第七話
入学から三ヶ月。
生徒会と部活動、ジム通いの過密スケジュールを過ごしていたせいか、時が過ぎるのはとても早かった。
「クリストファー先輩。別件なのですが、さっきのクリーム作りで質問が……」
「ああ、いいぞ。」
リリアは社交的な性格を活かして、私よりも生徒会に馴染んだ。
製菓科が多いからだろう。
たまに、こういった製菓科ならではの話題がある。
クリストファーとリリアは次第に仲が深まってきている。
着実に前回通り、関係が進んでいる。
前回の私であれば、視界に入ってすぐに、抗議をしただろう。
でも、それが過ちと知った私はただ、その場で二人の様子を見守るしか出来ない。
「寂しいのかい?ローズくん。」
「……っ!アンソニー先輩。揶揄わないでください。ただ、ぼうっとしていただけです。」
アンソニーに小声で話しかけられ、私は驚いて持っていたペンを落とした。
いつまで経っても、アンソニーの出現に慣れない。
「君は……クリスさんに随分ご執心だ。」
「な、何を……」
「大丈夫、君がクリスさんにご執心なのは、私以外気がついていないよ。私は人よりも勘が鋭くてね。そういう反応ってことは、あながち外れではなかったのかな。」
アンソニーはひそひそと小声で私に話し続ける。
「事情があるんだね。深掘りはしないさ。ただ、恋をすることは悪いことではない。君は彼への想いを罪悪感のようにひた隠しているようだったから、それだけ伝えたくてね。秘密を暴くようなことをしてすまない……『命短し、恋せよ乙女』ってどこかの国の唄があってね。若い時から恋することは大事だよ。」
パチンとウインクをして、アンソニーは私の机に資料を置いた。
「これ、次の文化祭の案内資料だ。予算に関わることだからね。一度読んでみて、改善点があれば、教えてほしい。刷る前に改訂する。」
「分かりました。ありがとうございます、アンソニー先輩。」
普通の声でアンソニーは会話をする。
本来の目的はこれだったのか、はたまたカモフラージュか。
アンソニーの真意はわからなかったが、アンソニーの意見は的確で、胸に刺さった。
次の日、部活動が終わった後、私は週一で通っているジムに向かった。
「お!ロージーじゃん!部活お疲れ。」
「マイクもトレーニングお疲れ様。ねぇ、この後空いてる?」
「空いてるよ。どうした?」
「今日は来月が新年だからって、アラン先輩がおせち料理っていう新年限定のお弁当の作り方を教えてくれたの。たくさん作りすぎちゃったから、マイクにも食べてほしくて。」
「マジ?食べる食べる!運動して腹減ってたんだよ。外で……と言いたいところだけれど、もう十二月で雪降ってるし、食堂で食おうぜ。」
「良かった。私はこれから一時間だけ運動するから、食堂で待ってる。」
「俺もあと一時間くらいで切り上げるよ。一緒に食堂行こう。」
「分かった……そういえば、今日はリリイは居ないのね。」
「ああ……なんか出掛けてるみたいだよ。」
マイケルは歯切れの悪い回答をした。
私は直感的に、リリアはあの人と一緒に出かけているのだと感じた。
「もしかして、クリストファー先輩と?」
思わず、クリスと呼んでしまいそうになるのを堪えて、そう尋ねた。
マイケル。のその驚いた表情が何よりも肯定しているだろう。
なるほど、ついにデートする関係までになったか。
「マイク。何度も言ったと思うけど、私とクリストファー先輩は本当に何でもないの。気を遣ってくれるのは嬉しいけれど、変に気を遣われると、逆に傷つくわ。」
「あぁ、そっか。悪い……」
「責めるつもりはないの。言い方が悪くてごめんなさい。気を遣ってくれてありがとう。」
私はヨガマットを敷いて、ストレッチをする。
そうか、やはり、私とクリストファーの関係が改善しても、二人の仲を食い止めるものにはなれないのか。
窓ガラスは室内外の温度差で少し曇っている。
私の心模様を映しているようで、私は小さく笑ってしまった。
「うっわ、豪華!これ、まじで食っていいの?」
「うん、これでもさっき少しつまんだの。量が多くて、私一人じゃ食べきれなくて……」
