。彼女もそれを望んでいます」
きっぱりと切り捨てるような返答に、花嫁も深くうなずきました。
そうして、夏の風はとうとう怒り狂ってしまったのです。風の精は鬼のような顔つきで二人を暴風になって取り巻き、二人に呪いをかけました。
ぐるぐると暴風に絡めて呪いをかけ終えた風の精は、今はもうそよ風のような微風になって、それでも勝ち誇ったように二人に笑ってみせました。
『ざまを見ろ! 花嫁よ、自分の姿をよっく見ろ! 小さな体にとんぼの羽根、わらわはきさまを妖精にした! そうして花婿よ、お前のことも不死にした! 何も食べず、何も飲まずとも生きられる体にしてやった!』
涙も出ないほど絶望し、互いを見つめる恋人たち。そんな二人に、風の精は歪んだ笑いを見せました。
『この呪いを解くためには、これから二人で一万か所を旅をして、一万の話を集めて食べねばならぬのだ! 作り話ではない、本当に起こったとされる神話や民話をちょうど一万、拾っていかねばならぬのだ!』
さらなる絶望の上塗りに、二人のほおから血の気が引いて、紙のように白くなります。そんな二人を指さしながら、風の精はからからと乾いた笑いを上げて言い放ちます。
『はは、ざまを見ろ! こう体の大きさが違っては、満足に肌も重ねられぬ、もちろん子どもも作れもせぬ! そうしてわらわは全ての力を呪いにそそいだ……! 生まれたばかりでわらわは死ぬが……呪いはそのことでは解けぬ……!』
ざまを見ろ、ざまをみろ、と泡沫のように言いながら、夏風は消えてしまいました。
そうしてひどい呪いを受けた花婿と花嫁は、連れ立ってこの村を後にしました。
そう、「一万の生きたおとぎ話」を探しに旅に出たのです。
……遠い昔の話です。
* * *
語り終えた青年は、ふわっと柔らかくはにかんだ。
「話はこれで終わりです……。いや、これは幼い頃に祖父に何度も聞かされた話なんですが。あなた方がお話の中の二人にそっくりなので、つい思い出してしまいました!」
照れ笑いする青年の手をそっと握り、アルバは柔い真綿のような笑顔を見せた。青年がちょっと驚いて目を見はると、小さな妖精のエィバもまた、アルバと同じ笑顔をしていた。
「どうもありがとう……今の話でちょうど一万……」
私たちが、そのお話の二人です。
ささやくように言ったとたんに、かたかたとアルバの姿がくずおれた。
小さな妖精も輪郭が花咲くように溶けて崩れて、幻のようになくなった。
……そうして後に遺ったのは、使い古したキャメルイエローのマント一枚きりだった。簡素なティーテーブルの上では、ハーブのお茶を満たしたポットが、ほんのりと湯気を立てている。
だが、もう客人二人はどこにもいない。
この世のどこにも、もういない。
青年はしばらく呆然と、その光景を眺めていた。
やがてその目がにじんできた。
青年は涙を流しながら目をつぶり、二つの魂に手を合わせた。
* * *
その後、青年の家の近くの小さな広場に、白石の墓碑が建てられた。
墓といっても、土の下には古びたマント一枚だけだが、白石にはこう刻まれている。
『そのあまりの深き愛ゆえに風の精に呪いを受け、一万か所を旅し、一万の生きたおとぎを集め、呪いに打ち勝った二人、ここに眠る』……。
墓碑が建てられて十年ほどが経ったころ、その墓碑の前で遊ぶ子が二人現れた。それは九歳の少年と少女で、同じ日に同じ村に生まれた子たちだ。
少年はさらさらの銀髪に青い瞳、少女はふわふわの長い金髪に萌黄の瞳。二人ともとても美しい。
『夏風は美しい
夏風はさわやかで
夏風はとてもやきもち焼きだ
だからぼくらは だからわたしたち 夏の風が大嫌い』
二人は誰に教わるでもなく、二人で作った歌を声を重ねて歌いながら、今日も睦まじく遊んでいる。
彼らは大人になったなら、再び旅に出るのだろうか。
それとも生まれ育った村で、一生一緒に暮らすだろうか。
どちらでも良い、愛する者が二人でいれば、何も不足なことはない。
ただ今世から永遠に、夏の風に巻かれぬように祈りたい。
それはどこの世界の話か、今か昔かまたは未来か。
――長いながい旅の末に報われた、確かな愛の話である。
(了)