番外編
クリストファー視点の番外編です。
俺には二つ下の幼なじみがいる。
彼女の名前は、ローズ・リシャール。
有名五つ星レストランのオーナーシェフの娘だ。
母同士が学生時代の友人で、ローズの父は俺の父とビジネスパートナーになり、ローズの父のレストランの中に俺の父のパティスリーの2号店を開かないかと昔から打診しており、俺の父はなかなか首を縦に振らない。
そんな両親達の関係もあり、俺とローズは小さい頃から親交があった。俺には弟妹がいて、妹はローズと同い年だったからか、ローズと俺の弟妹は俺の後をついてきた。
ローズは俺の弟妹以上に俺に懐いてきた。
好かれることに、不満を抱く者などいるだろうか。だから、俺もローズのことは妹のように可愛がっていた。
そんな関係が数年続いた。
そして、俺が専門学校に入学する直前、互いの両親の意向により、俺達は婚約することとなった。
突然の話に俺は驚いた。
ずっと妹だと思っていた子が俺の婚約者で妻となる女性?
急な話に頭がついていかなかった。
そんな俺の困惑を他所に、両親達は話をどんどん進めていく。
「……どうだね?私達は賛成している。あとは、本人達の意向に任せたいと思う。」
俺はローズの顔を盗み見た。
ローズも少し困惑しているのか、返答に困っていた。
ここは、年上の俺がしっかりしなくては。
沈黙を続けていれば、ローズにも失礼だろう。
しばらくの沈黙の後、俺は深くお辞儀をした。
「……私で良ければ、ぜひお受けしたく存じます。」
おお、と両親は嬉しそうな声を上げた。
その時だった。
「……私は、早すぎると思います。」
ローズが冷たい声で、遮った。
その場がざわつく。
「お前はこの婚約は時期尚早だと?」
ローズの父にそう尋ねられ、ローズは頷く。
「ええ、私はまだ十三歳で、彼はまだ十五歳です。私達はまだ未熟です。これから、一人の人間として、料理人として、パティシエとして、色んな経験を積んでいくと思います。婚約はその後でも良いと思うんです。」
もちろん、彼は私には勿体ないほど、とても魅力的な方ですが、と付け加えて、ローズは口を閉じた。
ローズはまだ十三歳だというのに、大人のような見解を述べる。
ローズの運命を左右するというのに、俺はすぐに返答をしてしまった。
自分の対応に内心恥じた。
ローズの父は唸った。
「……確かにお前達はまだ若いからな。この話は早過ぎたかもしれん。」
「では、この話は白紙としますか?」
「いや、あくまで『保留』にする。」
父からの問いにローズの父は首を振った。
婚約保留。
ローズはその回答に眉を顰めた。
そんなに、この婚約には否定的なのだろうか。
少し胸がチクリとした。
ローズの父はローズの表情を見て、苦笑いをした。
「そんな顔をしないでくれ。あくまで、私達はお前達の意見を尊重したい。だから、この3年でこの婚約をどうするか決めてもらう。お前が言ったように研鑽を積んだ上で、決めて欲しいんだ。どうだ?」
ローズと俺はお互いの顔を見て、頷いた。
「もちろん、お前達は学生としての務めもあるだろう。そこで、私達から提案するのは1つだけだ。毎月二十日は二人の交流を深めるよう、どこか出掛けるように。ただし、過度な接触は控えるように。」
ローズと俺は外に出るように促され、ティーセットを持って、庭園に出た。
おそらく、大人だけで話したいことがあるのだろう。
「……向日葵が綺麗だな。」
婚約の話を切り出すか迷ったが、あまり言及して、プレッシャーを与えてはいけないと思い、俺は目の前にあった向日葵の話をした。
「八月ですからね。今が見頃です。そうだ、この前、クッキーと一緒にエディブルフラワーを砂糖漬けにしたんです。上手く花の香りを残せたので、よかったら試食しませんか?」
ローズもどこかホッとした様子で、会話を続けてくれた。
「今、取りに行きますね。ついでに、紅茶も新しいものを淹れてきます。」
パタパタと駆けていくローズはいつもと変わらない。
いつまでも変わらない妹のような存在だと思っていたが、いつの間にかあんな大人びた考えをするようになっていたのか。
幼い少女だと思っていた幼なじみはいつの間にか女性に成長しつつあった。
しばらくしてから、ローズは可愛らしいお皿に乗せた花の砂糖漬けとクッキーを俺に差し出した。
「お待たせしました。庭で栽培した無農薬のミントやビオラ、ローズ、スミレを砂糖漬けしたものです。クッキーは紅茶と珈琲味です。こちらは、甘さは控えめにしております。」
