*真珠の浜辺
どこかの国のどこかの浜辺は、「真珠の浜辺」と言われます。
それはもちろん、出来すぎた甘い夢のように、よく真珠が採れるからです。
そこの砂浜を五分も歩いてごらんなさい。小さいものも数に入れれば、十も真珠が見つかるでしょう。浜辺に光っている白いものは、もちろんたいてい真珠です。
それではどうして、この砂浜にはこれほど真珠があるのでしょう?
答えは簡単、この海の底に棲む人魚たちが、とっても泣き虫だからです。
……ああ、これでは何だか分かりませんね。順を追って説明しましょう。
この真珠の浜辺につながる海には、幾千幾万の人魚たちが棲んでいます。人魚たちの涙は、ぽろぽろとこぼれて白く輝く真珠になります。そうして海の底から浮き上がってきたその涙が、浜辺へと打ちあがって、小さな太陽のしずくのように、白くきらきら光るのです。
おまけにどうした理由なのか、ここの海の人魚たちは本当によく泣くのです。悲しいと泣き、淋しいと泣き、怒っても泣き、ことに嬉しいとわんわん嬉し泣きに泣きます。そういう訳です、この「真珠の浜辺」が真珠であふれている訳は。
さて、その泣き虫な人魚たちにはもちろん長がおりました。長には娘がおりました。娘は赤色の長い髪に、潤んだ青い宝石の瞳。名は「シレーナ」と言いました。
シレーナは、満月の晩にひとり静かに海面まで浮き上がり、海に切れぎれに映る月と、夜空にかかるまんまるな月とを見上げるのが好きでした。
ある満月の晩、シレーナはいつものように、まんまるい光の珠を眺めに、海面へのぼっていきました。
すると、浜辺には先客がおりました。若い人間の男と女、どうやら逢い引きのようなのです。
「でも、ぼくとじゃあまりにも釣り合わない……」
「そんなことないわ。わたくしはあなたの優しさに、もうずっと前から……!」
切れぎれに波の音にまぎれて聴こえてくる会話。それらをつなぎ合わせると、どうも二人はお姫様と漁師の息子のようなのです。
お姫様は自分の身分に嫌気がさし、窮屈なお城をこっそり脱け出して海岸へ。そこで石につまづいてケガをして、通りかかった漁師の息子が手当てをしてくれたらしいのです。
「みすぼらしい恰好をして変装していたこのわたくし。そんなわたくしを手当てしてくれたあなたの優しさ! もう離れることなど出来ません……!」
「いや、ここいらの者は誰でもそうです。困っている者を見過ごす人などいやしません。けれども、ああ、高貴な身分にも関わらず、ぼくを愛してくれるあなた! 離れがたい、ぼくだってとても離れがたい……!」
そのやりとりを聴いているうち、シレーナはうっとりとなっている自分に気がつきました。夜空にかかる光の珠も、水面に映る揺れる光の乱舞さえ、ほとんど目には入りません。
恋を知らないシレーナは、まるで自分が甘い言葉をかけられている姫のように、ほおを染めて若者の言葉に聴き入りました。
……そうしていつか、その若者に恋してしまっていたのです。
けれども、決して結ばれることはない恋です。シレーナと若者が結ばれるなど、お姫様と若者が結ばれるよりもあり得ません。
(だって自分は人魚、あの方は人間……しかも恋するお相手がちゃんとおありになる。叶うことのない恋なら、黙って終わりにいたしましょう……)
そう考えたシレーナの青い瞳から、ぽろぽろと真珠のしずくが落ちました。生まれたての真珠の涙は、きらきら光る月の水面にぱらぱら浮いて、淡いあわい虹色の光を輪にして水に放ちました。
シレーナはその真珠を水にいくつも咲かせたままで、また深い深い海の底へと、ひとり潜っていきました。
そうしてその後ひと月もせず、お姫様と若者の仲は、王様の知るところとなりました。王様は怒り狂って、若者を捕えて牢屋に入れました。しかし恋する姫様のこと、そのことを知ったお姫様は泣きに泣き暮らし、まともに食事も摂りません。
困りきった王様は、一つ条件を出しました。
『若者にある試練を課して、合格したら二人の仲を認める』というのです。
お姫様がうなずくと、王様はお姫様に「部屋で休んでいるように」と言いつけ、若者を牢屋から引きずり出して、海岸へ連れて行きました。そうして「今晩中に一つでも真珠を拾えたら、お前と娘とをめでたく結婚させてやる」と言い残し、お城へ帰っていきました。
さあ、若者は大喜びです! なんたってここは真珠の浜辺ですもの、一晩もあれば真珠の粒など拾えないはずがありません!
