第十二話
無事、合宿が終わり、私達は学園に戻ってきた。
ジャスミンは機内で、レオと帰国後、デートの約束が出来たことを嬉しそうに話し、どこに行こうかという話に付き合っていた。
私も明日はクリストファーと久しぶりに会う。
お土産に買ったハートの刻印入りのお菓子の存在を思い出す。
少しは私も自分の気持ちに素直になってもいいのだろうか。
ジャスミンの話を聞いていると、ついつい自分も、と同調してしまう。
この合宿中、もしかしてリリアとの仲が深まったりしていないだろうか。
逢瀬を重ねて、恋人にでもなっていないだろうか。
そんなことを考えて、ヤキモキしてしまう。
連絡は合宿中も一日に数件来ていたが、クリストファーが何をしているか詳しいことは知らない。
悶々としながら、女子寮に向かうと、リリアが手を振って、出迎えてくれた。
私は思わずぎくりとする。
「おかえりなさい。ローズさん!合宿はどうでしたか?」
「ええ、楽しかったわよ。良い経験になったわ。リリイはここで何を?」
私がそう尋ねると、リリアは少し恥ずかしそうに、えへへと呟く。
「ローズさんを待っていたんです。お休み中に全然お会い出来なかったので。」
「あら、嬉しいです。良ければお茶をしませんか?お土産にお菓子と緑茶を買ってきたので、それを食べながらお話ししましょう。」
「わあ、嬉しいです!」
リリアは私に何故か凄く懐いている。
クラスメイトで、同性で同じ寮ということもあり、会う頻度も少なくはない。
こうやって、お茶を誘えるくらいの平静を保つことができるようになった。
私はトランクを部屋に置き、手土産だけ持って、寮の食堂に戻ってきた。
「リリイはお休み中どこか出かけたりしたの?」
「マイケルさんとジムに行ったり、製菓科の人達と練習をしたり、あとは生徒会の方々と出かけたりしましたね。あ、今度はローズさんとも一緒に行きたいねって皆さんと話していたんです。」
クリストファーと二人きりで出かけたりはしていないようで、私は内心安堵した。
「ローズさんは合宿はどうでしたか?私、海外に行ったことがなくて、写真はありますか?」
リリアは無邪気な表情で尋ねてくる。
リリアとの関係は良好だ。
前回のような結末にはならないかもしれない、と合宿で前回との出来事が大幅に変えることが出来た私は少し慢心してしまっていた。
だから、リリアの言葉に私は思わずカップを落としてしまった。
「わ、ローズさん!大丈夫ですか?」
「ええ、少し驚いてしまって……」
「えへへ、まだ誰にも言っていないんです……私、クリストファー先輩のことが好きになってしまったんです。」
私が変われば、周りも変わる。
結末が変わるなんて、何で思ってしまったのだろう。
この時をずっとシミュレーションして、覚悟していたはずなのに、いざ、その時になると声が出なかった。
私が何も反応を示さず、呆けていると、リリアは罰の悪そうな表情をした。
「わ、私には不釣り合いです、よね?でも……好きになっちゃったんです。幼なじみのローズさんはクリストファー先輩のこと、色々知っているかなと思って。く、クリストファー先輩ってお付き合いしている人、いらっしゃるんですかね?」
お付き合いしている人……。
私とクリストファーの関係はどうなんだろうか。
保留中の婚約者?それは、恋人以下の関係であり、幼なじみなだけだろう。
「私には分からないわ……お役に立てずごめんなさい。」
考えに考え込んで、絞り出た声がそれだった。
応援する、といった上辺だけの言葉も、何でクリストファーなんだという本音も、何も言うことが出来なかった。
「そ、そうですよね。頑張って自分で探ってみます。実は、明後日に製菓科の勉強を見てもらう約束をしているんです。二人で過ごすのはあまりないですし、少しでも良い印象にしたくて。クリストファー先輩って、どんな女性が好きなのでしょう?」
クリストファーの好みのタイプ。
それはきっと、リリア自身だ。
前回もクリストファーの初恋はリリアで、それより前に誰かと付き合ったことは見たことがなかった。
今回も特に付き合っている人が居たという情報は得ていない。
「きっと、ありのままの貴女で大丈夫よ。」
「ローズさんに、そう言ってもらえると心強いです。」
リリアの無邪気な微笑みに、罪悪感で胸が痛んだ。
飛行機内では楽しみで待ち遠しかった明日のクリストファーとのデートが一気に憂鬱になった。
それからの記憶は曖昧だ。
頭が働かず、生返事だけしてしまっていたかもしれない。