「お、美味そうだな。見た目も花そのままだ。」
「紅茶はアールグレイにしました。」
「うん、美味いな。クッキーも紅茶や珈琲の味が引き立っている。」
「……良かったです。」
しばらく、沈黙が続いた。
婚約のことについて、聞きたいが、なんと切り出せば良いのかわからない。
保留中の婚約者との会話なんて、インターネットで叩いても検索結果は出ないだろう。
ローズはティーカップに注がれた紅茶を一口飲み、決意したように話し始めた。
「……婚約のことですが、私は決して貴方が嫌いだから婚約を破棄したわけではありません。ただ、お互い生涯を遂げる相手を決めるのは尚早かと思いまして……まだ、料理人やパティシエとしても専門知識を学んでおりませんし。」
至極真っ当な回答だ。
しかし、何だろう。
どこか、ローズの物言いは線引きをされているような……そんな気がした。
「……そうか。どちらであれ、俺は君が無理をしない選択をしてほしい。少なくとも、俺は君のことを大切に思っている。」
俺がそう言うと、ローズの大きな瞳からぽろりと一粒の涙が零れ落ちた。
俺は慌ててハンカチで涙を拭う。
すると、ローズは俺の手をそっと握る。
触れ合いなどいつも行なっていることなのに、俺はドキッとしてしまった。
「……ありがとうございます。改めて、これからよろしくお願いします。」
「ああ。こちらこそ、よろしくな。」
涙目で上目遣いをするローズに、胸が熱くなるのを感じる。
婚約の話なんてしたからだろう。
俺はローズを異性として意識するようになってしまったのだ。
その日の夕方。
両親達は俺達にさらなる課題を与えた。
「今から二人に一つのコース料理を立案してもらう。クリストファー君は今年から専門学校に通い、ローズはその準備があるだろう。これから、お前達は俺達の後継者として、色んなことを学んでもらう。まずは、今の自分達の実力を見させてもらうぞ。」
「時間は十日間。クリストファーの入学の二日前です。君達には実際に考えた案を作ってもらい、僕達に提供してもらいます。予算はここに書いてあります。作ってもらうのは、前菜とメイン料理とデザートです。」
「テーマは異国の料理だ。俺達は自国の料理やケーキがメインだ。ただ、国際交流が盛んになっている今日、食のグローバル化は一つの大きなキーワードになるだろう。お前達には、異国の料理に挑戦してほしい。国は問わない。」
かなり時間が限られている。
俺とローズは一瞬戸惑うも二つ返事で了承した。
俺達はその晩、互いの家で案を考え、翌日考えた案を出し合った。
議論は想像以上に白熱した。
よくよく考えれば、いつもは他愛もない話しかしておらず、食に関して、ローズと話し合うことなんてなかった。
ローズのアイデアは弱冠十三歳の少女が考えるようなアイデアではなかった。
「うん……いいな。俺が考えた案より凄く良い。俺は予算重視の打算的なきらいがある。でも、ロージーの案はお客様をより楽しませるものがある。東の国のスイーツか……和菓子……饅頭、あまり作ったことがないが、これを機に挑戦するのもアリかもしれない。」
「でも、これだと私達の店ならではの良さがありませんね。私達はあくまで後継者としての姿勢を求められていますから。」
「確かにな。それでは、これはどうだ?ロージーの店はトマトベースの料理が得意だっただろう?茶碗蒸しをトマトベースにするんだ。伝統的な茶碗蒸しではなくなるが、アレンジを効かせて、俺達の店ならではにしよう。」
俺の意見にローズはスケッチブックに新たなデザイン案のイラストを描き始める。
「良いですね!クリスのデザートもせっかくなら、マスカルポーネを使ったらどうでしょう?確か、クリスのお店はマスカルポーネを使ったレアチーズケーキが一推しなのでしょう?SNSで見かけたのですが、東の国では、四角い升を使ったパルフェが流行っているようです。似たような容器を探して、ジェラートや自国のフルーツ、自慢のマスカルポーネで作ったクリームを入れて、ホワイトチョコレートで載せて、粉を振るえば、見栄えも良くなりますよ!」
「いいな。饅頭にマスカルポーネだけを入れると重くなってしまう。パフェならメリハリをつけやすい。ブラックココアを使えば、土のようになり、この前食べたエディブルフラワーなど添えたら綺麗になるだろう。抹茶を使えば、東の国のスイーツらしくなる。フリーズドライの苺を使えば、女性好みのピンクの色になるな。」
