エピローグ・悪食さんとポトフちゃん
……ああ、いや、面白かったよ。
いろんなお話をしてくれてありがとう。こりゃあもう、覚悟を決めてボクの話をしないとね。
……ねえ、突然だけど「悪食族」を知ってるかい?
一見ふつうの人間だけど、とんでもない化け物なんだ。ぱっと見て見分ける方法が一つある……。普通の人間にしては、口がけっこう大きめなんだ。
そうして首の後ろ……いわゆる「うなじ」のところにもう一つ口を持っていて、その口を大きく開けて、魔物や人間を食らうんだ。
いやいや、非難しないでくれよ? 悪食族はその二つの口、どっちも使って食事をしないと、飢えて死んでしまうんだから! そうしてうなじの口の方はね、魔物や人間しか食べられないって、そういう生き物なんだから!
……え? 「他に見分ける方法は」って?
それは髪だよ、ポトフちゃん。やつらはうなじの後ろの口を隠すため、みんな長く髪を伸ばして「下ろし髪」にしてるんだ!
……ああ、そうだよ。ボクがその化け物、悪食族の一人なんだ。
「大道芸人で路銀を稼ぐ」? とんでもない!
ボクは本当は「賞金稼ぎ」をしてるんだ。その土地土地の張り紙を見て、賞金のかかった魔物や悪党を狩りまくって、首だけ残して残らず食べて、その首を金に換えてあちこちで荒稼ぎしてるんだ!
護身用の剣? そんなものはブラフだよ!
人目があるとこで「首を狩らなきゃ」いけない場合、その剣を使って敵を倒すってだけなんだよ。だってそんなとこでうなじの口で食事をしたら、このボクの方が「化け物だ!」って退治の対象になっちゃうからね!
……ねえ、もう分かったでしょう? ボクはね、君を食べたくて今まで話を聞いていたんだ。宿で行き合わせた時から、「可愛いな」「美味しいだろうな」「食べたいな」って思っていたんだ。
本当を言うとね、あんまり可愛いものだから「ただ食べちゃうのがもったいないな」って思ってさ……。遺言のつもりで君の話を聞いていたんだ。
でもダメだ。君の話を聞いてるうちに、もっともっと聞きたくなって……。君のその「人間らしからぬ」感性に、どんどん親しみを覚えてきちゃって……。
ああ! もう正直に言うよ、ポトフ、ボクは君を好きになっちゃったみたいなんだ! もっともっと一緒に過ごして、いろんな話を聞きたいんだ、いろんな話をしたいんだ!
なんといっても君は人間、人外のボクとは寿命が違う……! ボクにしたらほんの短い間しか、一緒にいられないのが本当に悔しくてたまらないけど……!
――ねえ! ポトフ、ボクみたいな化け物でも良かったら、旅の仲間にしてくれないか?
* * *
ポトフは黙ってアリマンの話を聞いていた。それからゆっくり小首をかしげて、意外な問いを相手に投げた。
「アリマン……あなた、鼻がお悪いんじゃなくて?」
予想外の反応に、アリマンが切れ長の目を可愛いくらいに見開いた。思わず自分の整った鼻を触りつつ、人外の青年は面くらって言葉を返す。
「は……鼻?? うんまあ、子どもの時に盛大に鼻風邪をひいちゃって……それからずっと鼻は悪くしたまんまだけれど……?」
「やっぱり! わたしはにおいですぐ分かりました、あなたが人外の方だって!」
ポトフはいかにも楽しそうに、両手を合わせてくすくすと微笑う。微笑いながら椅子からふっと立ち上がり、可愛らしく小首をかしげた。
「わたしもね、実は人外なんですよ?」
「え」
一瞬耳が壊れたのかと思ったらしい。アリマンは自分の右耳をぽんぽん手のひらで叩いた後に、腰かけていたベットからものすごい勢いで立ち上がる。
「……えぇぇええ!? 本当に!!?」
「本当ですわ。実を言うと、さっき話したばかりの人外種族のエピソード……あれはわたしの一族、『ストーリー・ハンター』の村のお話なんですよ!」
ポトフは極上の笑みを見せ、何ともあっさり解き明かす。アリマンはぱくぱくと声もなく口を動かして、それからぷしゅうと空気の抜けた風船みたいに、ベットの上に座り込んだ。気の抜けきった表情に、どこか安心したようなへらりとした笑みを浮かべる。
「……はは……! あーなんだ……そもそも『お仲間』かあ……! ――あぁああもうっ! 思いっきり緊張して損しちゃったあ!!」
「……ねえ、アリマン。あなたの首の後ろのお口、見せてくださる? 分かってはいても、同じ人外と確認したいの」
アリマンはふわっとはにかみながらうなずいた。慣れた手つきでさらさらと、黒い長髪をまとめ上げる。その綺麗なうなじに一線、すーっと白いすじがある。そこがうっすら口を開けて、血まみれのヒルのような赤い舌が、べらりと挑発するようにうごめいた。
ポトフはその舌に、触れるばかりのキスをした。
「……一緒に旅をする、これが誓いの口づけですわ」
不思議なほどに大人びた、何とも艶のある声音で告げた。
……アリマンの白いうなじに、じわじわと血の色がさしてくる。大人しく舌をしまった、その首すじにもう一度静かなキスをして、ポトフはふわっと歩き出す。歩き出してくるっと可愛くふり返り、余裕の表情で笑みを浮かべる。
「そろそろお食事の時間ですよね? 階下の食堂に行きましょう!」
「……まいったなあ」
早晩尻に敷かれそう……!
