*夢見絵描きのクラウディオ
……ああ、美味いなこの紅茶。
アールグレイか? ベルガモットの香りが柔らかくて華やかで、これはそうとう良い茶葉を使っているみたいだな。この焼きメレンゲも美味い……マスター、あんたの手焼きかい?
てかさ、あんた独り身?
「何をいきなり……ええ、はい! 当方、絶賛『独り身』でございます!!」
ふうん……美味い紅茶も淹れられる、お菓子も作れる、しかも男前ときた。女の子の「理想のダーリン」って感じなのにな。
「お世辞は良いです! は・や・く! のろけを! あなたさまの砂糖吐くような甘い話を~!!」
はは、おかしなやつだねあんた。他人ののろけが好きだなんて……。っと、その前におかわりくれる? 紅茶……ああ、ありがとう。二杯目も美味いな……。
はは、もったいぶるなってか? 分かったよ、んじゃあそろそろ話そうか。
つーか、あんた俺の職業分かる?
「えー……。何かの職人ですか?」
違う。
てかえらくぞんざいな答えだな! もうちっとやる気出せよ、おまえさんの大好きなのろけに繋がる話だからよ。
「んー……司祭?」
おまえ、どっからその答えが出てきた? 聖職者に見えるか、俺が?
「えぇえ……ワインソムリエ?」
おお、今度はお洒落に攻めてきたか。残念ながら、こちとら酒は一滴も飲めねえんだ。
「……降参です! 分かりません!!」
はは、まあ当たりっこねえわな。
……俺な、実は死神なんだ。ヒトサマの魂を幽界からお迎えに行く、その下っぱのお仕事なんだ。
そんでな、俺は十三年前、ある「お仕事」で人間界に行ったんだ。六歳の女の子の魂を、地上にお迎えに行ったんだ。
名前は「アンジェリカ」っつってな、めちゃくちゃ病弱な女の子。お迎えに行ったその瞬間に、女の子はお風邪を召してな……その夕方には風邪が悪化してポックリっていう、まあ簡単なお仕事だ。
て訳で、俺は「とっとと業務を遂行して、早めに帰宅して趣味の絵描きでもしようかな」と……そう考えて出発したんだ。
しかし事はそううまく運ばなかった。迎えに行ったまさにその時、アンジェリカはクレヨンで画用紙に絵を描いていてな。
まあそれがすさまじい熱中ぶり! クレヨンが手の熱でぬるぬるになるのもお構いなしで、画用紙が溶けるほど凝視して拙い花の絵を描いてんだ。
こっちが黒衣に大鎌の「伝統的死神スタイル」で背後で恐い顔かましてんのに、見事なまでに気づきゃしねえ! 気配に気づいてふり返りもしねえんだ!
「……もしもし、そこのお嬢さん? 死神が後ろに来てますよー?」
こう何べんも言わしてな、アンジェリカはやっとこっちを振り向いたんだ。その青色の宝石みたいな瞳に、こちらの黒い姿を映して、女の子はまたくりっと描きかけの画用紙に目を戻した。
ふわふわの金髪がちらっと乱れて、幼い肩口で窓からの日ざしを反射した。
「……あの……死神……」
「残念だけどね、死神さん! あたし今とっても忙しいの! たまの元気な今のうちに、大好きなお絵かきをいっぱいしなくちゃいけないの!」
なあ、こう言われて熱のこもった背中を見せてお絵かきされて、それでも職務を遂行できる男なんざ、世の中に何人いると思う?
いるんだろうよ、なんせ幽界の死神さまだ、血も涙もない死神さまだ! 無理やりに魂奪って幽界の底に連れて行って、幽界の王様取次ぎに「はいどうぞ、今日の分の魂です」って引き渡して、自分の家に帰ってホラー映画を観たりするやつ!
「……あの、すみませんが一つ疑問がありまして……。その女の子の魂は、幽界に連れていかれるほどに、悪いことなんかしたんでしょうか?」
ああ、すまん! 説明が足りなかったな!