「ふふふ、結構纏まってきましたね!さっそく、調達をしましょう!輸入商品はリードタイムが長いですから、慎重にオーダーしないと。それに、予算内に納められるように、高評価で安価なものを……」
ローズが慌ただしくスマートフォンを取りに行こうとするのを俺は引き留め、ローズの頭をぽんぽんと撫でた。
「俺がロージーの歳の頃、そんなすぐにアイデアは出せなかった。予算やコンセプト、店のことまで考えて、君は凄いな。俺よりも広い視野で色んなことを考えている。尊敬しているよ。」
すると、ローズは花が咲いたようにぱあっと明るい笑顔を見せた。
あどけなさと可愛さの中に、たまに見せる大人びた表情と発想。
昨日、今日で俺はローズの魅力をどんどん知っていく。
課題は大成功だった。
説明も上手くできた。
「お疲れ様。おかげで大成功だ。」
「お疲れ様です。こちらこそ、クリストファーのおかげで上手く行きました。」
お互い労いの言葉を言って、笑い合った。
俺は立ち上がり、冷蔵庫に向かう。
「まだ食べられそうか?ロージーと一緒に食べられるように升パフェを2つ余分に作ったんだ。」
ローズはぱあっと表情を明るくし、二つ返事で頷いた。
「すっごい、美味しいです!さすが、クリスです!」
ローズが昔と変わらず、大きく口を開けて、美味しそうに頬張り、頬に手を当てる仕草をする。
俺は思わず笑ってしまう。
良かった、と何故か思ってしまった。
ローズは全くの別人になったわけではないと再確認出来たからだろう。
「相変わらず良い食べっぷりだ。そんなに美味しそうに食べてくれると、こっちまで嬉しくなるよ。」
そう言うと、顔を赤らめるローズ。
でも、ふとローズの顔を盗み見ると、どこか翳りのある顔をしていた。
俺はその表情の意図が掴めず、ただ目の前にあるパフェを食べ続けた。
数日後、俺はローズより一足先に専門学校に入学した。
入学式の前日、荷解きをしており、ゴミ出しをする時、ばったり隣の男子学生と部屋を出るタイミングが被った。
「君が学年トップのクリストファーくん?俺はダミアン・ジラール。隣の部屋だし、これからよろしくね!」
ダミアンはとても気さくで隣の部屋だったことからも、すぐに打ち解けた。
「へぇ、婚約保留中の幼なじみねぇ。クリスくん、変わった関係の子がいるんだねえ。」
食堂で昼食を摂りながら、どうしてもローズの反応が気になった俺はダミアンにローズの話をした。
ローズと面識がない人であれば、気兼ねなく話せると思ったからだ。
「俺も彼女も兄妹のような関係だったから、婚約は互いに驚くものだったんだと思う。でも、彼女は両親に従順で、俺にも懐いていたから、婚約を拒否するとは思わなかったんだ。それに、いつの間にか彼女は大人びた物言いをするようになったりして……凄く変わったというか、なんというか。」
最後は歯切れの悪い言葉になった。
俺はローズの変化に戸惑っている。
俺達は思春期だ。こういう変化もよくあるのだろうか、ローズはどこか違和感があるのだ。まるで、何か大きな経験をしたような。
「それって、もしかしてその子、好きな人や付き合っている人が居て、その人の影響なんじゃない?」
「……は。」
俺は思わず、変な声が出てしまう。
「ほら、好きな人が居るから婚約は絶対イヤ!とか、前より大人びて見えるのは、その人が年上とか、精神的に大人な人と付き合っている、と、か……って、クリスくん、顔怖っ!あくまでも例え話だから!」
「ああ、そうだよな。すまん、すまん。」
俺は思わず口を抑える。
……俺よりも大人な男とローズが付き合っている。
そいつと仲を深めて、ローズはあんなに魅力的に変わったのか?
俺は初めて嫉妬をした。
顔も名前も知らない、存在するかどうかもわからないローズを変えた人物に嫉妬してしまった。
俺はきっとローズのことが気になっている。
きっかけは、この保留にされた婚約だ。
幼なじみの関係や保留中の婚約関係は、俺とローズを恋愛関係にするには、足枷にしかならない。
俺はローズにとって、婚約を保留にしてしまうほど、異性だと思えない相手。
きっと、ローズは俺のことを兄のような幼なじみとしか思っていないのだろう。
「先は長いな……」
俺はそんなことをぼやいて、窓を眺めるのだった。