社長秘書高丸という男
一言で言う。俺は多分周りより優れている。そう自覚したのは小学生の頃だった。毎日遊び呆けていたのにテストでは満点しかとったことがない。でも宿題はしたことがなかったし、学校には遊びに行っていた。だけど塾に通っている子達よりも勉強ができた。寧ろ何で出来ないのか分からなかった。
中学は私立にいった。学校の先生に勧められたし親も反対しなかったから。合格したのはその地方で1番の名門校。だからといって受験勉強を頑張ったわけじゃない。ほんの一二ヶ月勉強しただけだ。その中学ではテストごとに成績が張り出される。俺はその見せしめのような制度が嫌いだった。人の能力というのは均一化されるべきものじゃないしするべきじゃない。こんな義務教育で学ぶ範囲での格付けなど自尊心を傷つけるだけだ。だからある決め事をした。中間テストは一位を取り、期末は最下位を取る。こんな制度に意味はないと思わせるための行動だ。だけど優秀なガリ勉を輩出する学校に合わなかったようだ。俺は教師から煙たがられた。だから俺は併設の高校へは行かなかった。
というより高校へ行かなかった。中学を卒業した年、高卒認定試験に合格。所謂飛び級だ。こうして普通に高校に行くのと比べて2年の時間を得た俺は日本一周の旅に出た。そんな俺を両親は咎めなかった。寧ろ「お前の生き方は誰にでも出来るものじゃない。だが間違っていない。出来る者は、する権利がある。」と認めてくれた。俺が真っ当に生きていけたのはこの両親がいたからかもしれない。最初の1年で日本を縦断した。普通に生きていたら出来なかった体験を山ほどした。それが今の俺を形作っている。次の1年は海外に行った。アメリカ、インド、ドイツ、オーストラリア。費用はクラウドファンディングで提供してもらった。対価は俺が体験した日常を配信すること。高校にも行っていない俺に世間は案外優しかった。その頃には俺は将来やりたいことのビジョンが見え始めていた。
18になり日本に帰ってきた。俺は大学に進学することにする。進んだのは俺に声をかけてくれた大学だ。なんでも、俺の活動に理解を示してくれたらしい。俺は特待生としてその大学に入学した。大学での授業は中学の時とと違って面白いものだった。それぞれの講師が専門的な知識を持っている。そして俺のような尖った奴も歓迎される。俺はその大学で自分のやりたいことをやった。
俺の人生にターニングポイントがあるとすれば一つは高校に行かなかったことだろう。それで俺は俺になれた。養殖された無個性の人形にならずに済んだ。そして最大のターニングポイントはあの人に出会ったことだ。俺は大学生になっても気ままに外国に行ったりしたのだけどその費用は毎回クラウドファンディングだ。そのクラウドファンディングに毎度参加してくれる人がいた。俺は興味が湧きその人に会うことにしたのだ。
その時会ったのが堀田善一さん。善一さんは俺に投資してくれていると言っていた。「今自分が出す額以上の貢献を君なら日本にもたらしてくれる。」と。俺の生き方を肯定してくれたのだ。善一さんとの会話は紛れもなく俺の人生の中で最高に面白い時間だった。善一さんがとある会社を経営していると知ったのは4年になってからだった。善一さんは自分からそれを伝えることはなかった。伝えていれば間違いなく俺は善一さんの会社に大学を中退してでも応募していただろう。それを善一さんも分かっていたはずなのに。そこで俺は善一さんの言葉を思い出す。「日本にもたらしてくれる。」初めから自分の為にとは考えていなかったのだ。善一さんの無私の心に気付いた俺は、善一さんの役に立てる人間になる為に必要そうな資格を揃えた。大学の教授からは大学に残る道も提示されたが断った。俺は善一さんの近くにいたい。そして善一さんが起こす面白いことを間近で見ていたいのだ。
俺は善リンクスに就職した。仕事は善一さん…社長の秘書だ。同じ秘書の早見さんは口煩いけど細かいことが苦手な俺は助かってる。早見さんも社長に心酔しているようだ。今まで俺にここまで文句を言ってくる人はいなかったので少し新鮮でもあり、楽しい。そう、今俺は楽しいんだ。
「俺の名前は高丸悠河っす。堀田社長の秘書をやらさせてもらってます。先ずは…フランクにお話いいっすか?。今まであった一番面白い体験聞かせてくださいっす。」
俺は今人生を楽しんでいる。