緑茶の味もお菓子の味も覚えていない。
二回目だというのに、いつまで経っても、失恋へのカウントダウンは慣れないものだ。
私は自室に戻ると、色んな感情が押し寄せて、涙が溢れた。
「何で……どうして……」
結ばれないのなら、引き合わせないで欲しい。
私はその日泥のように眠った。
明日なんて、来なければいいと思った。
それでも、日が昇り、次の日を迎える。
疲れ切り、泣き腫らした醜い顔をした私。
ボサボサの髪を無理矢理櫛で梳かす。
「酷い顔……」
私は思わず笑ってしまった。
「こんなんじゃ、好きになってもらえないのは当然よね。」
いや、これで良いんだ。
フェードアウトして、二人の幸せを願えば、少なくとも私は料理人としての道を絶つことはない。
私はスマートフォンを取り出して、メッセージを送った。
『ごめんなさい、長旅で疲れたみたいで、体調が悪いから会えないです。』
前回の記憶で私は誓ったのだ。
今度こそ、運命に逆らったりしないと。
すぐに、スマートフォンから着信音が鳴った。
『分かった。大丈夫か?何か欲しいものはあるか?』
私は大丈夫です、とだけ送って、スマートフォンの電源を切った。
ただ、この現実を受け入れたくなくて。
私は二日間の休みでひたすら眠った。
「おはよう、ロージーって、どうしたんだよ、その冴えない表情。」
登校すると開口一番、マイケルに驚かれた。
「ちょっと時差ぼけしていて……」
眼鏡に適当に結んだ髪。
いつもはクリストファーと同じ学校だからと一応身だしなみは気にしていたが、今日はそんな気分になれなかった。
変に本当のことを言っても、ややこしくなるだけだ。私は時差ぼけということで誤魔化した。
「ああ、合宿って言っていたもんな。大丈夫か?」
「ええ……なんとか。」
「おはようございます。ローズさん、大丈夫ですか?」
リリアが登校してきて、私の顔を伺う。
「時差ぼけだってさ。ほら、海外に行っていたから、体調崩しちゃったんだってさ。」
私の代わりにマイケルが答える。
ローズと話す気分ではなかったので、助かった。
「ええ、大丈夫ですか?」
リリアに尋ねられ、私は小さく頷いた。
リリアは何かを言いかけたが、私達の近くに誰かが近づいてきて、話が遮られた。
「アラン先輩……どうして、一年の教室に?」
「ローズ。君に話したいことがあるんだ。今、大丈夫か?」
「ええ、まだ朝のホームルームには時間がありますから……」
「良かった。すまないが、借りてくぞ。」
アランは私の手を取り、急ぎ足で教室を出た。
マイケルとリリアは急な出来事にぽかんとして、アランとローズを見送った。
二人が教室を出て行くと、教室は僅かにざわめいた。
「アラン先輩とローズってそういう関係なのかしら?」
「真面目な二人ってお似合いよね。」
ひそひそと周りが妙な噂を立てる。
リリアが反論をしようとすると、マイケルが人差し指を立てて、それを遮った。
「バカ。そんなことしたら、火に油だろ。根も葉もない噂に付き合うことないって。」
小声でマイケルにそう言われたリリアは口を噤んだ。
ただ、教室の扉を見つめて、様子がおかしかったローズのことがリリアは引っかかっていた。
(もしかして……ローズさんは。)
そう思って首を振る。
変な考えはよそう。
リリアは席について、周りのざわめきを無視しながら、マイケルと他愛もない話を始めたのだった。
一方、ローズとアランは普段立ち入り禁止の屋上にいた。
「どうやって、ここの鍵を?」
「まぁ……部活のことで職員室へ行った時に先生の隙を見てな。」
アランは鍵を手で弄びながら、言葉を濁す。
「それで、こんなところで、一体何を……?」
部活動のことなら、廊下でも話せるだろう。
人気の少ない場所を選ぶということは、先日の件だろうか。
「ローズ……今から俺が話すことが分からなければ、戯言だと思って聞き流してほしい。」
「は、はい……」
この切り出し方はもしかして、また違う話なのだろうか。
「ローズ、君は……一体、何者なんだ?」
「え?」
アランの表情は至って真剣そのものだった。
「ずっとこの学園に入ってから変な夢を見ていた……でも、合宿が終わって、その夢がどんどん鮮明になっていって、夢じゃないと思えてきたんだ。」
ぶつぶつとアランは呟く。
「夢で出てくる君は今ここにいる君とは全くの別人だ。最初は全く同一人物だと気付くことができなかった。」
私は一つの仮説に辿り着く。
もしかして、アランは私と同じ前回の記憶があるのだろうか?
