ちょっと長めのプロローグ
あたし、今めっちゃ傷ついてます……!
てゆーかあたし、高梨 朱実! 現在十六歳と六か月のおひつじ座、バッキバキの女子高生なんですけども! イマドキの女子高二年生が、『川端康成』が好きじゃあダメですか!?
はっきり言うと、ノーベル文学賞受賞者の昔の文豪! 川端康成の書いた『掌の小説』にハマってちゃあ、何か問題ありますかっ!?
……ええ、ダメ? ダメなん? 「感性シブすぎ」って自分ツッコミが聴こえたわー! うるさいわ自分ー!
ええ? 「好きだった男子に告白されたのはヨシ。だが付き合いだして三日目で『重い。ってか話が合わない』ってフラれたのは、『掌の小説』をプレゼントしたからだろう」って?
あーうるさいわー! 心の声マジうるさいわー!
だって付き合って二日目までは、どんなにコアな文豪語りしても「うん、うん」って笑顔でうなずいてくれたんだもん! 無理して相手してくれてたって、語れる喜びに酔ってて全然気づかなかったんだもん!
正直「これあたしの座右の書! 読んで!」って渡した瞬間にドン引かれたの今さらありあり分かったわー! でも二三ページパラ見して、「古本屋で十円ってところだな」ってつぶかれたのけっこうマジでショックだったわー!!
え、何? 「一応文学少女なら、もうちょい文学的に嘆いてみせろ」? お、言いますな心の声! ほんならいっちょやったるわ!
* * *
文学少女は悲しんだ。
好きだった男子にも理解されない己の趣味を悲しんだ。
そもそも彼女は幼い時から、文学好きになる運命を親の手で決定づけられていた。少女の両親もまた、文学好きだったのである。
両親は少女に早くから本を与えた。のみならず、少女の家には「大人用の本棚」まで当然のごとく幾つもあった。
よく「本好きな子どもにするには、何をしたら良いですか?」という問いを「若い親」が口にするが、「親が本好き」であれば良い。それだけだ。
親が根っから本を好まないのなら、大抵の子どもも本を好きにならない。両親が本の虫で、日ごろから心底楽しんで本にかじりついていれば、自然と子どもも興味を引かれ、本好きになるものなのである。
さて、こうした下地があって、少女は立派な文学少女に成長した。
しかし悲しいかな、今時彼女と同年代で『掌の小説』を愛読する者は少ない。彼女は自分が「浮かない」ように、文学への熱い想いを胸に秘めて「イマドキの女子高生」らしく振舞わなければならなかった。
そんな彼女に、初めての彼氏という存在が出来た。少女は「彼になら、本当の自分を見せられる」と小さな胸を高鳴らせ、座右の書をプレゼントした。
『掌の小説』。
その名の通り、ごくごく短い掌編だけの詰め合わせだ。中でも特に短いものは分量がたったの「見開き1ページ」、そういう「手のひらサイズ」の話が122編入っている。
しかし書き手が日本の文豪・川端康成、もちろん一筋縄ではいかない。
現実を扱った話なのかと読み進めると、途中から眩暈のするような幻想の気を帯びてきたり、ただ甘ったるい恋の話かと思わせておいて、背すじの凍るような狂気に満ちた結末を迎えたり……。
少女は今まで誰とも交わせなかった『掌の小説萌え語り』を、これからは思うさま彼と語れると信じていた。
しかし、現実は厳しかった。彼は少女の趣味を欠片も理解しようとはせず、「話が合わない」という一言だけで彼女を捨てて去っていった。
そうして彼に連れ去られた一冊も、おそらく十円で「身売り」されるであろう。彼女の手もとに残ったのは、読み倒されてめろめろになった己の『掌の小説』一冊きりであった。……
* * *
っはっ、どうじゃあ心の声! あたしだってやればそれなりに出来る子なんじゃあ!
……やばい、「心の声」まで動員してムリヤリ空元気出してたら、逆にどんどん虚しくなってきた……。
そうだ、お酒だ! こういう時はお酒よ、お酒!
「花に嵐の例えもあるぞ さよならだけが人生だ」……。
でぇえーいうるさい! いちいち文学っぽい言葉を思い浮かべるなあたしぃい!
ああ、もう何も考えたくない! 彼の捨てゼリフも、文学っぽい名言も、お酒を飲んで忘れるのよ! 今までお酒飲んだこと一度もないけど! てかこの前、料理に使う用にママが出しといた「みりん」間違えて飲んで昏倒したけど!
でも良いの! 昏倒しちゃえば嫌なことみんな忘れられるっ!
おお! おあつらえ向きにこんなところにバーがある! ……って、あれ? 何この看板、『カフェ・オートクチュール』って書いてある……。
……カフェ? ここカフェなの? こんな「どっから見ても大人専用のバーですよ」って雰囲気出しといて?
……うん、まあ良いや! こんなアダルトな雰囲気ばりばりのカフェだったら、お酒も当然置いてあるでしょ! いざ失恋の傷を癒しに、突撃じゃあああー!!
