第五話
「まだ一週間だけれど、学校はどうだ?」
「ええ、名門校だけあって、どの授業もレベルが高くて、ついていくのに必死です。」
カフェに着き、私達は他愛もない話を始めた。
「ロージーなら大丈夫だろう。確か、ロージーは学年二位の成績で、料理科では学年トップだっただろう?」
「お褒めに預かり光栄です。でも、まだまだアマチュアなので……」
私がそう答えると、クリストファーはちょっと困ったように片眉を上げる。
「……相変わらずだな。」
ぽつりと呟かれた言葉に私は冷や汗をかいた。
何か失敗しただろうか。
私のそんな心配をよそに会話は進んでいく。
「そういえば、本当に周辺の案内はしなくて大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫です。昨日、マイクとある程度周辺は見に行ったので。」
ぴくりとクリストファーの眉が顰められた。
「……君はマイケルと本当に仲が良いんだな。」
クリストファーの声が心なしか低く感じたが、気のせいだろう。
保留中とはいえ、婚約関係があるのに、他の男と遊ぶなんて、と嫉妬したりするような人ではなかったはずだ。
「……彼はこの学校で出来た初めての友人ですから。」
私は無難な答えを返す。
「……そうか。」
クリストファーはティーカップに入った紅茶を一口飲んだ。
「クリストファーは生徒会の仕事はどうですか?確か、私のクラスで新入生代表のリリアをスカウトしたとか。」
変な沈黙が続くのを恐れた私は敢えて自分の地雷を踏みに行ってしまった。
リリアは入学式から毎日のように、世間話を私にしてくる。
金曜日に、生徒会に入ることになったのを自ら説明してきたのだ。
リリアはスカウトされたとは言わなかったが、前回の記憶があった私は、前回通り、クリストファーにスカウトされたのだろうと理解したのだ。
「ああ、リッキーがスカウトしてきた女生徒か。昨日、生徒会のミーティングに参加していたが、やる気があって、真面目そうな子だったよ。」
「リッキー?」
「ああ、すまん。生徒会長だよ。二年のパトリック・メルシエ。俺からしたら、後輩に当たるから愛称で呼んでるんだ。」
「見た目は可愛らしいのに、発言内容は大人びてましたよね。二年の学年トップだとか。」
パトリックは眼鏡をかけている小柄な男性だ。
真面目で、周りの評価を気にしているらしく、眼鏡も伊達眼鏡というところを鑑みると、形から入るタイプだという人だと前回から私は感じていた。生徒会長なのに、どこか親しみあふれる生徒会長というイメージである。
「リッキーは自分の童顔と身長が低いことを気にしてるから、本人には言うなよ。うちの学校は学年トップは生徒会に入ることを推奨しているからな。リリアも例によって、スカウトしたわけだ。」
前回はクリストファーがスカウトしていたはずだが、今回はパトリック直々にスカウトしてきたのか。
前回の記憶との微妙なずれを感じながら、私も紅茶を啜る。
「ロージーは生徒会に興味はないか?俺はロージーに生徒会へ入って欲しいと思っている。」
唐突な誘いに、私は思わず咽せてしまう。
「えっ……わ、私が、ですか?」
クリストファーは咽せている私に大丈夫か?と尋ねながら、話を進める。
「去年で三年生が卒業したことで、生徒会役員はまだ空きがある。ロージーは学年二位、料理科としては学年トップの成績を修めている。何より、俺はロージーの優秀さや真面目さ、料理のセンスを知っているからな。ただ、空きを適当に埋めるようなことをするくらいなら、俺は副会長として、信頼のおける人を置きたい。」
「……私で良いんですか?」
前回は喉から手が出るほど欲しかった、クリストファーからのスカウト。
前回の私はクリストファーから求められるようなことはなかった。
半信半疑でそう尋ねると、クリストファーはキョトンとした表情をしてから、笑顔で答えた。
「ロージーが良いんだ。」
その言葉に胸がきゅうっと締め付けられる思いがした。
必要とされることが、これほどまでに嬉しいだなんて。
「……無理強いはしない。生徒会の仕事は週2日あるからな。ただ、是非とも前向きに考えて欲しい。」
「わ、かり……まし、た。」
思わず片言になって言葉を返す。
クリストファーとリリアには関わらないと誓っていたのに、クリストファーに頼られてしまっては、きっと断ることは出来ないだろう。
「お待たせしました。秋の味覚をふんだんに使用したオータムアフタヌーンティーセットです。」
待ちに待ったアフタヌーンティーセットが来たにも関わらず、私はまともに味わうことが出来なかった。
こんなに、私は今でもクリストファーに溺れているのに。
きっと、私はクリストファーとは結ばれない。
そう思うと、苦しくて、悲しくなり、私はマカロンの甘さで誤魔化すのだった。