あのな、人間の魂っつーもんは、死後は必ずいっぺん幽界に行くんだよ。そんでそこで「お裁き」があって、見事合格したらめでたく天国へ! ……と、まあそういう仕組みになってるんだな。
まあそんなこたあ、下っぱの死神にゃあ関係ねえ。あくまでお仕事、とっとと済まして自分の時間を有効に使う。それが普通の死神さまだ!
……でもな、情けないことに、俺はそう出来ない「ダメな方の」死神なんだ。
(うん、まあ気が済むまで描いたら良いさ。ちょっと俺の帰宅後の自由時間が減るだけだしな……)
そう思って腕組みをして待っていたら、しばらく後にアンジェリカはふうーっと大きく息をついて、手を止めて満足そうに微笑ったんだ。それからやっと思い出したみたいに、俺を見てクレヨンをさし出したんだ。
「ねえ死神さん、あなたも何か描いてみて!」
まあそう言われちゃあ、こっちも嫌いじゃないしなあ? ちょこちょこっとクレヨン使って、簡単な花の絵を描いたんだ。
そしたらアンジェリカが青い目をきらきらさせてなあ、本当に尊敬した! って顔して、憧れがいっぱいの笑顔を向けるんだ。死神の俺に向かってな……!
「……すてき! ものすごく綺麗だわ! ねえねえ死神さん、あなたのお名前なんて言うの?」
「……クラウディオだ。『夢見絵描きのクラウディオ』って、幽界じゃそう呼ばれてる」
「夢見絵描き? すてき! すてき! ねえねえ死神さん、クラウディおじさんって呼んでいい? クラウディおじさん、あたしの絵のお師匠さんになってくれないかしら?」
正直もう俺は、このお嬢さんに情が移ってしかたなかった。
何せ「夢見絵描き」ってのは、幽界じゃほとんど蔑称だったからな。「一丁前の死神のくせして、夢見る乙女が描くような花やお菓子の絵しか描けない」って、蔑みの言葉だったからな……。
それがどうだ? 目の前の女の子は大きな瞳をきらきらさせて「お師匠さんになって」ときた!
そのアンジェリカのほおに、だんだん熱っぽい赤みがさしてきて、少女はふうっと力を抜いて、俺にもたれかかってきたんだ。
「……あれ? ちょっとはしゃぎすぎちゃったみたい……何だかお熱が出てきたみたい……」
ああ、死を呼ぶ最後の風邪のきざしだな。
そう思った俺は、黙って少女の白いひたいに静かに右手をあてたんだ。そうしたらアンジェリカはほどなく元気を取り戻して、にっこり笑って言ったんだ。
「……あら? 何だかお熱がひいたみたいよ。クラウディおじさんの大きなおててが、ひんやり気持ち良いからかしら?」
俺は声なしでうなずいて、「ちょっと待っててな」と言っていっぺん幽界に戻ったんだ。そうしてすぐに人間界に戻ってきて、アンジェリカの目をまっすぐ見つめて言ったんだ。
「アンジェリカ、君はもうじき死ぬはずだった。今日この日の夕方に、死ぬはずだった命なんだ。……でも俺はさっき、『十日間の有給休暇』をとってきた。だから十日間君は生きられる。そのあいだはずっと元気でいられるから、せめてそのあいだ、ふたりで一緒に絵を描こう」
アンジェリカは青い目をぱちぱちさせながら、こっちを見つめて聞いていた。そうして大きくうなずいて、ちょっとばかり不思議そうにこう訊いた。
「……ねえ。『ユーキューキューカ』って、なに?」
* * *
十日間はあっという間に過ぎていった。
そうしてその十日間が、それまでの俺の『死神ジンセイ』で、一番幸せな時間だった。アンジェリカが絵を描いて、その絵にいろいろアドバイスして、俺もいろいろ絵を描いて、そのどれもを全身全霊で褒めてもらって……。
なあ、この話はまぎれもないのろけだろう? そう、死神の俺はもうアンジェリカに「魂を奪われて」しまっていたんだ!