* * *
「いらっしゃいませ、初めまして。
失恋したんですってね、大丈夫ですか?」
からんからんとドアベルを鳴らしてカフェに入った瞬間に、朱実はマスターに気づかわれた。
「えっ何? 何で知ってるのお兄さん!?」
「いえ、今さっき店の前でご自分でおっしゃってらっしゃいました……かなりの大声で」
朱実はじわじわと首からひたいまで真っ赤になった。どうやら初めての失恋で、少女はめちゃくちゃ心が乱れているらしい。その少女の出鼻をくじく格好で、年若いマスターはもの柔らかくこう告げた。
「ちなみに当店、未成年のお客さまにはお酒はお出ししておりません」
「っへっ!? ……いやいやあたし、こう見えても二十三よ?」
「お客さま、嘘はいけません。先ほど大声のひとり言で、『てゆうかあたし、高梨 朱実! 今現在十六歳と六か月、バッキバキの女子高生なんですけども!』とハッキリおっしゃってらっしゃいました。あとそのセーラー服でバレバレです」
「ううう……てゆうかお兄さん、あたしの声真似? 裏声めっちゃ綺麗ですね……てかあたしの声より綺麗」
「おほめにお預かり恐縮です☆」
「裏声はもうイイっての!」
破れかぶれに大きな声を出しながら、朱実はどかりとカウンターの席に座った。
いかにもカフェのマスターらしき服装で、青年は黒髪のポニーテールを揺らして微笑う。朱実は「イマドキの女子高生・擬態用」に染めた茶髪のロン毛が、なんだか恥ずかしくなった。
その恥ずかしさをごまかすために、自分の毛先をくるくる指でいじりながら、「……お兄さん、お名前なんてえの?」と何となくそう問いかけた。
マスターは長いまつ毛をぱちぱちさせて、「リールです。リール・エクリール・パルレです」と事もなげにそう答えた。
ひたいに垂れ落ちる黒髪の向こうに、深く青い瞳が見える。
海と空との、一番綺麗なところを合わせて結晶させたような青だ。
思わずの朱実の凝視にひるんだような顔も見せず、リールはことりと白いティーカップをカウンターに置いてみせた。
「一杯八百円になります」
「……っへっ?」
「先ほどの大きなひとり言をうかがうと、朱実さまは『掌の小説』がお好きとか。もちろんかの文豪には遠くとおく及びませんが、いくつかお好みのコンセプトをうかがえば……」
と、そこでリールはぱちんとウィンクしてみせて、
「同じように、ごくごく短いお話を作ることは出来ますよ? お話に、紅茶をカップ一杯と、ちょっとしたお茶菓子をおつけして……。ここは『カフェ・オートクチュール』ですから」
え? え? 何、そういうこと? それで店名が「オートクチュール」?
よく考えればかなりいかがわしい提案に、朱実はあっさり気分が湧きたった。何だかんだ言ってもバッキバキの文学少女、なかなかのファンタジー脳なのだ。失恋したてで、心がやたらと楽しいこと、うきうきするような「癒し」を求めていたのもあるだろう。
「よおしっ、その挑戦乗った! でもあたしも中学生からの『掌の小説』好きだから、中途はんぱな出来じゃあ満足しないわよ? その上けっこうファンタジーも好きだから……」
急に生き生きしだした朱実が、口もとに手を当てて考え出す。明るくなった表情をなおさらぱっと明るくして、甘えるように挑むようにリールにこう「オーダー」した。
「よしっ! じゃあ『宝石』でいってみよう! サファイアとかオパールとか、ダイヤモンドとかの接ぎ合わせで体が出来てる人工生命体! そういうキャラが出てくる話! タイトルは『宝石の花嫁』でっ!」
「ご注文、うけたまわりました」
リールは柔らかな笑顔でわりと無茶ぶりな注文を受け、しなやかな仕草でするすると紅茶を淹れ出した。
見たこともないようなフレッシュハーブを数種、魔法のように取り出してさっと葉っぱをちぎって洗う。温めておいたポットに緑の葉っぱと茶葉を入れ、沸騰したての湯を注ぐと、虹色のガラスのくずのような粒の入った砂時計を、とんと音立てて逆さにする。
きらきらのくずがきらきら下に落ちるのも見ず、リールはどこからか持ち出した白い紙――文庫本の「見開き1ページ」くらいの大きさの紙数枚に右手を置いて、美しく青い目を閉じた。
何か祈っているように見える。念じているようにも見える。
ええ、砂時計見ないの……?
ってか何してんの? 砂時計って、お茶の抽出時間計るためでしょ? これで美味しい紅茶淹れられんの……?
いぶかる朱実の目の前で、不思議な砂時計の最後のガラスの粒が落ちる。と、その瞬間リールはぱっちり目を開けて、ポットの紅茶をカップに注いだ。
あっけにとられる朱実の前に、湯気を立てるお茶のカップと、さっきまで白かった紙がひらりと置かれた。
「……え? えぇえ!?」
朱実は思わず小さな紙をくしゃっと言うまで両手でつかんだ。
信じられない! いつの間にか、紙に文字が印刷されてる! しかもタイトルが今さっきあたしの言ったのとおんなじだ!
言葉もなくリールを見つめる朱実の前に、リールは小皿をさし出した。ふちに小花をあしらった小皿に、可愛らしいメレンゲが五粒のっている。
「さあどうぞ、ご賞味を。お口に合えば良いのですが……」
大人の余裕を見せて微笑むマスターに、朱実はなんだか子ども扱いされた気がする。ちょっとほっぺをふくらませ、それでも「出来たての物語」に目を落として、読み始めた。