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第三話

それから二日後、クリストファーは学園に入り、寮生活を始めた。

月一回、私とクリストファーは両親に言われた通り、ランチを一緒にしたり、ささやかな時間を過ごした。


それは、以前では考えられないような平穏な時間だった。

前の私は殺伐としていて、周りにいる女性は目の前の婚約者を奪う敵のように見えたし、綺麗な女性には嫉妬した。


婚約者ではない、ということだけで、私の変な自信やプライドはなくなったし、以前の記憶から驕ることの愚かさを知った。


誰にも何にも期待しない。

ただ、運命に翻弄され、流れに身を任せる。


そして、自分の役割を果たす。

ただ、ひたすら学生として学び、料理人の卵として料理を作る。


クリストファーと過ごす時間は夢のようだった。良い意味でも悪い意味でも、泡沫の夢のようだった。

決して現実にならない、手の届かない夢。

幸せで、でも永くは続かない夢。


私はこの人生で今度こそクリストファーと結ばれるんだ、と躍起になることは出来なかった。


それほど、過去の記憶は私の胸に痛く苦しく刻まれた。


新しい恋も探す気力がない。

恋に縛られない人生を歩みたいと思う。


頭でそう願っても、心はクリストファーを想っていた。


そんな葛藤が続いて三年。

気がつけば、私は以前享年となった歳になった。


十六歳で私は失恋と破談、後継権の剥奪、自らの死を体験した。


その失敗から立ち直るには、三年という時はあまりにも短かった。


出口のないトンネルをひたすら走り、気がつけば、三年が経ち、私は大好きな彼と同じ専門学校に通うこととなった。


校門の前で立ち止まり、見上げる。


プティ・ロゥフ学園。

世界で随一の調理製菓専門学校。

料理科、製菓科に分かれている。

一般的な基礎教育や基礎的な調理や製菓の基礎を共通科目として学んだ後、各専門科に分かれて、専門分野を学んでいく。


教師は有名なレストランのシェフやパティスリーのパティシエが集い、卒業生も一般人でも名を知る有名な料理人が多く存在する。


倍率は四十五倍と専門学校では、トップクラスの競争率で、そこに入学する生徒は、食に関する何かしらの才能を持っている。


私はここで料理人としての道を捨て、恋愛に溺れた。

今度こそ迷わない。


私は意を決して、一歩足を踏み入れた。


案内に従い、講堂に入り、椅子に座って、校長や教員の話を聞く。


退屈に感じた私は視線を動かす。

そして、ふと、壁際に立つ生徒達に気づいた。


一般の生徒はグレーのジャケットを着ているのにも関わらず、壁際に立つ数名の生徒は白地のジャケットを着て、背筋を伸ばし、立っている。


その中の一人に私は目を奪われた。


クリストファーだ。

珍しく、眼鏡をかけている。


私は今世で初めて見た彼の制服姿と眼鏡姿に胸が高鳴るのを抑え、目線を壇上に戻した。


「……それでは、新入生代表挨拶を行っていただきます。新入生代表、リリア・ミシェル。」


「はい。」


可憐な鈴が転がるような澄んだ声で短く返事をした彼女は壇上に立つ。


ケーキ科の新入生。

リリア・ミシェル。


銀髪に紫の瞳。

小さな村で生まれ育ち、レストランやパティスリーの娘ではなく、この専門学校では、珍しい出自だ。


入学試験である料理とスイーツの実技、食に関する筆記試験、一般教養の試験、面談、総合点が最も高かった生徒が選ばれる新入生代表の挨拶。


決して、自分の実力をひけらかさず、驕らず、ひたすら努力する前向きな少女。


お菓子作りが好きなリリアは、常にバニラの甘い香りを漂わせている。


私はリリアに嫉妬したと同時に憧れたのだ。

彼女の珍しい髪色も瞳の色も直向きさも、バニラの甘い香りも全て。


心のどこかで分かっていた。

リリアはクリストファーの好みの女性ということを。


前回の私もきっと分かっていた。

だからこそ、リリアに近づこうと足掻いたのだ。