「確かにこれ三段もあるじゃん。全部種類違うし……四人前くらい?こんなに品数変えて作るの大変だったでしょ。」
「ううん、初めて作る料理が多くて楽しかったよ。この前、部活動で作ったシュトーレンみたいに習慣や意味が込められているんだ。例えば、この大きな黒豆はマメに過ごせますようにって意味があって……」
「ロージーは本当に部活動が好きなんだな。いつも、ロージーが部活動の話ししている時、明るい表情して楽しそうに話すからさ。」
「そう?授業や生徒会、ジムでのストレッチも好きだよ。」
「いいや、部活動は特別だね。いつも、俺に今日の部活動は何を作ってだの、アラン先輩がどうしたのだの話してくるじゃん。」
それは多分無意識だ。
確かに部活動は楽しい。
リリアとクリストファーが居ない唯一の空間だからかもしれない。
煩悩や邪念を感じずに、料理と向き合えるのは本当に楽しいのだ。
「……もしかして、ロージーって本当はアラン先輩が好きだとか?」
「もう、マイクはすぐそうやって揶揄うんだから!」
「ははっ、悪い悪い!」
料理に箸を運ぼうとした時、鈴が転がったような可愛らしい声が耳に響いた。
「ローズさん?それにマイケルさんも!」
声のした方を見ると、そこにはクリストファーとリリアがこちらに向かってきていた。
「げ、修羅場……」
マイケルはぼそっとそう呟いた。
……マイケルの小声は聞かなかったことにしよう。
「お夕食ですか?私達もまだなんです。良ければ、ご一緒してもよろしいですか?」
「ええ、構いませんよ。そうだ、リリアとクリストファー先輩も良ければ、これを食べていっていただけませんか?今日の部活動で作ったものなんですけど、作りすぎちゃって。」
「ええ!ローズさんの手料理……!いただいていいんですか!?」
「ええ、是非。」
「いただきたいです!クリストファー先輩も良いですよね?」
「ああ……是非いただこう。」
私とクリストファーの関係を知らないリリアは無邪気にクリストファーの袖を引っ張り、座るよう促す。
クリストファーは後ろめたいのか歯切れが悪そうだ。
そして、マイケルは何かを察しているのか、乾いた笑いを浮かべている。
気にしなくて良いと言っているのに、そんなに私は変な対応をしているのだろうか。
「はあああ……ローズさんのお料理、やっぱり美味しいです。想像以上で思わず、溜息が漏れちゃいます。」
「気に入っていただけて良かったです。」
「変わった食材だな。このピンクと白のは……?」
「かまぼこと言うんですって。魚肉を練ったものらしいですよ。」
「ええ、俺だけ?この空気が重く感じるの俺だけなの?」
「ほら、マイクもぶつぶつ言ってないで食べて!」
私はぶつぶつ言っているマイケルの口に蒲鉾を突っ込んだ。
変なことをクリストファーやリリアに言われては困る。
「んぐ!?おい、食べるから口の中に突っ込むなって!」
「二人は仲が良いんだな。」
クリストファーの言葉にマイケルは乾いた笑いを浮かべる。心なしかクリストファーの声が冷たかった気がするが、気のせいだろう。
「リリア、今日はどこに出掛けていたの?」
「ああ、製菓材料専門店にクリストファー先輩と行っていたんです。私、練習がしたかったんですけれど、家ではあるもので作っていたので、プロ用の材料の買い方がよく分からなくて……スーパーマーケットではなくて、専門店があるのですね。とても勉強になりました!」
「そう……相変わらず勉強熱心ですね。」
おそらく、下心はないのだろう。
至って健全な買い出しのようだった。
内心少しほっとした自分に嫌気がさす。
急に関係が進展するのではない、徐々に進展していくのだ。
この買い出しは二人の関係を進展させるきっかけの一つ。
「そ、そういえば、もうすぐ冬休みですよね。確か、クリスマスイブから!皆さんは何か予定とかあるんですか?」
マイケルは気まずい空気に耐えかねたのか、軽く手を叩いて話題を変えた。
「私は実家に帰ります。私の実家はここから遠いので、こういった長期休暇しか帰れないので……」
「あ、ああ!俺も地元に帰るわ。久しぶりに地元の友達と会いたいしね。」
