*鎧の乙女の秘密のお話
これは昔から伝わっている、海の向こうの神話です。
時代は戦争のまっさかり、戦場に有名な乙女がいました。彼女はお金で雇われる戦士、お金をもらえば誰の味方にもなり、また敵にでもなるのです。
昨日味方であった者の首を、今日は敵として討ち取って戦場の地べたにさらす。そんな血も涙もない者として、彼女は悪名をはせていました。
また彼女には、妙な噂もありました。戦を終えてしばしの休息にひたる時も、鎧を脱がないらしいのです。彼女の素顔を見た者は、それこそ誰もおりません。
しまいには彼女は「鎧の乙女」という二つ名で呼ばれるようになりました。
「風呂の時にも鎧を脱がない」などと、まことしやかにささやかれるようになりました。
彼女が芯から仕えるのは、ただ金貨や銀貨だけ。
「鎧の乙女」が誰の味方でもないように、彼女自身にも本当の味方はおりません。かろうじて仲間と呼べるのは、彼女が戦場に姿を見せ出した時分から、ずっとそばにひかえている灰色の髪の女兵士だけでした。
不思議なことには、鎧の乙女も女兵士も、過去らしい過去はまわりの誰も知りません。彼女ら二人は自分たちがどこの生まれか、どう運命が巡りめぐって女戦士になったのか、誰にも話はしないのです。
「まあそんなもんさ、彼女らは俺らなんかとなれ合いたくはないのだろう」
まわりの兵士たちも、そう考えて意識して距離を置いていました。
そんな戦場に、どういう訳か一人の青年が迷い込んだのです。
青年は旅する修道士でした。彼はあまりに若く、そのためあまりに愚かでした。
「戦は良くない。戦は止めて、神に祈ろう。そうすれば全ての者は救われる!」
彼はそのことを戦士たちに伝えるために、一言で言えば布教のために、自ら戦のまっただ中にまっすぐ飛び込んでいったのです。
もちろんそんなたわごとが、戦の最中の戦士たちに通じるはずもありません。彼はたちまちのうちに捕えられ、「戦の邪魔だ」と戦士たちに取り囲まれ、今にも首を斬られそうになりました。
その時です。
敵方の将軍の首を手に下げた鎧の乙女が、その場に通りかかりました。
「何をしている、お前たち」
「粛清ですよ。この野郎、『神を信じろ』とかほざいて戦の邪魔だてをしやがった!」
「『神を信じろ』? ……ふふ、面白いやつだ。おいお前、良ければ私の兵舎に来るか?」
いったい何が気に入ったのか……鎧の乙女はぼろぼろになった修道士の手を引いて、呆然としている兵士たちのあいだをぬって、兵舎に戻っていきました。
兵舎に戻った鎧の乙女は、信じられない所業に出ました。たった今討ち取ったばかりの敵将の頭を軽く砕いて、その歯を一本取り出したのです。修道士はびっくりして、その行為を必死で戒めにかかりました。
「い、いったい何をなされます! いくら敵の首といえども、それではあまりに情がない!」
「情がないかどうかは知らん、こちらにもそれなりの理由がある」
鎧の乙女はそっけなくそう言い捨てて、手持ちの小さな麻袋に、ころりとその歯を入れました。そうしてその「何か」がいっぱいに詰まっている麻袋を、ぽいと青年へほうりました。
青年がとっさにそれを受け止めると、袋はころりとごつごつした感触でした。
「こ……これは?」
「私がこれまで討ち取った将軍たちの、歯が一つずつ詰まっている。袋はもういっぱいだ……なあお前、修道士なのだろう? ならばいつかは、修道院に帰るのだろう? それならその歯を持って行って、院で供養してくれないか……」
驚いて目を見張る青年に、乙女は鎧の内側で淋しげな声で微笑いました。
「本当は私が殺した者たち、全てにそうしてやりたいが。あまりに数が多すぎるのでな……」
泣きたくて、泣けないような声でした。
泣く資格などないのだと、つぶやくような声でした。
……ああ、その声! その言葉、その口ぶりが、青年には女神のそれにも思えました。悪名高い「鎧の乙女」がふとのぞかせた本心に、修道士は自分でも訳が分からないほど、心奪われてしまったのです。
修道士は、戦場から一歩も動けなくなりました。戦も出来ない体のままで、乙女のもとに留まりました。……しまいに恋の炎に焼き尽くされてしまいそうなほど、青年は乙女を愛しました。
愛しても相手は鎧を脱ぎません、彼の恋にも応えません。
ただ、ただ、青年の恋の炎に巻かれるように、鎧の向こうの息遣いは、熱く甘くなってゆきます。……もうどうしようもなくなって、青年は素顔も知らぬ鎧の乙女に、すがりつくように迫りました。
「鎧の乙女、わたしはあなたに心底恋してしまいました。あなたの鎧の内側の、柔らかく優しい本心を知るたびに、また深く恋におぼれてしまうのです。……ああ、乙女よ! どうかわたしに、あなたの素顔を見せてください……そのためになら、わたしは信仰も捨てましょう……!」
鎧の乙女は一つ大きく息を吐き、寝台にその身を横たえました。
青年は肌を突き破るほど高鳴る心臓をなだめつつ、硬い鎧に手をかけました。
一つ、また一つ、鎧ははがれてベットの上に置かれてゆきます。
……そうして全ての鎧がはがされた時、乙女はもう、息をしていませんでした。乙女はそれこそ眠るように、静かに息絶えていたのです。
一瞬、息が止まりました。何が起こったのか、目が壊れたのかと、自分の頭が狂ったのかと思いました。――だって、だって、こんなことある筈がないのです! こんなことあってはいけないのです!
