第八話
「ハッピーニューイヤー、ロージー。冬休みはどうだった?」
「ハッピーニューイヤー、マイク。え、ええ……楽しかったわよ。」
私は思わず、クリスマスマーケットの出来事を思い出す。
「何その歯切れの悪い答え。まさか、何かありましたかあ?」
マイケルはニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべた。
「別に……いつも通りよ。マイクは?」
「実家だと何にもしなくても飯は出てくるし、洗濯や掃除もされてて、めっちゃ楽だった。」
「ああ……一人暮らしだと親のありがたみがわかるわよね。」
「おはようございます。皆さん。」
私達が世間話に花を咲かせていると、リリアがいつものように愛らしい笑顔でこちらに来た。
「冬休みはどうでした?」
「リリイ、残念。その話はもう終わったぞ。」
「ええっ、そんなあ。折角、皆さんの話を聞こうと思ったのに。」
「はは、冗談だよ。」
こうして、あっという間に日常が戻ってきたのだった。
「そういえば、もうすぐバレンタインですよね。最近、製菓科はチョコレートのメニューが多くて……」
「バレンタインかあ。そういえば、この前チョコリゾットとか変わり種のメニュー作らされたよな。あれ、バレンタインの一環だったのか。ココナッツミルクがけのライスとか苦手な俺には地獄だったわ。男が薔薇の花とかアクセサリーとか贈る日だろ?感謝は態度で示すから俺はパス。」
「マイクらしいわね。」
「……そういえば、東洋の国では、男女逆の風習があるんだとか。女の人から男の人にチョコレートを渡すのが一般的みたいですよ。私もお世話になっている方々に渡そうと思いまして。」
「アラン先輩もそんなことを言ってましたね。もしかして、アラン先輩の故郷の国での風習かもしれませんね。」
「なるほどね。で、リリイは誰に渡すの?」
「生徒会の皆さんには渡そうかなと……特にクリストファー先輩にはお世話になっているので。」
胸がチクリと痛む。
「そう。きっと生徒会の皆さんは喜びますね……もちろん、クリストファー先輩も。」
私がそう言うと、リリアは少し頬を赤く染めて嬉しそうに微笑む。
やはり、運命は変えられない。
「あの、ローズさん。もしよろしければ、二人で一緒に生徒会の皆さんへバレンタインのお返しを作りませんか?」
リリアが手を叩いて、私に提案してくる。
すると、マイケルは不貞腐れた表情をする。
「おい、俺の分は?」
「もちろん、用意しますよ。」
リリアは慌ててマイケルに応え、私の方に向き直る。
……リリアが渡して、私が渡さないのは角が立つかもしれない。
「そうですね。お言葉に甘えてご一緒させていただきます。」
マイケルが私の顔を見つめている。
本当に大丈夫か、という怪訝そうな表情。
大丈夫。
失恋するのは、二回目だから。
そして、バレンタイン前日の日曜日。
私は、リリアと一緒にチョコレート菓子を作ることになった。
チョコレート生地のタルトにベリーのフルーツを乗せたタルトケーキ。
折角だからと小分けではなく、あえてホールケーキで作って、みんなで食べ合おうというリリアからの提案だった。
マイケルは、チョコレートが得意ではないことから、コーヒー味と紅茶味のクッキーを焼くことにした。
「……もし、生徒会に特定の人がいるのなら、小分けの焼き菓子の方が喜ばれたのではないですか?」
私がそう尋ねると、リリアは顔を赤くして、大きく首を振った。
「そ、そんな。私は皆さんに憧れていて、恋愛感情ではないです。お、恐れ多くて……ローズさんは気になる方とかいらっしゃらないんですか?ほら、マドレーヌも一緒に作ってらっしゃるから。」
そう、私はリリアとの合作であるタルト以外に、オレンジピール入りのダークチョコレートのマドレーヌを作っていた。
「私も特定の人に恋愛的な意味を込めて贈るつもりはないですよ。これは、お世話になっている部長と副部長用です。」
なんだかんだ言って、お世話になっているし、アラン先輩の故郷の風習が女性から男性にチョコレートを渡すものだとしたら、尚更用意すべきだろうと感じたのだ。
「……あら、二枚型を用意してらっしゃるってことは、十八個焼くんですね。沢山もらえてきっとお二方も喜びますよ!」
核心を突かれたと思い、ドキリとした。
わざわざ、二つの型を使って、多めに作っているのは、あわよくばクリストファーに渡そうとしているからだ。
オランジェットは彼が好きなお菓子の一つ。
リリアの前で、クリストファーだけに贈るために作ることはできなくて。