人工的な髪色、人工的なカラコン、人工的な香り……。


リリアが淡々と挨拶を進める。

クリストファーもリリアの挨拶を真剣に聞いている。


きっと、今回も同じように二人が結ばれる。


そう思うと、胸が苦しくなり、息が出来なくなる。


「……おい、あんた。大丈夫?」


隣にいた男子学生が怪訝そうに尋ねる。

自分でも変な呼吸をしているのが分かる。

私は小さく手を上げて、大丈夫な旨を与える。


「大丈夫じゃないだろ、それ。ほら、先生呼んで少し休もうよ。立てる?」


男子学生は近くにいた先生を呼び、私を介抱してくれる。

こんなところで悪目立ちしたくないと思った私は首を振る。


「ほら、変な意地張るなって。汗すごいよ。顔色も悪いし。ほら、肩掴んで。」


周りは少しざわつき、リリアも少し不安そうな表情でこちらを見ている。


クリストファーはこちらに気が付いているだろうか。出来れば、見られたくない。

こんな、惨めな私をこれ以上見ないでほしい。


二人が結ばれるのは、分かっていたことなのに。私の身体と心はこの運命を受け入れてくれない。


私は男子学生と先生に介抱されながら、保健室に連れてかれた。


私はベッドに横になり、目を瞑る。

男子学生と先生はカーテンを閉めると、カーテン越しに話を始めた。


「先生。俺、こいつの様子見てます。先生、俺達の担任でしょ?俺達のクラスの案内とかあるでしょ?こいつの体調が落ち着いたら、合流するんで。入学式の案内に書いてあるの知ってるし。」


「生徒に任せるわけにはいかないわよ。」


「まあまあ、そんなこと言わずに。大丈夫だって、生徒を信頼するのも先生の役目っしょ?」


何やら男子学生と先生は小声で話しているようだったが、私はクリストファーとリリアのことで頭がいっぱいで会話が頭に入らなかった。


しばらくすると、扉が開き、先生か男子学生のどちらかが去っていったのを感じた。

私はドアが閉まる音と共に、意識を手放した。


夢を見た。

これは、私の以前の記憶。

入学して間もない頃の記憶だ。


確か、食堂でクリストファーと昼食を摂っていた時だ。


「ねえ、クリス。今度の土曜日は最近出来たテーマパークに行ってみませんか?」


「……そうだな。でも、入学してから毎週末どこかに出掛けていて、課題は大丈夫なのか?」


「大丈夫ですよ。息抜きも大事ですから。」


「……そうか。分かった。」


クリストファーはため息混じりにそう返した。

あの頃の私は気がつかなかったが、きっと私に呆れていたのだろう。


場面が次々とまるでカメラのシャッターが切れる時のように変わっていく。

これは、テーマパークに行った時だ。


「ロージーの同級生のリリアの作品をこの前見たんだが、凄いな。可愛らしいヘキセンハウスを作っていたんだが、周りの人達も興味津々だった。」


「……そうですか。でも、クリス。婚約者の前で他の女の話はあまり気分の良いものではないです。」


「ああ……そうだな。すまない。」


そこから気まずい沈黙が流れたのを覚えている。あの頃からクリストファーはリリアのことを気にかけるようになった……気がする。


これは、確か放課後だ。

この日、私は初めてリリアに嫌がらせをした。

リリアが作った林檎のコンポートをゴミ箱に捨てたんだ。


「リシャールさん……どうして。」


「気に入らないのよ。貴女の全てが。田舎者のくせに、婚約者がいる男を誑かして!」


「……リシャールさんの気分を害すような振る舞いをしてしまっていたなら申し訳ありません。でも、私は決して、クリストファー先輩を誑かしてなんて……」


「気安くクリスのことを名前で呼ばないで!」


私がカッとなってリリアに手を挙げようとした時、近くを通りがかった先生が止めに入ったのだ。


「リシャール。君は料理人を目指している身でありながら、食べ物を粗末にし、あまつさえ、級友に手を出したのか。料理人としてだけではなく、人として、その行いは間違っている。」