「ああ……私も家に帰ります。」
「俺もそうだな。」
会話が一区切りつき、私達は黙々とおせち料理を食べ続ける。
ふと、向かいに座っていたクリストファーと足がぶつかる。
「あっ、ごめんなさい。」
「大丈夫だ。」
クリストファーはそのまま私の足に自分の足を引っ掛けた。
私は内心かなり動揺した。
クリストファーはどこか悪戯めいた表情を浮かべている。
ここで動揺をしたら、二人に関係がバレてしまう。
私は精一杯平静を装った。
すると、クリストファーはいつもの表情に戻り、絡めた足を外した。
何だったのだろう。
前回の記憶でも、こんな悪戯をするような人ではなかったはずだが。
クリストファーの新しい一面を見るたびにドキドキしてしまう。
どうしても、クリストファーに惹かれてしまう自分が愚かで馬鹿みたいだった。
目の前には現実があるというのに。
そして、地元に帰ってきた翌日。
今日はクリスマスだ。
私とクリストファーはクリスマスマーケットへ遊びに行くことにした。
会ってすぐ、はぐれないようにと手を繋いできた。相変わらず、私のことを子供扱いしているのだろうか。
「流石、クリスマスシーズンだな。どこもイルミネーションが凝っている。ホットチョコレートが恋しくなるシーズンだな。」
「ジンジャーやスパイスの入ったチャイも良いですよね。あ、シュトーレンも売っていますね。クリスマスツリーに飾られたオーナメントもとっても綺麗です。」
「こういうお祭りみたいな行事はやっぱり気分が上がるな。」
私はふとキャンドルホルダーを販売しているお店を見つけた。
「わぁ、綺麗。まるで教会にあるステンドグラスみたい。」
「本当だ。鮮やかな色をしている。星空を模したのもとても綺麗だ。」
私は手を取って、くるくるとキャンドルホルダーを見る。
この青いグラスはクリストファーの瞳の色のように綺麗で、星の色はクリストファーの髪のようにキラキラしているように見えた。
「すみません、これください。」
「えっ!?」
クリストファーが私が眺めていたキャンドルホルダーを指差して、お金を渡す。
「気に入ったんだろう?俺からのクリスマスプレゼントだ。」
「……何だか、貰ってばかりで悪いです。」
「いいんだ。俺がロージーにプレゼントしたいだけだから。」
「……ありがとうございます。」
「冷えてきたな。ホットジンジャーアップルティーなんてものがあるぞ。これを飲みながら歩こうか。」
「ええ。」
クリスマスマーケットを手を繋いで歩く男女。まるで恋人のようだけれど。
私達は恋人でも婚約者でもない。
きっと、来年は彼の隣にいるのは私ではない。
しばらく散策し、私達はクリスマスマーケットのフードコートのコーナーについた。
私達は適当に気になるフードをいくつか買って、空いている席を探した。
「結構見応えがありましたね。」
「ああ。お、あそこが空いているぞ。」
私達は空いている席に座ると、買ったものを早速食べ始めた。
「フィッシュアンドチップスなんて久しぶり!ターキーレッグもクリスマスならではですよね。こう出店だと色んなものがつまめるので、好きです。」
「ああ、こっちのブラートブルストも美味いぞ。チーズが合う……ほら。」
クリストファーはフォークにソーセージを突き刺すと、私に差し出してきた。
「……子供じゃないんですから、一人でも食べれますよ。」
「この前、マイケルともやっていただろう?遠慮するな。」
……もしかして、私とマイケルのこの前のやりとりを気にしているのだろうか。
私は何も言い返すことが出来ず、そのままウィンナーを口に頬張った。
「美味いか?」
「美味しいです……」
「そっちのフィッシュアンドチップスも貰えるか?」
「あ、えっと……っ!は、はい。どうぞ。」
皿ごとではなく、フォークでと言わんばかりに、クリストファーはフォークを指さした。
「うん、美味いな。たまに食べたくなる味だよな。」
こうして、私達はほとんどの料理を食べさせ合いしながら、いただいた。
その日、私達はまるで恋人と過ごすクリスマスのように甘い冬の夜を過ごしたのだった。