しかし、目の前に広がる砂浜を見つめる若者の顔は、しだいに青ざめていきました。
「光らない……!!」
そうです。満月に照らされた目の前の浜辺は、いつものように光の粒が散らばったように、きらきらと光らないのです。
それもそのはず、王様は昼間のうちに『浜辺の真珠、一粒拾うごとに金貨一枚を与える』と、領地の民にお触れを出していたのでした。
あふれるほどに豊富な真珠、その上にころころ日ざらし雨ざらし。このあたりではほとんど価値もありません。
その真珠一粒で金貨が一枚もらえるのですから、これは良いこづかい稼ぎです。領民たちはこぞって浜辺に殺到し、真珠という真珠を一粒残らず採りつくしていたのです。
王様の策略に思い至り、若者は青くなりました。そうして後は必死になって、砂浜に這いつくばり、真珠を探し続けました。
また若者にとって悪いことには、ちょうどこの時が人魚の「断涙節」でした。人魚たちは一年にいっぺん、自らの目に感謝して目に休んでもらうために、ひと月のあいだ泣くことを禁じていたのです。
さあ、もう新しく真珠の浮いてくる可能性はありません。それも知らずに、若者は血走った目から涙を流しながら、涙を必死でぬぐいながら、がむしゃらになって真珠を探し続けます。
だが一粒も見つかりません。青い夜は少しづつはしから金色に染まっていき、もうじき明けてしまいます。若者は「真珠が見つからなければ、舌を噛んで死のう」と己に命じつつ、死ぬ気で真珠を探しています。
と、その時です。ひとりの美しい人魚が、少しやつれた美しい顔を、海面にぽっかりと浮かばせました。
シレーナです。彼女はもうじき朝空に白くかすむ満月を、海の底からのぼって眺めに来たのです。
いえ、本当はもう一度若者の顔を見られるかもしれないと、ひとすじの苦い期待を込めて、水面にあがってきたのでしょう。「もうこの恋は終わりにしよう」と、満月を眺めることすらあきらめようとしたけれど、あきらめられずに明け方に水面へのぼってきたのでしょう。
シレーナは浜辺の若者に気がついて、小さく声をあげました。若者が砂に這いつくばって必死に何かを探している様子を見つめて、思わず口もとを覆いました。
察しの良いシレーナのこと。
それだけで若者の身に何が起こっているものか、全て分かってしまったのです。
人魚の娘はひとり小さくうなずいて、若者のいる浜辺へ近づいていきました。
そうして自分の姿を見つけて驚いている若者の前で、静かにしずかに泣き出したのです。
断涙節の掟など、もう関係はありません。
罰がくだれば私が受けよう。
今はただ、愛する彼のためだけに、涙の真珠を与えよう。
――たとえそれが、この恋を失う大きなきっかけだとしても。
人魚の涙が後から後から真珠になるのを、若者は口を開けて眺めていました。それから何度も何度もシレーナにお礼を言いながら、海面に浮かんだ真珠の粒を集めました。
集まった真珠は、全部で七つ。
夜が明けてにやにや笑いで浜辺にやって来た王様に、若者は手のひらの真珠を見せました。王様はしばらく声を失って光の粒を見ていましたが、やがて怒号をあげました。
「この真珠、あまりにもつやつやと美しすぎる! 浜辺に転がる日ざらし雨ざらしの粒とは比べ物にならん! よってこの真珠はニセモノだ! こいつは王をだまそうとした嘘つきだ! 首を刎ねい、首を刎ねい!!」
若者は弁解する余地もなく、あっという間に首を切られてしまいました。
生まれたての真珠の粒は、鉄臭く赤く染まりました。
――その晩のことです、海が泣き出したのは。
それはあまりにも巨きな生き物が、恨みと哀しみに身もだえて呻くようでした。おーんおーんと、海は低く重く夜の闇に泣きました。
泣いて泣いて、そのうち信じられないくらい巨きなおおきな波を、ざあんと投げてよこしたのです。
ひとたまりもありません、お城は波にのまれました。街も何も波にのまれて、波は国一つのみ込んで、ようやくそこで海は泣くのを止めたのです。
国に住んでいた人たちは、残らず魚になりました。そうしてあのお姫様と若者だけは、海の水の凝ったような、海の精に生まれ変わって結ばれたのです。
彼らは永いながい一生を、ずっとふたりで過ごしました。
そうしてシレーナはずっと独り身で、心にあの若者を抱き続けながら、永く次代の海の長として暮らし続けたそうです。
日ざらし雨ざらしの浜辺の真珠が、くすんだ光を放って話した、昔むかしのお話です。……
* * *
一つめの話を語り終えて、パパは淡い笑顔を見せた。
「……どうかな? このあいだ図書館の隅っこで、見つけたおとぎなんだけど」
幽霊の娘はお人形を手に、ちょっと肩をすくめてみせる。
「まあ、いかにもパパの好みそうなお話ね……」
「はは、そうかい? クリス、お前はずいぶん大人びた物言いをするようになったねえ」
「それはそうよ。だってあたし、六歳の年に死んでからもう六年になるんだもの」
少女はさらりと述べた後、少しすさんだ微笑いようをした。パパも淋しげに微笑んだ。
「……そうだったねえ。このお話は、お前の好みではなかったかな? それじゃあ次は、こんな話はどうかなあ……」
パパは自分の持ってきたカボチャのパイに口もつけず、次のお話を語り始めた。
相変わらず幽霊の娘の表情は、淡いためらいに満ちている。何か言いたげに口を開いて、またつぐんで、パパのお話に静かに耳をかたむけ出した。