そして、私は一週間謹慎処分となった。

これをきっかけに、リリアとクリストファーの仲はさらに深まり、私とクリストファーの溝はさらに深まった。


分かっている、全て自分が悪いのだと。

今度は身を滅ぼすような愚行はしたくない。

それなのに、二人を見ると張り裂けそうな思いをするから、私は同じ過ちを犯しそうで……


私は顔が濡れているのを感じ、目を覚ました。

冷たい液体は私の涙だった。


時計を見ると、一時間ほど眠っていたようだった。


「……料理人は体力が命なのに。こんなすぐに倒れていたら、仕方ないわね。」


私は涙を拭いながら、ぽつりとそう呟いた。

すると、カーテン越しに先程の男子学生の声が聞こえた。


「あ、起きた?気分はどう?」


どうやら、私が起きるのを待っていたらしい。私は慌ててベッドから起き、カーテンを開ける。


「気分はだいぶ良くなったわ。折角の入学式に迷惑をかけてしまってごめんなさい。ええと、貴方の名前は……」


「マイケル・フルニエ。料理科の一年。別に気にしなくていいよ。俺、入学式とかああいう堅苦しいの苦手なんだよね。保健室でぼうっとしていた方が余程楽だわ。」


マイケルは頭を掻きながら、怠そうに答えた。


「ありがとう、マイケル。私はローズ・リシャール。私も料理科の一年よ。」


「マイクでいいよ。ちょうど、各クラスへ移動の時間だし、合流しに行きますか。さっき、先生に聞いたんだけどさ、俺達同じクラスらしいしさ、これからよろしくな!」


「私もロージーでいいわ。こちらこそ、これからよろしくね、マイク。」


そういえば、前回の私はこの学園で友人と呼べる人が一人もいなかった。

クリストファーと終始行動を一緒にしていたし、他の女子学生は敵に見え、男子学生との交流は婚約者がいる女性として、もっての外だと考えていた。


そんなことを思いながら、二人で教室に向かっていると、後ろから誰かがこちらに向かってくる音がした。


「ロージー。」


振り返るとそこにはクリストファーが額に汗をかいて、こちらに向かってきた。


「クリス。どうしてここに?」


「さっき、式の途中で倒れただろ。保健室に様子を見に行ったら居なかったから……体調はどうだ?」


「心配させてごめんなさい。ただの立ちくらみみたいで、もう平気です。」


「そうか。それなら良かった。慣れない環境で疲れが出たのかもしれない。これ、スポーツドリンクだ。こまめに水分補給はするんだぞ。」


「……ありがとうございます。」


クリストファーから思いがけない差し入れをもらい、不謹慎ながら嬉しくなってしまう。


「あの、お二人はお知り合いなんですか?」


すっかり蚊帳の外になっていたマイケルが気まずそうに尋ねる。

そういえば、さっき思わず愛称で呼んでしまった。これからは、気をつけなければ。


「ええ……私達、幼なじみなの。」


そんなことを考えながら、私が慌ててマイクの質問に答え、クリストファーに同意を求めると、クリストファーは片眉をピクリと上げてから、すぐに笑顔でマイケルに応えた。


「……ああ。俺はクリストファー・ガリシアだ。ロージーが世話になったな。」


クリストファーが私の肩に軽く手を乗せた。

不意の出来事に私は思わずドキッとしてしまう。


「副会長の人ですよね、生徒会の紹介で出られてたんで、覚えてます。俺はマイケル・フルニエです。料理科の一年です。」


「そうか。俺は製菓科の三年だから、中々授業を一緒にする機会はないだろうが、これからよろしくな。」


「クリストファー。話は終わったか。そろそろ、生徒会の打ち合わせの時間だぞ。」


後ろから別の男子学生が声をかける。

確か、生徒会の挨拶をしていた、生徒会長ではなかっただろうか。


「おお、そうだったな、すまん。ロージー、マイケル、またな。入学おめでとう。」


マイケルと私は軽く頭を下げて、踵を返した。


しばらく経ってから、マイケルが私に小声で話しかけてきた。


「……なあ、ロージーとクリストファー先輩って、本当に幼なじみの関係だけな訳?」


マイケルの質問に私は思わず面食らってしまう。


「ええっと……どうして、そう思うの?」


「さっき、俺、物凄くマウントを取られた気がする。圧もやばかったしさ!」


マウント?圧?

私はクリストファーの隣にいたからだろうか、そんなことは感じなかった。


「マイクの気のせいじゃない?」


「……そうかぁ?絶対、マウント取ってきたんだと思うんだけどなあ。」


マイケルは納得がいかないといった様子で、ぶつぶつと呟いていた。


まさか、そんなことがあるはずがない。

だって、私達の関係はただの幼なじみ。

保留中の婚約関係があるだけだ。

それも、政略婚約。


マイケルも期待させるようなことを言わないでほしい。


私はここで三年間、料理人の修行の一環として、料理に身を粉にして、勉強をするのだから。


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