3章 雲越 零士
3章 雲越 零士
伝説の月影。
月影の両親の事だ。
まだ月影が赤ん坊の頃、飛行機事故で行方不明になった。
急上昇した機体に乗って天に消え去ったのだ。
昨年、飛行機だけが見つかり遺体は見つからず。
それらの決着を経て月影は月影組、組長に就任する。
その生き方、死に方は芸術家として理想の死として今も尚、語られている。
●
撮影開始までの時間にまだ間がある。
蛇塚組の事務所で月影は雲越の作品を見ていた。
ヤクザの映画だ。
絵画が動いているような精緻な場面が続く。
桜雲組に犯行は不可能だ。
撮影スケジュールは部外秘、何より旨味と理由が無い。
撮影スタッフの自作自演の線も無い。
何より呪われているのは今回のスタッフだけでは無い。
ならば結論は1つしか無い。
雲越が化けて出ているのだ。
月影はそのような事件に何度か巻き込まれてきた。
一切の妥協が無い画面を見て理解する。
雲越が自殺した事、雲越が撮影現場を呪う事。
これらは矛盾なく両立する。
両立させてしまったのだ。
●
撮影現場は廃トンネルだった。
苔が生え、植物に侵食されている廃トンネル。
木々の手入れはされておらず、道路にも枝が落ちている。
トンネルの中を覗くと真っ暗であった。
撮影クルーは既に到着しており、照明が眩い。
月影は阿用郷や水仙達の姿を見つける。
向こうも気付いたようで挨拶をした。
「遅れましたー?」
「いえ。今来た所で……す……」
「何やねん」
百合根の声が尻すぼみになる。
月影の後ろに蛇塚が立っている。
「お疲れ様です!」
「おう」
百合根と水仙が蛇塚に頭を下げた。
皆に挨拶を終えた所で月影は現場を見る。
1台のノートパソコンから声がする。
監督が画面越しに細かい指示を出している。
役者が所定の位置に付き、演技の調整をしている。
彼らの表情は心なしか硬い。
今の所、妙な気配は無い。
水仙が小声で話しかけてきた。
「無事に終わるんすかね」
「……どうでしょうね」
もうすぐ撮影が始まるようであった。
月影と雪白は互いにしー、と人差し指を口の前に持っていく。
カチンコがなった瞬間、バチッ、と静電気のような音がした。
月影は何事かと機材を見る。
照明が突然消えた。
パソコンの画面で監督が何か叫んでいるがブツリと電源が切れる。
照明とは別の閃光が何度も続いた。
突風が何度も吹き付ける。
あちこちから悲鳴が上がり、枝が宙を舞う。
状況を把握しようと月影は顔を庇いながら状況を観察する。
「……!」
突風と光の中で月影は見た。
光を纏いながら憤怒の形相で月影に襲いかかる男。
20代後半。
資料で見た顔とは違うがそれでも理解する。
彼が雲越 零士か。
理解した途端、月影の目の前に誰かが立った。
「阿用郷さん!」
月影の静止に聞く耳持たず、乱入した阿用郷が雲越の腕に歯を立てる。
肉食獣が獲物を振り回すように引っ張り、思い切り投げ飛ばした。
ぶちり、と何かが千切れる音と同時に血飛沫が舞う。
倒れた雲越に馬乗りになり、喉仏に噛みつこうとするのを月影は止める。
「何でだよぉ」
水仙の声に雲越がそちらを見た。
風が少しだけ弱まる。
「アンタは兄ぃが認めた芸術家だろぉ」
「何でヤクザみたいな事してんだよ!」
無音の後、一際強い閃光、そして轟々とした風音。
聞かぬ目の代わりに耳を働かせる。
トンネルに風が吹き込んでいる音がする。
どうやらこの場所から離れているらしかった。
風が収まり、耳が痛い程の静けさが場に満ちる。
誰もが声を発せずにいる。
チカチカする目を再び暗闇に慣らす。
雪白や他の人間に怪我が無いか聞くと、無事との返事があった。
撮影クルーは騒ぐ事は無いが、混乱は抜けていないようだ。
機材にも破損が見られる、撮影の続行は不可能だろう。
「織」
「はい。あ、あれ?」
「雪白君も」
「はい?」
阿用郷に呼ばれ、そちらに目を向ける。
返り血を浴びていた筈の阿用郷の服は元通りになっていた。
「行くんだろう」
「それは」
2人の言葉を待たず、阿用郷は撮影クルーを指差し蛇塚に向かって声をかける。
「アイツら安全な場所まで運ぶ。若いの借りるぞ」
「おう」
蛇塚が泥染に目配せをする。
意図を察した華風と犬養が雪白を心配そうに見た。
「雪白君も行くのか?」
「えー、こっち来ぃや。危ないやん」
「いいから言う通りにしろ。親父が居るんだから大丈夫だろ」
蛇塚が雪白を無言で見る。
「……危なくなったら逃げるんやで?」
「はい!」
話は纏まったようである。
月影は阿用郷に礼を言う。
「行ってきます」
「ああ」
水仙と百合根を見る。
2人が頷いた後、トンネルを見た。
5人はトンネルの前に立つ。
●
芸術家の死に方として理想的なのは作りながら死ぬ事だ。
小説家ならば机の上で、彫刻家ならば作業場で。
映画監督ならば、製作途中だろうか。
情熱に任せて体を壊し早逝する芸術家は多い。
芸術家の平均寿命が発展途上国並、というのはよく聞く話だ。
では運良く、あるいは運悪く生き残ったら?
若い内はまだいい。
老いて体力が無くなり、発想力が無くなり、そして作れなくなったら。
死の匂い纏う芸術家の鍍金が剥がれたら。
これからの感性が劣化したら。
だからそうなる前に幕を引こう。
死の匂い纏う芸術家として、陰謀に濡れた謎多き芸術家として。
1人の作品として終えよう。
演出は任せたぞ、雷太。
●
廃トンネルを抜け、廃道を歩くと開けた場所に出た。
何もない平野。
わぁ、と雪白が声を上げた。
その真中に1本の大桜がある。
まだ早い筈なのに満開の大桜が花弁を散らしていた。
根本に雲越が立っている。
バチバチと雷のような光が雲越の周囲を明るくしている。
その光は雲越の内から湧き出ていた。
「……雲越先生」
近付きながら水仙が真っ先に声をかけた。
だがその先の言葉は続かない。
明らかな拒絶。
どん、と一際大きな音が空気を揺らした。
「ったくしょうがねぇなお前は」
月影達とは反対側、闇の中から男が現れた。
焼き鳥の串を咥え、手には長ドスを持っている。
20代後半程。
少しおどけた雰囲気のある男だ。
「現場を弄っただけじゃ成仏できねぇか」
ダボッとした背広。
最近の流行りではなく、戦後の頃、太めのシルエットの背広だ。
「えっ、兄ぃ?」
「!?」
水仙の言葉に百合根が驚いた表情を見せた。
その様子に男がカラカラと笑う。
月影は胸に手を当てコートの裾を摘んで一礼する。
蛇塚がするり、と首のマフラーを抜く。
雲越が桜日の隣に立った。
噛み千切られた腕が徐々に治っていく。
真っ白な光の明滅が更に強くなる。
「いつもの事だ。凄いもん見りゃ機嫌直るんだ」
抜かれた長ドスが雷光を反射した。
「見せてくれよ」
悟道会系、桜雲組。
桜日 雷太。
雲越 零士。
VS
悟道会直系、月影組、組長。
月影 織。
悟道会直系、蛇塚組、組長。
蛇塚 藤吾。
いざ尋常に、勝負。