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2週間前に出て行った妻が、帰ってくるなりアンドロイドを自称します

妻が出ていってから2週間が過ぎた。

アイツからの連絡は未だ、無い。


元々、表面上の話をするならば仲が良かったとは言いがたかった。

しかし、それは喧嘩するほどなんとやらと言うやつで、それなりに良い関係を保っていた…はずだ。

らぶらぶ…などと気恥しいを通り越して吐き気を催す単語は似合いようもない俺たちだったが、悪くない距離感のはずだった。


そもそも、常から喧嘩はあったものの、それはいつだって小さな言い争いの域は出ない。

俺が折れるか、アイツが妥協するか。

間違いなく前者の割合が多かったが、どこの夫婦もそんなものだろう?

夫婦円満の秘訣を聞けば上位に入ることは想像に難くないそれは実践していた。


ああ、だが、しかし。


アイツは出て行ってしまった。

2週間が過ぎた。

これもまたしょうもないと言うか典型的だが、喧嘩して、そのまま出て行ったのだ。

着の身着のまま…外出先から帰ったばかりだったアイツは余所行きの格好をしていて、ハンドバッグ片手に家を飛び出した。

いつになくヒートアップした口論に、俺もアイツも冷静でなくしていた。

売り言葉に買い言葉とはこのことで、思わず口をついた「出てけ」の言葉に猛省したのも数日前の話。アイツの実家に連絡を入れても帰ってはいないらしい。


もしやこのまま帰ってこないのでは?

そんな不穏な予想を極僅かながらに過ぎってしまう。それこそ虚数の彼方にしかあるはずもない可能性だろうが。


なんたってハンドバッグ一つ分の荷物しか持っていないわけであるし。

金銭面はそれなりにもつ(・・)であろうが、あくまで『それなり』だ。現金以上にカードで生活するとは、性格上考えにくい。

意図、理由はともかくとしていつかは帰ってくるはずで。

しかしそうなると既に経過した2週間という期間は長いようにも感じてしまう。

アイツに何かあったのでは、と積み上がったカップ麺の容器を見ながら心配にもなる。


俺はひとつ嘆息し、身支度を始める。

白のポロを頭から被り、グレーのズボンを履けば、それまで着ていた寝間着(アイツが買ってきた安物だ)は無造作に放り投げた。

近所を見るだけなので、あくまでも簡単な服装だ。

少しづつ気になり始めた腹部の膨らみからは目を逸らしつつ、愛用のハンチングを深く被る。



玄関を出てみれば燦燦と、俺は降り注ぐ陽光に目を細める。

なんともいい陽気で、外出の動機さえ違えば絶好の散歩日和と気分も上がっただろうに。

先日までの酷暑が嘘のように爽やかな風が心地いい。


軽く伸びをして、上半身を捻るようにストレッチをしていれば、ひときわ大きな風が吹いた。

それは木の葉を巻き上げるように。

突風と呼ぶ程のものではないが、目を開けているのが困難に感じるほどの風。

そして、唐突な旋風は─────さほど続くこともなく収束した。


「……エントロピーが騒いでいるな」

「それ、言いたいだけでしょう? 」

「─────っ!?」


背後からの女声に思わずビクリと肩を震わせた俺は、顔が熱くなるのを感じた。

突然の声にビビってしまったこともそうだが、何よりあまりにもあんまりな台詞を聞かれたためだ。

なんだエントロピーが騒いでいるって。中学生か。


って、そんなことよりも。

…いや、“そんなこと”でもないけど。かなり恥ずかしかったけども。

今の声は─────


「…美奈…は?」


背後の人物が発したそれは、聴き違えようのない妻の声。

美奈子…と、振り返りつつ呼ぼうとした俺の口から零れたのは万感の想いを込めた『は?』だった。


それは理解の及ばないことへの疑問を示す『は?』であった。

それは沈みかけていた俺のこの気持ちを、どうすればいいのかという『は?』であった。


─────だって、出ていった(いい歳をした)妻が仮面を被っていたら、マジトーンの『は?』が出ても仕方がないだろう?


それも、あれだ。

お祭りの出店なんかで売ってるプラスチック製の安っぽいお面だった。なんだ。どうした美奈子。美奈子は乱心したか?

真新しいそれは最近のものなのか、作品は思い当たらない。ただ分かるのはロボットをモチーフにしたものであるということ。



「はじめまして。私はグ・ゥルカ重工製GO-Nシリーズアンドロイドゐ型弐式汎用AI、個体識別番号M-175です」

「………何してんの? いや、まず何言ってんの?」


これ、である。

なんだこれは。

いや、なんなんだこれは。


「?」


ん?じゃねぇんだよ。

この2週間に何があったんだよ。

なんだ心労が祟ったのか?どこかの病院に連れていった方がいいのか?