……けれど、目の前の事実は冷たいほどに揺らぎません。眼前にあるのは乙女の死体、一糸もまとわぬ乙女の死体……。
声もなく涙も出せない青年の前で、乙女の姿はさっと噴き出た霞に巻かれて、幻のように消え去りました。硬い鎧もなくなって、ベットの上に遺されたのは、ばらばらになった一匹の甲虫の亡骸でした。
青年は一声もなく、がくりと膝をつきました。と、背後で鎧の足音が……。灰色の髪の女兵士が、ぼろぼろに涙しながら部屋に入って来たのです。女兵士は涙ながらに、青年にこう打ち明けました。
「――ああ、清らの修道士様! お嘆きめさるな、驚きめさるな……! 実は鎧の乙女様は、雌のかぶと虫だったのです! 神に呪いをかけられた、一匹のかぶと虫だったのです!」
あぜんとする修道士の手をとって、女兵士は涙しながら語ります。
「……実は以前に、かぶと虫様はある神殿の祭壇の、お供え物のすいかを一口食べたのです。するとそこの神殿の神がお怒りになって、かぶと虫様を『鎧の乙女』の姿にしたのです。『お前はこれから永遠に、人間の戦争のただなかで人を殺すが良い』と……」
女兵士はいつも無表情だったその顔に、明らかな憎しみもにじませて、「神」という語を口にしました。
「神殿の神は言いました。『鎧は脱げない、鎧そのものがお前だからだ。しかしお前に誰かが惚れて、鎧をすっかり脱がせてくれれば、その時に我が呪いは解けて、お前に死という救いが訪れるだろう』と……!」
青年の頭のうちに言葉が重なって押し寄せて、おかしくなってしまうよう。視界がちかちか光ります、口が勝手にぱくぱくします。そんな修道士の骨ばった手を握りしめて、女兵士は語るのです。
「……そ、そうして神は、一人では淋しかろうととってつけたような『気づかい』で、かぶと虫様の友人だった私も、人間の姿にしたのです……!」
塩辛い水で綺麗な顔をくしゃくしゃにして、灰色の髪の女兵士は、嬉しいのか悲しいのかも、自分で分からないようでした。
ただ「ありがとう、ありがとう」と上ずった声でくり返し、骨ばった手をすがるように握っています。……その姿もいつか霧のように夢のように消え去って、一匹のしじみ蝶が、ひらひらと兵舎から外へと飛び立っていきました。
……修道士は、戦の場を後にしました。
そうしてその足で修道院に帰りつき、あの麻袋を院に納めて供養してもらい、再び旅に出たそうです。
彼がその後どこでどうして、その命を終えたのか……くわしいことは、その神話にはありません。ただ、彼と同じ名の聖人が、遠く異国の地で小さな孤児院を開いて、幸せに歳をとり、惜しまれながら亡くなったと……。
神話に関する書物の中に、ちらっと記されているそうです。
* * *
語り終えたポトフ嬢は、黙って少し微笑んで、三煎めの紅茶を淹れた。
お湯入れのポットを添えて、聞き入っていたアリマンの方へさし出した。青年はふうっと大きく息をつき、「ありがとう」とはにかんで、お湯をさしてから紅茶を飲んだ。
ポトフはふいにふんふんと鼻をうごめかし、「そろそろご飯の時間ですね。階下の食堂から美味しいにおいがしてきました」とつぶやいた。
「……そう?」
そんなアリマンの反応に、「分かりません?」と言いたげにポトフ嬢は小首をかしげる。それからふんわり甘い笑顔を見せた後、ささやかなおねだりを口にした。
「ですから、そろそろわたしの話はおしまいにして、あなたのお話がうかがいたいです」
ぐっと言葉に詰まったアリマンが、少し目線をそらしながらこう答えた。
「……もう少し……もう少しだけ、君のお話が聞きたいな……!」
「そうですか? そうですね……それではごくお軽く『人外の住まう村』のお話をしましょうか」
ポトフはあまりこだわらない風にさらりと応え、歌うような口ぶりで、「おしまいのお話」を語り始めた。