*水色の瞳
ミヒャエルという少年が、この星の片隅に生きていました。
少年は教会で暮らしていました。
といっても、教会で生まれた子ではありません。
ミヒャエルは捨て子だったのです。初雪の降る凍てつく夜に、教会の前にころりと放られていたのです。赤ちゃんだった彼の泣き声が大きくなければ、そのまま凍えて冷たくなっていたでしょう。
そんな彼は、他の捨て子や親なし子たちと一緒に、教会で育てられました。
ミヒャエルは人間には珍しい水色の瞳をしていましたが、そのことを特に気にもしていませんでした。
そんなある日、若い牧師さんがいつものように、子どもたちに絵本を読んでくれました。子どもたちのリクエストで「救世主と魔王のたたかい」という絵本を読み始めた牧師さん。彼は途中で言葉に詰まって、「しまった」という顔をしました。
『魔王の瞳は凍りつくような、水色の炎に燃えていた』――。
そんな描写があったからです。子どもたちはそこでいっせいにふり返って、一番後ろで聞いていたミヒャエルの目を見つめました。
牧師さんは大あわてで「他の絵本を読みましょうね!」とたたかいの絵本を話し半ばで取り替えました。
それだけです。たったそれだけのことでしたが、ミヒャエルは自分の瞳が大嫌いになりました。
ああ、自分の両親はきっと、「敬虔な国宗信者」だったんだ。
だからたまたま水色の瞳に生まれついた自分を「悪魔の子」だと決めつけて、「教会で処分してください」とでも言うつもりで、凍える冬の夜に捨てたんだ。
もしかしたら、そんな凍てつく初雪の晩に捨てたのも、「いっそこのまま凍えて死ねば良い」と暗く願ってのことだったのか。そうだ、そうに違いない――!!
幼い頃に死をまぬがれたミヒャエルの心は、そこで凍てついてしまいました。
誰も何も、絵本の一件からミヒャエルをいじめ出したりはしていません。同じ痛みを知る子どもたち、今までと同じように話してくれます、遊んでくれます。けれどミヒャエルは自分の瞳が大嫌いに、自分自身が大嫌いになりました。
そんな彼は、やがて教会併設の「職業学校」に入りました。
選んだのは人形制作科。理由は「人形には意思がない。ぼくの水色の瞳のことも差別しない」からです。
彼はひたすらに人形作りの方法を学び、一人前になって教会を巣立つために頑張りました。
――いえ、本当は違ったのです。
ミヒャエルは正直、生きることに嫌気がさしていたのです。でも死ぬのも辛そうなので、本当を言えば惰性で生きていたのでした。
そんなミヒャエルに、女友達が出来ました。
彼女の名はラファエラ、教会に捧げるお花を持ってくる花売りです。彼女はミヒャエルの水色の瞳をはなから気にする風もなく、ころころと小さなガラスの鈴を転がすような、可愛い声で笑う子でした。
ミヒャエルは卒業試験で「人形を一体作る」という課題が出た時、彼女そっくりのお人形を作りました。そうして無事合格し、学校を卒業することになりました。
ミヒャエルはそのお人形を、モデルのラファエラにプレゼントしました。そうしたらラファエラの喜んだこと! お人形に何度もキスをして「毎晩抱いて寝るわ、本当よ」と何度も何度もくり返して「本当にありがとう」とミヒャエルのほっぺにもキスをしました。
そうして、そこでミヒャエルはやっと分かったのです。
――ああ、ぼくはこの子のことが好きなんだ。
そうしてこの子もきっと、ぼくのことを好きでいてくれているんだ。
ミヒャエルはその場で彼女に告白しました。
ラファエラもそのプロポーズを受けました。
そうしてミヒャエルは教会を出て、小さいお家で二人で暮らし始めました。ミヒャエルは人形を作り、ラファエラはお花を売りに出かけます。
そうしてそのうち、二人に子どもが出来ました。
子どもは可愛い女の子で、クリス・タと名づけられました。しかしミヒャエルには、一つだけ気にかかることがありました。――クリスの瞳も水色なのです!
ああ、悪いものをあげてしまった。母親の方に似て、ラファエラの甘いはちみつ色の瞳になれば良かったのに……。この子も将来、この瞳のせいでいろいろ苦労をするんだろうか?