部長と副部長用だなんてはぐらかして。
リリアにも、ポールにも、アランにも……クリストファーにも失礼なのはわかっている。
私は、下心をかき消すように、私は生地を混ぜる。
「そうですね。そうだといいのだけれど……」
これを渡したら、二人の邪魔になるかしら、そう思いながら、私は三人分のマドレーヌを作る。
諦めなきゃと思いながらも、クリストファーに近づくきっかけを作る矛盾な言動をしている。
隣には、私の好きな人と結ばれる女性が立っている。
色白の肌に綺麗なブロンド。
細腕にも関わらず、手際良く、ケーキを作る技術を持つ。
優しくて、謙虚で愛らしい彼女に勝とうだなんて、烏滸がましいことなのだと、前回学んだのに。
オーブンの中で型に入れた生地がじわじわと膨らんでいくのを眺めながら、私は自分の気持ちになんとか整理をつけようと、自分にはクリストファーが身分不相応たと言い聞かせているのだった。
「生徒会の活動日じゃない日に招集があったと思ったら、君達、わざわざこれを私達に?」
「すごく綺麗!写真、撮ってもいい?」
「ふふ、どうぞ。ローズさんと二人で皆さんに作ったんです。召し上がってください。」
「ありがとうな。こっちは何も用意していなくて、悪いな。」
「気にしないでください。私達が好きでやっていることですから。ね、ローズさん。」
ローズはニコニコと嬉しそうに皆がケーキを食べるのを見つめている。
「ええ……喜んでもらえて何よりです。残念ですが、私はこれから部活動がありますので。」
私が立ち去ろうとすると、リリアは思い出したように、茶目っ気たっぷりの笑顔で、こちらに話しかけてくる。
「あ、マドレーヌを渡すんですよね。きっと、喜んでもらえますよ!試食した時、美味しかったですもの。頑張ってください。」
リリアは勘違いをしているのか、まるで告白をしに行く友人を応援するかのように、小声で話しかけてくる。
私はリリアの隣にいるクリストファーのことを気になったが、適当に回答をぼやかして、生徒会室を離れた。
き
その日の部活動が終わった後、部員が帰ったことを確認すると、ポールに声をかけた。
「お、ローズ!どうした?今日の工程で質問があるのか?」
「いいえ、今日がバレンタインなので、アラン先輩の故郷の風習に倣って、特にお世話になっているお二方に。」
「おお、そうか。ありがとうな!お、マドレーヌじゃないか!俺、好きなんだ。早速、食べていいか?」
ポールは袋からマドレーヌを取り出し、美味しそうに頬張る。
「お前、お菓子も作れるんだな。凄いな。料理の腕も良いし、流石は有名料理店の娘だな!」
相変わらず、ポールは人懐っこい笑みを浮かべて、頭を撫でてきた。
「あ、ありがとうございます。あの、アラン先輩は?」
「ああ、アランか。あいつは、今度の合宿に関して、生徒会に予算の確認をしている。」
「合宿?」
「そうだ!うちの合宿は豪華だぞ。毎年、三月の春休みに二週間、海外で異文化や異国の料理や味付け、食文化を学ぶんだ。今年はアランの故郷に行くんだ。予算を使うとはいえ、部員負担の費用もあるから、任意参加なんだけれど、良ければお前も来いよ!」
そんな合宿があることは知らなかった。
私はポールに貰った案内の紙を見る。
宿泊代や研修代はアランのご好意でアランの実家に泊まらせてもらい、その場で自国の料理を教えてくれるプランのようだ。
飛行機代は予算から半額程度負担。
そして、その他の飲食費等は各自部員負担のようだ。
予算の関係上、定員は5名のようだった。
まだ、専門学生の身である私達には大きな出費だ。家族からの支援も視野に入れざるを得ない。
でも、このプランは実際の一般家庭の料理やレストランの料理、双方が学べる良いプランだ。
私はポールに検討します、と回答し、アランのいる生徒会室へ向かった。
生徒会室へ向かうと、少し疲れた表情をしたアランが生徒会室から出てきた。
「アラン先輩。」
「ああ、君か。どうした?俺に何か用か?」
「あ、ええと。用という程ではないのですが、今日はバレンタインデーで、アラン先輩の国の風習では、女性がお世話になっている男性にチョコレートを渡す日だと伺ったので。良ければ、どうぞ。」
アランは少しポカンとした表情をしてから、すぐハッとなり、ラッピングされたマドレーヌを受け取る。
「ああ、ありがとう。すまない、まさかこういったものを君から贈られると思わなかったからな。」
「日頃、特にアラン先輩にはお世話になっているので。」