前回、私とアランとポールは既に死んでいる。以前、死んだことのある人は過去の記憶として、前回の出来事が残っているのだろうか?
「夢の君はとても外見が派手で……性格も異なっている。副会長とずっと一緒にいて、学びの姿勢は全くない。そして、その夢で俺はポールを殺して、心を病み、自殺を図った。俺はこれがただの夢だと思えない。さりげなく、ポールにも聞いてみたが、ポールはそんな夢は見たことがない、と言っていたが、君は心当たりがないか?夢と現実で大きく異なる存在は君なんだ。」
「…………」
「君が止めなければ、あの合宿で、俺はポールを殺してしまったのか?」
「私も……同じような夢を見ます。その夢では、私の世界はクリストファー先輩……クリストファー・ガルシアを中心に回っていました。だから、それ以外の記憶はぶつ切りなのです。ですが、合宿でお二方が亡くなったのは私も夢で見ました。」
私はアランに合わせるように『夢』として、ぽつりぽつりと話を始めた。
アランは俯いた。
影でアランの表情ははっきりとは分からなかったが、苦渋に満ちていた。
やはり、アランがポールを殺めたのは本意ではなかったのだろう。
「信じられないような話だが……君は何故話が通じるんだ?君のことも聞かせてほしい。」
「その夢で、私はクリストファー先輩にとにかく執着していました。クリストファー先輩は私と婚約関係にあって……とにかく、クリストファー先輩の目に映りたくて、派手な格好をしていました。」
「副会長はああいうのが好みなのか?」
「いいえ。ただ、他の女性とは違うというのを見せたかったのでしょう。そして、クリストファー先輩と親しいリリイに嫉妬して、酷いことを沢山して、初恋の人も、家族も、継承権も失って、田舎へ向かうことになりました。でも、その時に脱線事故が起きて……そこからの記憶はありません。でも、私も自分の行いを酷く後悔していました。」
「つまり、俺と君は過去の自分が起こした出来事に酷く自責の念を抱いていた。その想いで、パラレルワールドの世界に来てしまっているということか?」
「魔法や異能力のない世界で起こっているこの異常現象を常識に当てはめることは出来ないと思いますが、おそらくはそうなのでしょう。」
今まで、私だけがこの異常な空間に放り込まれたと思ったのだが、アランと話して、それは何らかの条件により発動することが分かった。
そして、その鍵となるのはおそらく『強い自責の念と後悔』。
私がそんなことを考えていると、アランは深く頭を下げた。
「俺は君のおかげで同じ過ちを犯さずに済んだ。君は俺の恩人だ。俺で良ければ、君の夢の出来事を塗り替える手伝いをさせてもらいたい。」
「そ、そんな大袈裟な……」
私はアランがポールを殺めてしまったことを明言したつもりはなかったが、私の態度でアランは自身がポールを殺めたことを察してしまったのだろう。
私の過去はクリストファーとリリアの切れない縁を無理矢理切ろうとして、自滅した。
そして、この世界でリリアはクリストファーに既に好意を抱いている。
クリストファーの私の好感度はおそらく前回よりは高いかもしれない。
しかしながら、リリアがクリストファーに好感を持っている以上、いつクリストファーの好意がリリアに向けられるか分からない。
私はまだクリストファーが好きだ。
でも、その想いに従うわけにはいかない。
もう、同じ過ちはしない。
「今は副会長とは婚約関係にあるのか?」
アランが不意にそんな質問を私にする。
「いいえ……前回の記憶があったので、保留にしています。クリストファー先輩が卒業するまでに、互いに恋人や好きな人がいなければ、この婚約関係は正式なものになるという話になっています。」
私がそう答えると、アランは少し考えた後、真剣な表情で答えた。
「……俺を恋人にするのはどうだ?要は君が副会長とリリア・ミシェルの仲を邪魔しないようにしたいのだろう?俺という恋人がいれば、君と副会長の婚約関係はなくなる。婚約関係を解消できた後の俺との関係の継続は君の意向に合わせる。」