そう思いながら、ミヒャエルはクリスのためにも、お人形を作りました。
クリスが好きでよく着ている、桃色のワンピースとそっくりな服。栗色の髪も、ショートボブの髪型も、クリス本人にそっくりです。
ただ、瞳の色だけが違います。出来上がったお人形は、深い青いガラスの瞳をしていました。
「水色のガラス玉を切らしていてね……そのうち材料が手に入ったら、その時にちゃんとつけ直そう」
ミヒャエルは娘にそう言いましたが、もちろんそれは嘘でした。ミヒャエルは、お人形まで自分と同じ水色の瞳にはしたくなかっただけなのです。彼は娘の瞳の色を、内心で本当に気に病んでいたのです。
お人形の瞳は、いつまで経っても深い青色のままでした。
そうしてクリスが生まれて、六年が経った時のことです。公園で遊んでいたクリスをミヒャエルが迎えに行った時のことです。クリスが仲良しの男の子と砂場で遊んでいるのが、ミヒャエルの目に映りました。
「迎えに来たよ。おいで」
呼びかけようとしたとたん、男の子がおっとりとクリスを見つめて言いました。
「そういえば、今初めて気づいたけど……君の目は、綺麗な水色をしているね!」
ミヒャエルの心にびしりとヒビが入ったようでした。
男の子には何もそんな気はありません。いつもおっとりな彼のこと、本当に初めて気がついてただ口にしただけでしょうが、ミヒャエルは気が気でありません。
クリスは何と思ったでしょう。一体何と答えるでしょう。
ざわざわしながらその場に立ち尽くすミヒャエルの目に入ったのは、弾けるような幼い娘の笑顔でした。
「ええ、そうよ! この目はパパとおそろいなの!」
嬉しそうに答えてから、クリスはミヒャエルに気がついて、「パパ!」と大きく手をふりました。ミヒャエルは「迎えに来たよ」と口にして、何ごともなかったみたいにさらりと娘の手をとりました。
「……ねえ。お人形の瞳、そろそろ水色に変えようか。ようやく材料がそろったんだよ」
ミヒャエルは、この一言に全ての想いを込めました。一生分の「ありがとう」を言葉にのせたつもりでした。クリスは何にも気づかずに、「やったあ!」とあどけなくはしゃいでいました。
その晩に、クリスは熱を出しました。単なる軽い風邪でした。クリスは「早くよくなって、またお外で遊びたい」と、ベッドの中で人形を抱いて寝ていました。
熱は下がりませんでした。病状は日に日に悪くなりました。
こじらせてしまっては、風邪も大病と一緒です。お医者に診てもらった時には、もう手遅れの状態でした。
クリスは水も飲めなくなって、それでもずっとお人形を抱いていました。
お人形の青い瞳は、青い瞳のままでした。
水色の瞳にパパがつけ替える余裕もないまま、持ち主はこの世を去ったのです。
ミヒャエルはクリスの枕もとで医者が首をふった瞬間、ベッドサイドの果物ナイフをとり上げました。そのナイフをふりかざし、ショックのあまりに自分の手首を切ったのです。
命は何とか取り留めましたが、もうミヒャエルは抜け殻でした。
クリスは「桃色のワンピース着て、天国へ行きたい」と言い遺して逝きました。だからお人形とおそろいみたいなワンピースを着せられて、お人形と一緒に棺の中へ入れられました。
そうしてふたを閉められて、十字架の下に眠りました。
もういないのだ。
水色の瞳の愛しい娘は、もうどこにもいないのだ。
そう思いながら墓前でいつまでも泣いている父のもとに、娘は姿を現しました。
「パパがあんまり悲しそうだから、しばらくここにいてあげるわね」
そう言ってくれるクリスの姿は、ミヒャエル以外には見えません。近所の人にも牧師さんにも、妻のラファエラにも見えません。
けれどもミヒャエルは仕事のない日は一日中、こうして墓前にいるのです。
仕事終わりに図書館に行って仕入れたたくさんのお話を、娘のクリスに話すために、このひと時のためだけに、ただただ生きているのです。
* * *
話を終えたミヒャエルは、ぐいとひたいの汗をぬぐった。ひたいの汗をぬぐうそぶりで、潤んだ瞳もぐいとぬぐった。
「やれやれ、汗をかいちゃった……慣れないことはするもんじゃない」
見えすいている言い訳を、にじんだ声でつぶやいた。
「……ありがとう、パパ」
心の底からお礼を言って、少女の霊はくすぐったそうにはにかんだ。
その瞳から、透けるしずくがしたたり落ちた。父親譲りの美しい水色の瞳から、後から後から涙が落ちる。
あわてるパパに無理やりに微笑ってみせながら、クリスは告げた。
「――もう、お別れよ」
その声はあまりに柔く、あまりに優しく……否定できない、靭さがあった。