帰り際、クリストファーは駅に辿り着くと、ぴたりと立ち止まり、こちらを向いた。
「入学祝いだ。気に入るかは分からないが……」
渡されたケーキボックスの中を見ると、可愛らしいカップケーキが入っていた。
パステル色のクリームを花のように絞り、カラフルに彩られたケーキ。クリームの花畑の上には、りんごを薄くスライスして作った薔薇に色とりどりのフルーツ。真ん中にはハート型のチョコレートプレートが置かれていた。
「わ、可愛い……」
クリストファーは少し照れたような顔をしてはにかんだ。
「買ったものをプレゼントするのも良いと思ったんだけどな。婚約の話があった後、俺はすぐ寮に入ってしまったから、誕生日とか祝い事を直接する機会、今まで無かっただろう?今回は直接会ったからこそ出来るプレゼントを贈りたかったんだ。」
「ありがとうございます。大切に食べますね。」
大したものじゃないぞ、とクリストファーは言いながら、嬉しそうにしていたクリストファーに私はドキッとした。
「改めて、入学おめでとう。ロージー。」
優しくされると期待してしまう。
前回より確実に仲は良くなっている。
でも、これからリリアと仲が良くなって、クリストファーが私から離れることを想像すると、過度な期待はしてはいけない、と思ってしまう。
私は胸の高鳴りを抑えて、精一杯の笑顔で応えたのだった。
そして、翌週。
私は結局、生徒会に入ることとなった。
私が生徒会に入ることを知ったリリアはとても喜んだ。
思わず椅子を倒して、立ち上がるほどだった。
リリアとの関係も今のところは良好だ。
「ローズさんと一緒に生徒会のお仕事が出来るだなんて、嬉しいです!これから、一緒に頑張りましょうね!」
私の手を握り、満面の笑みを浮かべる。
私は苦笑いをしながら、頷いた。
「ロージーも生徒会入るの?まあ、ロージー真面目だもんなあ。一緒に学校に併設されているジム通わないか誘おうと思っていたのにさ。」
マイケルはつまらなさそうに言った。
この専門学校では、運動部がない。
部活動は基本的に文化系のものがほとんどだ。
手を突き指したりなど、怪我をすることは料理人やパティシエには致命的だからだ。
だからと言って、運動を全くしないことも、体力低下になる為、この専門学校には、ジムが併設されている。
元々、運動が好きなマイケルは例によって、ジムに通うようだった。
「そういえば、この前、入会手続きしに行ったら、アラン先輩が居てさ。ハードなメニュー組んで、トレーニングしていて、やっぱり凄いなって思った。あの人、部活動もして、トレーニングもして、ストイックすぎるよな、あの先輩。」
「流石だね。何の部活動やっているの?」
「それがさ、あの料理研究科に入ってるんだよ。料理科の勉強もあるのに、さらに料理を研究するだなんて……あんな熱心さ、俺には到底無理だわ。」
この専門学校のマイナーな部活動だ。
専門学校に通って、さらに部活動も食研究を行う人はあまり居ない。
この専門学校に通う大抵の生徒は食が好きとはいえ、部活動は食に関係ないものを選択する。
「料理研究科かあ……」
「えっ……まさか、ロージー、興味あるの?料理研究科に入るくらいなら、俺とジム通おうぜ。料理人は体力も大事だろ?パーソナルメニューも組めるし、ヨガやピラティスとか、女子に人気なメニューもあるみたいだぞ。」
私の呟きにマイケルは過剰に反応した。
生徒会に入った今、部活動やジム通いも行うと、かなりハードな日常になる。
「生徒会に入ったからなあ。授業もあるし、部活動やジム通いは厳しいかな。」
「ちえっ、残念。今、新入生歓迎会の一環で、部活動の紹介や宣伝を放課後にやっているから、俺は何か入ろうかな。」
マイケルにはそう言ったものの、私は料理研究科が気になっていた。
前回の私は料理に真剣に向き合っていなかった。
だからこそ、今回はちゃんと料理に向き合いたい。
それに、部活動にも参加すれば、色んなコネクションが出来るかもしれない。
そんなことを考えながら、放課後になり、廊下を歩いていると、何やら人が集まっているのに気がついた。
通りがけに覗くと、一人の男子生徒が大きな仕出し箱を抱えて、笑顔で何かを振る舞っている。
「おっ!お前も料理研究科に興味あるのか?新入生なら、この稲荷寿司をサービスするぜ!」
明るい笑顔で仕出し箱に入っている茶色いものを勧めてくる。
私は勧められるがまま、それを一口摘む。
甘い出汁がじゅわっと口の中に広がり、白胡麻が入ったお米が良く合う。
「美味いだろ?料理研究科の副部長が作った逸品なんだ。うちの副部長は東洋の出だから、東洋料理が得意なんだ!去年は包子を出して、それが人気だったから、今年も……と思ったら、採算が悪い!って副部長に言われて断られちまった。」
気さくな男子学生は、聞いてもいないことをぺらぺらと話し続ける。
