*暗い隠れ家のクローリ
……こ、こんにちは……。
あら、こんばんはかしら? それともおはようございます? 分からないわね、ここは夢の中でしょう? 外はずっと薄いもやがかかったみたいで、朝なのだか昼なのだか……時間も良くは分からないわ。
「おやおや……これは人外のお嬢さま! うさぎのお嬢さんですね? ようこそ『喫茶店・兼・のろけ話の買取所』へ!」
……へええ? ここはおのろけを言っても良いところなの?
「ええ、どうぞ存分に! お話しくださるのろけ話の対価として、お茶とお茶菓子は無料です! そのうえ『夢見る角砂糖』の、素敵なおみやげもつきますよ!」
まあ、なんてすてきな喫茶店! 本当におのろけを聞いてくださる?
「ええ、けれどもまずはお茶を一杯どうぞ……シナモンをきかせたチャイはいかがです? お茶菓子にはあなたの可愛らしいそのうさ耳と同じくらい、ふわふわの出来たてマシュマロを……」
わあ、どうもありがとう!
……ああ、美味しい……! ダーリンがいつも淹れてくれる、木の葉のお茶と同じくらい美味しいわ! このマシュマロも食べていると、ダーリンがわたしの頭を撫でてくれてる時くらい幸せを感じるわ……!
……あらあら、早速のろけちゃったわね? それじゃあ改めて、わたしのお話を聞いてくださる?
……そもそもは悲劇から始まったの。
わたしは見ての通りの人外。ぱっと見は人間みたいにも見えるけど、髪は白髪、瞳の色は血を吸ったような真紅。そうして何より頭から生えた、このうさぎみたいな耳が特徴よ。
そうして一番困ったことに、このうさ耳が人間にとって「幸運を呼ぶアイテム」なのよ。ううん、ただ人間がそう言うだけ。ただの迷信なのだけれど……。
とにかく多くの人間たちにとって、わたしたちは「うまい儲けのタネ」にすぎない。そういう人間たちの集団、「ハンター軍団」に見つかって、わたしの村は焼き払われてしまったの。
もちろん両親も兄弟も、親戚も友達も誰もかも、わたしは失ってしまったの。耳を狩られた亡骸たちの間をぬって、わたしは必死で逃げ出した。
人間たちはわたしに気づいて「一匹も逃すな!! 耳一対で金百粒だ!!」って叫びながら、ぞろぞろ後を追ってきたの。
わたしは逃げた、逃げて逃げて逃げたのよ。そうして行きついた森の中で、今度はおんなじ人外の男に出くわしたの。
ああ、なんてわたしは運がないのかしら! 心中でそう神を呪ったわ。だってわたしの目の前に立ちはだかったのは、熊人の青年だったんだもの!
……あら、熊人をご存じない? 頭に熊の耳を生やして、肌の色は濃ゆいブラウン、体が大きくて獰猛な、「人型の人喰い熊」みたいな生き物よ!
彼はわたしをそのくりくりとした黒い瞳にはっきり映して、「こりゃあ久々のごちそうだ」ってじゅるりと舌なめずりをしたの! そうしてわたしの背後からは、「耳一対で金百粒だ!!」って声が聞こえてくるでしょう?
わたしはもうすっかり全てをあきらめて、赤い目を静かに閉じたのよ。そうしたら「ばくん!!」と大きな音がして、一瞬閉じた目がその上にもさらに真っ暗になったのよ。
それから……それから何も起きないわ。ただ閉じた目が、ほんのりかすかな明かりを感じて、わたしは恐るおそる目を開けたのよ。
ここはもう黄泉の世界かしら……そう思ったわたしの目の前には、薄暗いせまい空間と、赤い屋根の小さな家があるっきり。
そうしてその家の中から、ランタンを持った少年の熊人が現れたのよ。あわてふためくわたしに向かって、少年は軽やかにウィンクをして微笑んだの。
「大丈夫、ぼくはあなたに何もしないさ。……少しお家で休んでおいで、兎人のお姉さん!」
それから熊人の少年は、木の葉のお茶を淹れてくれた。どんぐりの粉で作ったクッキーをこちらにすすめてくれて、自分もそれをかじりながら、こう打ち明けてくれたのよ。
「ここはあの大きな熊人、ミドヴェーのおなかの中なんだ。彼にはとってもおかしな特徴があってね、どういう訳か、おなかの中に『小さな異次元』があるんだよ。
この異次元に入れられた『食べ物』は消化されずに、しばらく貯蔵されるんだ。でもミドヴェーは気づいていない、このぼくの存在にはこれっぽっちも!」
そう言って熊人の少年は、ころころとおかしそうに笑ったの。
「ぼくはあのミドヴェーの本性、あのミドヴェーの本音なんだ! 本当のあのひとの気性ときたら、こんなにちっぽけで幼いんだよ!!」
あっけにとられるわたしに向かって、「ミドヴェーの本音」はこうも話してくれたの。
「大丈夫、あのひとはあなたとおんなじだから。ミドヴェーも小さい頃に、両親を人間に狩られて殺されているんだよ……」
思いもよらない一言に、わたしは思わず少年をじっと見つめたの。そしたら彼は自分の口もとに可愛い指を押し当てて、にっこり微笑って言ったのよ。
「あなたはもうじきここから出られる。……ね、そうしたらきっと、ミドヴェーは襲ってきた人間どもを蹴散らして、独りで傷ついているからさ。あなたは傷の手当てでもして、あのひとのそばにいてやって。――大丈夫! きっときっと、悪いようにはならないさ!」
「本音」が言い終わって笑ったとたん、ぐるりと景色が反転したの。わたしはびっくりして目を閉じて、また目を開いたその時にはもう、元の世界に戻っていたの!