しみじみと口の中だけでつぶやいて、アリマンは黒髪を下ろして立ち上がった。
* * *
何という偶然だろう、宿の夕食はポトフだった。それにハーブバターを添えたバゲットがついていて、アリマンはたわいなくはしゃいでみせた。
「わあ、ボクの一番好きな組み合わせ!」
そう喜んでから「普通の食べ物の中ではね」とポトフに小声で耳うちする。ポトフは秘密を共有する者の甘さを含んで、こそばゆそうにはにかんだ。
出来たての人外のカップルは人間のふりをして大人しく「普通のごはん」を口に運んだ。まずは澄みきったスープから。あたたかなスープをのどに通すと、おなかの中からほっくり熱が灯ってゆく。
それから滋味あふれる野菜とお肉。ほくほくに煮あがったジャガイモ、甘いニンジン、とろけるくらいに柔らかくなった牛のすね肉。合間あいまにほおばるハーブバターのバゲットに、口の中がさわやかな風味で満たされる。
宿に泊まった者はみな、同じメニューを美味しそうに口へと運ぶ。
果たしてこの中に人外はどれくらいいるのだろう。
そうして人を食う「化け物」は、この中に何人いるのだろうか。
ニンジンに玉ねぎ、牛のすね肉とウインナー、キャベツとジャガイモ。
何だかこの宿の旅人自体が「野菜とお肉のごった煮」のポトフにもどこか似ていると思えてくる。
人間も人外も、もしかしたら魔物も一緒に、同じ食卓を囲んでいる。何だろう、とてもいびつな関係だけど、これはこれで悪くない……。
いつになくそんな気になりながら、アリマンは大きな口ですね肉をほおばる。ほおばりながら眺める相手の食事姿が、何ともどうにも愛らしくて……その姿に「首の後ろの食欲」にじんわり火がつき、人外の青年はこそっと出来たての恋人に耳うちする。
「……ねえ、もしボクが『君のこと、やっぱり食べたくなっちゃった』っておねだりしたら、君は食べさせてくれるのかい?」
「いえ、全力で抵抗します」
事もなげに言い放ち、ポトフはにっと微笑ってみせる。ほんの一瞬その目が赤く輝いて、アリマンはびくりと身を引いた。……引いてから、何だか逆にとても安心してしまって、にやにやしながらスープをすする。
大丈夫、たぶん大丈夫。
ボクはきっと彼女のことを、きっと一生食べられない……。
周りのテーブルの人たちが、「おアツいねえ」と言いたげにふふっと苦笑する。「友達以上、恋人未満」のカップルの、ベットがらみのいさかいにでも見えたのだろう。それともその中のいくらかは、実は魔物で今の会話の本意にも、ちゃんと気がついているのだろうか……。
ああ、まあいいや。ともかく今はごはんが美味しい。
そう思いつつ、アリマンはバゲットを口へと運ぶ。丸い窓ごしに見える夕陽が、早めの夕食のポトフのスープをかすかにオレンジに染めている。
……ああ、きっと明日も良い天気だ。
新しい旅を始めるのにも、きっと良い日になるだろう。
アリマンはポトフと視線を交わしてはにかんで、ウインナーを右の八重歯で噛み切った。口の中でパツンと気持ち良い音がする。
――美味しそうなその響きが、二人の新たな旅立ちを祝福しているようだった。
(了)