「チョコレートのマドレーヌか。美味そうだな。わざわざ、ありがとう。大切に食べるよ。」
アランはその後、部室に戻らなければならないとすぐに戻ってしまった。
私も合宿の話を聞こうと部室に戻ろうと思い、アランの後をついていこうとした時、生徒会室の扉が開き、誰かに強く引っ張られた。
すっかり暗くなり、いつもより暗い生徒会室。静まり返った生徒会室で、私は口を誰かの手で押さえつけられた。
私は思わず抵抗しようとすると、引っ張り込んだ人物はすぐに手を離し、唇に指を当てた。
「しっ。大丈夫だよ、ロージー。俺だ。」
「……クリス。びっくりしました。あれ、生徒会長は?」
「今日は用があるからって早く帰ったよ。俺が代理で予算の対応をしていたんだ。活動日でなくても、今は少し忙しくてな。そんなことより、さっきのこと、どういうことか説明してもらえないか?」
クリストファーは険しい表情をして、私を壁際に追い詰めたまま、詰問するように尋ねた。
「えっと、さっきのことって?」
「ロージーと先程の男子学生……アラン・ロバンとは随分親しいようだな。手作りのお菓子も渡して、お前が好きなのはあいつなのか?」
「えっ……」
クリストファーは私の顎を掴み、自分の顔へ向ける。
「好意を表すものだけでなく、感謝の気持ちを伝えるものだから、こんなことで比較して、お前に聞くのも失礼だし、不躾な質問だとは思うが、妬けるんだ。」
妬く?
クリストファーがアランに嫉妬したというの?
ドクンと胸の鼓動がやけに響いた気がした。
私は耳を疑った。
「教えてくれ、ロージーの特別な人はアランなのか?」
切なげな表情を浮かべるクリストファーに私の胸はきゅっとなる。
「アラン先輩はお世話になっているから、日頃の感謝を伝えただけです。恋愛感情や特別な意味はありません。」
顔が近い。
それに、嫉妬したという聞き慣れない言葉に私の心臓は爆発しそうだった。
「……そうか。」
そう言うと、クリストファーは手を離し、解放してくれた。
「……すまない。気が立ってしまって。大人気ないことをしてしまったな。」
「いえ……不謹慎ですが、クリスが妬いてくれるだなんて、少し嬉しく感じてしまいました。」
私が冗談めかすようにそう言うと、クリストファーは私の両頬を摘んだ。
「余裕がないんだ。お前を誰かに取られるかと思うと、気が気でない。」
クリストファーの素振りはまるで冗談を言っているようには思えなかった。
揶揄ったつもりが、そんなことを言われると困ってしまう。
私が何も言えずにいると、クリストファーは手を離し、近くにあった紙袋から何かを取り出し、私に差し出してきた。
「これは……飴細工ですか?」
それは、一輪の薔薇の形をした飴細工だった。
「ああ。バレンタインのプレゼントだ。昨日、作ってみたんだ。」
「あ、ありがとうございます。」
そう言うと、クリストファーはいつものように笑みを浮かべる。
私は慌てて、鞄に入っていたマドレーヌを取り出す。
「……これ、良ければどうぞ。」
「マドレーヌ……さっきあいつにも渡していたものか?」
クリストファーは少しむっとした表情で、そのマドレーヌを受け取る。
「う……」
私が何も言えずにいると、クリストファーは柔らかな笑みを浮かべる。
「なんてな。冗談だ。ありがとう。食べていいか?」
「ええ。もちろんです。」
中身は同じマドレーヌ。
でも、赤いリボンにハートのプリントがされたラッピング袋を使っているのは、クリストファーの分だけだ。
結末を知っている私の精一杯の表現。
最も、私とアランの会話を声だけ聞こえていたクリストファーには分からないだろう。
流石に言うのは憚れたので、私は言い淀んでしまった。
「うん。俺が好きなオレンジピールが入っているな。美味いよ。」
「ふふ、良かったです。」
雰囲気が和み、私はホッとした。
「暗くなっているし、女子寮まで送るよ。」
「ありがとうございます。」
クリストファーはデートの時のように手を握る。
「あ、あの……ここは学校なので。」
私は思わず手を離してしまう。
「……そうだよな。すまん。」
クリストファーの表情を見て、傷つけたのが分かった。
その表情を見て、私の心がズキリと痛んだ。
ごめんなさい。
私はまだ運命通りになると信じているから、貴方と結ばれる結末が見えないの。
こんなに好きなのに。
貴方も私のことを大切にしてくれるのに。
私達は何も言わず、寮に向かった。
手に持っていた薔薇の飴細工が街灯に照らされて、淡く光ったことが、妙に印象に残った。