おなかの中で「本音」が言っていたみたいに、人間はもうどこにもいなかった。そうして体のあちこちから血を流している熊人は、わたしを見て微笑んだのよ。
「ざまあみろだ、おまえを襲ってきた人間は全員蹴散らしてやった。おまえをやつらに渡しゃあしないぞ、おまえは俺の獲物だからな!!」
そうして彼は「ミドヴェー」と名乗り、おなかの中で少年が言ったことそのままを、もの錆びた声で語ったの。でも「本音」が明かしたみたいに、彼自身はおなかの中に自分の本性が棲んでるなんて、考えてもないみたいだった。
けれどももうわたしの目には、彼が「恐いひと」とは映らなかった。その特大の黒すぐりみたいな瞳には、ありありと孤独が滲んでいるのも見てとれた。だからわたしは自分の身につけていた衣服を裂いて、彼の傷の血をふき取って、包帯代わりに巻きつけたの。
彼は初めは「ご機嫌取ろうとしたって無駄だ」なんて怒った風にどなっていたけど、そのうちだんだん静かになってね……手当ての終わる頃には、わたしを不思議そうに見つめて「おかしなやつだ」なんてしみじみとつぶやいてたわ!
……あとはもう、お互いに魅かれていくだけよ。彼は本当は本当に優しい、心の柔いひとなんだもの! わたしと出逢ってからは、ネズミ一匹呑み込まないのよ!
「俺は肉を食わなきゃ生きていけないハンパな奴とは違うんだ。魚や山菜、木の実ばっかり食べてても、元気いっぱい生きれるんだぞ!!」って、そう言って自慢げに胸を張るのよ!
……けんか? もちろんたまにはするわよ、ほんのささいなことで!
でも「おまえなんか喰ってやる!!」ってひと呑みされても、行きつくのはいつだって異次元のお家なんだもの!
そうして小さな「ミドヴェーの本音」が、彼は何でそんなに機嫌を損ねたのか、何にそれほど傷ついたのか、ちゃんと話してくれるんだもの! そうしてまたおなかの中から出されたら、わたしは心の底から彼にあやまれるんだもの、関係が悪くなりようがないでしょう?
ダーリンは自分の気持ちにも気づかないほど、見事な鈍感さんだけど……。
もう今ではわたしたち、ほとんど夫婦みたいなものよ!
「それはそれは……! しかし、とても立ち入ったことをうかがいますが……『兎人』と『熊人』と、それほどはっきり種族が違うと、お子さまは……?」
あはは、それなら大丈夫!
確かに種族が遠すぎて、わたしたちには子どもは出来ない……。でもね、とてもおかしな関係だけど、わたしにとって「おなかの中の本音くん」こそ、息子みたいなものなのよ!
* * *
そう言ってはにかむうさ耳の少女に、マスターも淡く笑みを浮かべる。
うまく理解は出来ないけれど、彼女が今とても幸せなことはよく分かるから。
くすぐったそうにはにかみながら、クローリがマシュマロを食べ終えて、カップのお茶を飲みほした。
「おかわりはいかが?」とマスターが言おうとした矢先、すりガラスの扉の向こうに黒い人影が揺らめいた。扉の向こうから、割れ鐘のような大声がこちらに向かってどなりつける。
「おおい! クローリ、そこにいるんだろ!? 夢の世界だからってそんなにあちこち出歩くな、どこの誰が襲ってくるか分からんぞ!!」
うさ耳の少女はふふっと思わず吹き出した。吹き出しながら本当に嬉しそうに声を上げた。
「はあい! 今行くわ、ミドヴェー!」
じゃあ、と無言で目くばせして、うさ耳の少女はいそいそと店を出ていった。
扉の向こうで、甘いふたりのやりとりが絡み合いながら遠ざかる。
「まったく……クローリ! おまえはいっつも俺のそばにいないと駄目だ! おまえは必ず、この俺が美味しく喰らってやるんだからな!!」
「ふふっ……はいはい!」
「ハイは一回!!」
「は~い!」
犬も食わないやりとりに、マスターは扉の向こうでまいったなあと苦笑う。
……いつもならここで独りでぶつくさ言うところだが、「占い熱」のある種の気味悪さをのろけで流してくれたのだから、あのおふたりには感謝をしよう。
そうしてマスターはふうっとしなやかに手を動かし、「のろけ話の残り香」を手慣れたしぐさでかき集めた。
今度ののろけは、小さなうさぎと熊の形のクッキーに姿を変えた。マスターはそれをぽりぽりかじり、「可愛い味がする」とつぶやいて微笑んだ。
それからふっと真顔になって、自分の後ろの棚の半ばをふり返る。
そこには美しい純金の小さな容れ物がのっていた。
これはマスターの宝物だ。
何を入れて使っても、中の物が尽きることはない、夢の世界の魔法の容れ物……マスターはこの容れ物に例の「夢の角砂糖」を入れている。
いつか自分にも恋人が出来たら、その相手にあげようと。
そうして尽きることのない幸せを、恋人と永遠に分かち合おうと。
――いや。
そういえば、一体いつからだ?
自分はいつから見もしない相手を、この世界で待っているんだ?
ぼくはいったいどうやって、この夢の世界に生まれてきた? そしてどうしてこのぼくは、ここでしか存在出来ないんだ……?
考えれば考えるほど、頭の中で白い雲をつかむみたいで……。
言いようもなく不安になってくるマスターの目線の向こう、すりガラスの扉の向こうで、また人影が揺らめいた。
「……っ、いらっしゃいませ……!」
しぼり出した言の葉は、自分の耳にも何だか泣き出しそうに聞こえた。……