そうして、約束の十日後がやって来た。アンジェリカはもう全て受け入れた表情をして、ゆったりと俺のひざを椅子がわりに、俺に体をあずけてきた。
「もう良いわ、もう満足よ……ねえ、クラウディおじさん。最後のお願い……あたしの魂を抜きとったら、あたしも同じ死神にして……。あたし、死んでもずっと、クラウディおじさんと一緒にいたい……!」
俺はうなずきはしなかった。「俺の天使」アンジェリカのひたいに最後のキスをして、そこを撫でてからこう告げた。
「それは出来ない。君はもっと生きるが良い。でもそのためには、俺とはこれでさよならだ……」
「――何で? 嫌よ、そんなの! あたしもっとあなたと、一緒に絵を描いて、ふたりで笑って、それで……!!」
その続きは聞けなかった。聞いたら未練が生じるからな。
そんで俺は、また幽界に立ち戻って、幽界の王様に直接「辞表」を渡したんだ。王様は一言「良いのか?」とおっしゃった。俺はうなずいてこう言った。
「ええ……俺は死神を辞めたいです。俺を人間にしてください。死神の特権の『永遠の命』も捨てますから……その分『人並みの寿命』を、あの子に……アンジェリカに渡してください」
「しかし、そうするとアンジェリカはおまえのことを忘れるぞ。彼女の近くに生きようとも、おまえは彼女にとって『赤の他人』になるのだぞ」
「それでも……」
俺は二三度つっかえて、ようやっと言葉を口にした。
「それでも、俺は構いません。どうかあの子に、人並みの寿命と幸せを……!!」
そう言ったとたんに、俺は体が無くなるような感覚に襲われた。目の中で何度も火花が散って、飲めない酒をあおったみたいにくらくらして……。
気がついたら、もう見覚えのない、狭い家の中にいた。
目の前には白いキャンバスと、手にしていたのは絵の具皿。色の乗ってない絵の具皿には、一枚の紙がくしゃくしゃに丸めて置いてあってな。その紙を広げて見てみると、黒インクでこう書かれていた。
『お前の名はクラウディオ・クレメンテ。
年齢は二十九歳。気難しいことで有名。
アンジェリカと同じ村に住む、売れない「夢見絵描き」の男』
俺はしばらく黙ったまま、その紙の文字を眺めていた。その字がしだいにうるうる潤んで見えて、ぼつっぼつっと紙に塩辛い水が落ちた。インクの文字が青くにじんだ。
ああ、もうこれでアンジェリカとはお別れだ。彼女にとって俺はもう、「同じ村に住む偏屈な売れない絵描き」でしかないんだ。
もう村の中ですれ違っても、彼女はあいさつもしてくれないだろう。恐いものを見るように、さっと身をかわして駆け去っていってしまうんだろう……。
そう思って肩を震わせて泣いていた時、とんとんと玄関のドアがノックされたんだ。俺はあわてて涙をぬぐって、出来るだけぶっきらぼうにぐいっとドアを開けたんだ。
さあ、そこに誰がいたと思う? アンジェリカだ! 俺の愛しいアンジェリカだよ!! ……でも俺はあんまりの喜びに笑い出したいのを押し隠し、ぞんざいにこう言ってやったんだ。
「早く帰んな、お嬢ちゃん。どうせあんたは『俺に絵を習いたい』とでも言うんだろう? でも残念だが、俺は弟子はとらねえんだ……。おまけにあんたみたいな『おしりの黄色いヒヨコちゃん』みたいな子どもならなおさら、弟子になんて出来ねえな! さあさあ、とっとと帰んなお嬢ちゃん!」
血を吐く思いでそう言って、俺はぺっぺと掃き出す手つきで手をふったんだ。
そしたら彼女、いったい何て言ったと思う? あきれたことに、にっこり天使の笑顔を見せて、ふわっと俺の手をとってな、可愛い声でこう言ったんだ!