「そんな……アラン先輩を巻き込むなんて……」
でも私の想いはそんなことをしないと、振り切れない。
クリストファーが私に微笑むだけで、私はクリストファーに期待してしまう。
それなら、私が恋人を作って、身を引けばいい。恋人がいる女性にクリストファーも安易に近づかないだろう。
私が歯切れの悪い返答をすると、アランはふっ、と笑った。
「俺には婚約者も恋人もいない。君さえ良ければ、君の恋人役にしてほしい。」
アランが私に手を差し伸べる。
私は少し躊躇ってから、アランの手を取った。
「ありがとうございます。私に恋人がいれば、クリストファー先輩と私は接触をそんなにしないですし、リリイとの関係も深まりやすくなると思うんです。家族を説得する際に、アラン先輩にご迷惑をかけると思いますが、婚約が正式に破棄されて落ち着いたら、関係も解消するつもりです。」
だから、これが正しい選択だと、私は自分に言い聞かせるように、アランに言った。
「提案した俺が尋ねるのも何だが、君はそれで良いのか?」
「ええ……大切な人の幸せを願いたいんです。」
「そうか……君が良いならいいんだ。これからよろしくな。」
「ええ……もし、アラン先輩に好きな人が出来たら、この関係は無しにしましょう。アラン先輩の恋路も邪魔したくないですから。」
「…………ああ。」
アランは少し間を置いてから返事をした。
話に区切りがつき、二人で戻ろうとした時に、屋上の扉が開いた。
「君達、こんなところで何をしているんだ?」
「……ローズ?」
先生かと思ったが、そこにはパトリックとクリストファーが立っていた。
「ここは、生徒立ち入り禁止だよ。ローズ、君は生徒会のメンバーなのだから、ルールは守ってもらわないと示しがつかないだろう。」
「すみません。俺がここで話がしたいと無理を言ったんです。」
パトリックの言葉に、アランが私の肩に手を置き、すかさずフォローする。
クリストファーの眉がぴくりと動いた。
「屋上の鍵がなくなっているのに気がついて、来てみたら、まさか君達とはね。今日は鍵を返却することで見逃してあげるけれど、2度目はないよ。」
「ありがとうございます。さあ、行こう。ローズ。」
アランが私の手を取ろうとして、クリストファーがそれを遮る。
「副会長?どうしたんですか?」
「……いや、何でもない。」
クリストファーは無意識に私の手を取ってしまったようで、クリストファーはハッとして、すぐに手を離す。
階段を降りる時、私はクリストファーの背中を見つめていた。
クリストファーに、ちゃんと言わなきゃ。
アランと付き合ったということを。
気持ちが重くなる。
「よし、鍵は全部揃ったね。ほら、ホームルームが始まるよ。早く戻りなさい。」
パトリックはそう言って、足早に自分の教室に戻る。
クリストファーはその場を動かない。
重い沈黙が三人の間に立ち込める。
「……あの、クリストファー先輩。保留にしていた例の件ですが、今度正式に解消させていただければと思います。」
私はアランの手を取る。
「……解消する理由が出来たので。」
アランはクリストファーに対して、小さく頭を下げる。
私はクリストファーを真っ直ぐに見つめる。
クリストファーは何も言わない。
クリストファーは無表情で私を見つめ返す。
「…………俺は……いや、分かった。お前がそうしたいのであれば、仕方ないからな。」
クリストファーは動揺しているのか、絞り出すような声で、私にそう告げた。
自分から突き放したのに、引き止められなかったことに傷つくなんて、相変わらず私の自己中心的な性格は変わっていない。
「……ごめんなさい。クリストファー先輩。また、今度の長期休みに家族も交えて正式にお話ししましょう。」
「……ああ。」
クリストファーは私を見ずに、そのまま踵を返した。
今度こそ、さようなら。
私は泣きたくなる気持ちを抑えて、心の中でそう呟いた。
クリストファーと別れた後、アランはただ、黙って私の頭を撫でてくれたのだった。