「この料理研究科に入れば、美味いもの食べ放題だし、授業では学べない料理も学ぶことが出来る。月・水・木・土の週四日制で、色んな研究が出来るぞ!」
「えっ……週四?」
「意外とハードだな。」
周りにいた生徒達はざわつき始める。
「学園祭では、この部も出展するんだ。料理科としてだけでなく、部としても、一つの料理を作ってお客様に提供する。自分の作った料理を提供する機会が増えるなんて最高だろ?」
「そっか、学園祭でも出すのか。でも、学園祭ってコンテストとかある時期だよね?つまり、コンテストと自分の専門科の料理と部活の料理作るのか……うわ、キツそう。」
ざわつき、人が一人、もう一人、と減ってしまう。
「あれ、もう行っちゃうのか?俺達の部室は三階の調理室Aだから、いつでも遊びに来いよ!」
気がつけば、私一人が残ってしまった。
「おっ!お前は残ってくれたんだな!今日は部活動の日なんだ。良かったら、これから見学に来てくれよ!」
男子生徒に背中を叩かれ、部室があるであろう方向にぐいぐいと押される。
こうして、あれよあれよと言う間に部室に連れて行かれることになった。
「おい、アラン!新入生連れて来たぞ!」
「ポール、勝手に勧誘する為に、明日の弁当用に作った仕出し箱に置いてあった稲荷寿司を全部持って行くな!ああ、全部空にして……持って行った稲荷寿司の数と勧誘した生徒の数が見合ってないぞ?」
アランはポールと呼ばれた男を睨みつける。
「まあまあ、そんなこと言うなよ。ほら、せっかく見学に来てくれた新入生に失礼だろ。」
「はあ……まあ、そうだな。君は、一年のローズ・リシャールだな。俺はここで副部長をやっているんだ。見ての通り、ここは授業だけでなく、放課後や余暇時間も料理の研究をしたいといった奴らが集まる部活だ。部員は全部で九名。ポールが言っていた通り、学園祭やコンテストの繁忙期に部活としても出展を行うから、忙しくなる。まぁ、プロになったら、色んなイベントが重なり、対応して行く必要があるから、こんなことで、弱音を吐いている時点で、プロを目指しているとは思えないが……まぁ、興味があれば、入ってくれ。歓迎するぞ。」
淡々と話すアランに、ポールは背中を叩いた。
「おいおい、アラン。そんな言い方だと楽しさが伝わらないだろ。お前、ローズって言うんだな。俺はポール・ランベール。ここの部長で料理科の二年だ。こっちは、アラン・ロバン、俺のクラスメイトで親友だ。アランの料理の腕はこの部内で一番凄いんだ!今日は、東洋のカレーを作っている。クルチャやナンも作っていてるから、本格的だぞ!ここは、料理だけでなく、添え物のパンやデザートも作ったりするから、広い分野で学べるぞ。」
ポールは生徒が料理をしている場所に案内してくれる。
「グリーンカレーとチキンカレー……カレーも色んな種類を作っているんですね。」
「ああ、スパイスもその国のものを使っていて、本場のカレーを目指しているんだ。」
「ポール先輩って、リストランテ・ランベールの御子息ですよね?創作料理が有名で、予約はすぐ埋まってしまうという……」
「お!俺の家のことを知っているのか!親父みたいに楽しくクリエイティブに料理を作るのが夢なんだ。この部活では、自分が作りたいものを作れる。授業は学校や先生主導だけど、ここは生徒主導だ。作ることの楽しさを第一に考えている。」
「……良い部活動ですね。」
「ただ、この部活動は他の部活動よりも活動日数が多い。授業や課題を疎かにしないのが条件だ。」
アランの言葉に、私は頷く。
授業に生徒会の仕事、それにあらゆる部活動の中でハードな部活の入部……
前回の私なら、入部することすら考えてなかった。
だけど、今回はちゃんとプロを目指す者として、やれることは全てやりたい。
「……私、入部します!」
アランは少し驚いた様子で、ポールはぱあっと顔を明るくさせて、私にハイタッチを求めた。
「ようこそ、料理研究科へ!久しぶりの入部だから、嬉しいぞ!」
「……即決するのは君が初めてだ。まあ、歓迎しよう。今日は勝手が分からないだろうから、見学してくれ。次回から、参加してもらうぞ。」
「はい!」
学校を出ることには、すっかりと辺りは暗くなっていた。
凄い決断をしてしまった。
でも、私は変わりたかった。
婚約者としてだけでなく、料理人も目指す者として、もう、前回のローズ・リシャールのようにはなりたくなかった。
「……マイケルの言う通り、体力が必要になりそう。ジムって週いくつとか、決まりなかったよね。入会だけして、土曜日の部活動の後に、一時間だけ通うようにしようかな……」
私はぶつぶつと呟きながら、寮に戻った。
後日、私はジムにも入会することとなった。
生徒会、部活動、ジム通いと私の学校生活は入学する前には想像も出来ないようなハードな日常となったのだった。