「そんな恐い人のふりしたって駄目よ、夢見絵描きさん! あたしみんな覚えてるのよ、優しいやさしいあなたのこと! あんなに一緒に絵を描いたじゃない、あたしを救けてくれたじゃないの! だからあたしをまたお弟子にして、『夢見絵描きのクラウディおじさん』!!」
俺はもう、何がなんだか分からないくらい嬉しくなって、アンジェリカを思いっきり抱きしめた。抱きしめて、柔いほっぺたに雨あられとキスを浴びせて、抱き上げて一緒にくるくる回って、笑って、泣いてまた笑ったんだ。
「……それにしても……アンジェリカはどうしてあなたのことを、ちゃんと覚えていたのでしょうか?」
さあ、それは俺には分からんさ。
死神が辞めたいと言うなんて、万年に一度くらいの珍しい事例だからな。王様が面白がって、気まぐれに赦してくださったのかも……。
あるいは単に「愛の奇跡」としたって構わないんだからな。――いや、俺はそう信じるね! アンジェリカと俺の、想いの強さが起こした奇跡! どうだい、これは最上級ののろけじゃないか?
……とにかくまあ、それから俺は十二年たっぷり待った後、十八歳になったアンジェリカとようやく結婚したんだよ。
え? 今? ちょうど結婚から丸一年経ったところだ。本当に幸せでしょうがないよ!
だから俺はな、本当は「元死神」なんだ。今はれっきとした「夢見絵描き」だ。しかも国中に名の知れた「夢見絵描きのクレメンテ夫妻」なんだ!
……そう! あれから一緒に絵を描き続けて、アンジェリカも立派な絵描きになったんだ! 夫婦で描いたたくさんの絵は、本物は国の貴族のお屋敷を、レプリカはこじんまりした家々の居間を飾ってるんだ!
そんで、出来れば生まれてくる子も絵描きになればいいなって……。
アンジェリカの大きいおなかを撫でながら、毎晩二人で話してるんだ!
あ、違った! 「三人で」だな!!
* * *
「夢見絵描きのクラウディオ」は、そう言ってとろけるような笑顔を見せる。そうしていかにも幸福そうに、メレンゲをさくりとほおばった。
喫茶店のマスターは、何とも言えないフクザツな笑みをほおに浮かべた。
「いやいや……! 特別甘いのろけ話を、ごちそうさまです……!!」
「はは、そう言いながらなんか顔が引きつってんなあ。あんたも早く良い相手見つけろよ。人生変わるぜ? 俺みたいにな!」
(よけいなお世話じゃこのヤロォおおお!!)
マスターはそう叫び出すのをぐっとこらえて、ひらりと空から取り出した小さな袋をさし出した。
「……何だ、これ?」
「ハートの形の角砂糖です。この角砂糖がある限り、想うひととの夢での逢瀬を楽しめます。……けれども角砂糖はそのたびに、お茶に入れて溶かして飲まねばなりません。砂糖が全てなくなれば、もう夢での甘いティータイムはかないません」
「へええ! ずいぶん良いもんだな、もらっとくよ! ……しっかし、美味いお茶に手焼きのメレンゲ……その上に砂糖のおみやげなんて、あんた丸損じゃないのかい?」
「いえいえ、これはのろけ話を聞かせてくださったお礼です。なんせここは『のろけ話の買取所』でもあるんですから!!」
半分キレ気味の笑顔で応えるマスターに、元死神の幸福男はほくほく顔でお礼を言って帰っていった。
店に独り残されたマスターは、むすくれながら店に漂う「のろけの残り香」をしなやかな手でかき集め、魔法みたいに凝縮して、見る間に小さな花型のクッキーに変じさせた。
そのままいかにも面白くなさそうな顔つきで、花の形のクッキーをぼりぼりかじる。あっけなくかじり終えた青年の姿の生き物は、情けない顔でため息をついた。
「――あーあ! いくらぼくが『のろけ話を食べなきゃ生きていけない人外』だって、万年独り身で毎日お客ののろけを聞き続けなきゃいけないなんて……! ここは地獄か!? 砂糖漬けの甘い地獄かっ!!?」
マスターが独りでぎゃあぎゃあ騒いでいると、ふっと店の扉の前に淡い人影がちらりとさした。どうやら次のお客が来たようだ。
マスターはあわててこほんと咳払いし、手遅れ気味に急にすまして、たった今使われたばかりの白い食器を洗い始めた。……
 