それともあれか? テレビのワイドショーで観るような洗脳案件か? やめろバカバカしい。


「生体スキャンを開始─────周波数安定─────有振波長を確認─────目標個体であると確認しました。

はじめまして。私はグ・ゥルカ重工製GO-Nシリーズアンドロイドゐ型弐式汎用AI、個体識別番号M-175です」


もしや…俺は何か試されているのか?

笑ってはいけない…的な。笑えねぇよ。悪ふざけにも程があんだろうに。出てったはずの嫁の奇行を如何にすべきか。

あとよく噛まねぇな。


「み、美奈子…おま─────」

「Mー175的にはMー175って呼んで欲しいですね」

「一人称がMー175」


…乗るべきか?

これは乗るべきなのか?

よく分からない。よく分からないが選択を迫られている。お面の穴の中は存外に暗く、美奈子の目を伺う事はできない。


俺は天を仰ぐ。いい散歩日和と思った陽の光が、酷く煩く感じられた。

乗るか、乗らざるか。それがもんだ……っ!? Mー1()7()5()か!


なんてしょうもないッ!ただの当て字かこのちくしょうめ!

でもちょっとスッキリした!


ただ…ただなんだこの敗北感は!


「…はぁ…それでMー175、さん?」

「どうしましたかナンモリ」

「いやお前も南森…ああ、そういう設定か」


首を傾げるMー1()7()5()に俺は嘆息する。

なんというか…めんどくさくてたまらない。


「ああ…と、君は人ではないという認識でいいのか?」

「是と。お話が早くて助かります。」


いったいほんとになんのロールプレイを強要されているんだ俺は。

何が『人ではないという認識でいいのか?』だ。悶えるぞ。


「しかし…人にしか見えないのだが」

「なんと! この顔面装甲を見てもMー175を人と申されるのですか!」

「いや、顔面装甲て。プラスチックのお面じゃん」

「…え?」


プラスチックのお面だろうそれは。


「プラスチックのお面じゃん」

「…はい?」

「プラスチ─────」

「なんとおっしゃいましたか?」

「プラ─────」

「Mー175のヘルイヤーに不具合が─────」

「あ゛あ゛ああぁぁぁ!」


地獄耳!

何がヘルイヤーじゃい!


「じゃあ! 人間じゃない証拠見せろよ!」

「分かりました」


俺は半ばやけになって叫ぶ。

平坦な声音で返されるのがいっそう腹立たしい。


Mー175はセミロングの髪に隠れたうなじに手を回す。

そして、刹那の後に変化は現れる。


「目が…眼部…いや、あ…め、メインカメラが光ります」

「芸が細かい」


お面に空いた2つの穴がチカチカと明滅していた。

電飾か何かを仕込んでいるのだろうか、幾つかの色がお面の端から漏れている。

あと、無駄に凝ってるくせに設定が甘い。セリフ迷うなよ。


妻が、お面を付けて、目を電飾で光らせている。

何だこの状況。

図らずも冷静になってしまうというものだ。


「はぁ…それで、そのロボットさんがどのようなご用向きでうちに?」

「ロボットではありません。アンドロイドです」

「なんのこだわりだよ…まあ、いい」


俺は諦念とともに続きを促す。

もう少し話くらいは聞いてやろう。


「私は時空渡航艦『ニューエイジ1.12』に搭乗し、未来より来ました」

「時空渡航艦『ニューエイジ1.12』」


いや、ニューエイジって。なんというか、我が嫁ながら安いセンスしてるな。それと未来かよおい。青だぬきか。例の青いタヌキのあれか。


…しかし、とまあ、この設定考えてきたんだろうなぁと思うと、いっそ微笑ましいものがある。


「あと、何気にバージョンアップしてるのが気になるな」

「……マフラーを弄りました」

「やんちゃか」


音でも鳴るようにしたのか。

ついでにシャコタンでもしてるのか。

…ってかマフラーあるのか時空渡航艦(笑)には。

なんだそれは。デロリアンか。タヌキじゃないんかい(エセ関西弁)。


ん?ああ、いや、本当にそうなのか。なら納得だな。

待て待て待て。


「…俺は何に納得しているんだ」

「納得していただけたようでなによりです」

「独り言に返さなくてよろしい」


俺の苦言に堪えるはずもなく、Mー175はゴソゴソとカバンを漁り、分厚い紙束を取り出した。


「こちらを」

「ん?…なんだ…」


差し出された紙束を思わず受け取ってしまい、見れば表紙には『取扱説明書』の文字。


パラリパラリと捲ってみればなかなかどうして文量も多いようで、ところどころにイラスト付きの解説も見られた。


「まずは127ページの上からいち、にぃ…7行目を見てもらったら」

「おい」

「では、第四章五節─────」

「だから待てって」

「…なんですか」

「なんですかじゃねえよ。なんでちょっと不機嫌になってんだよ」

「現生人類の自然な反応を観測するため、Mー175に搭載されたAIは人に近い挙動をプログラムされています」

「そういう設定はいいから」


なんだ取扱説明書って。

これも用意したのか?

え、なに? ちょっと本気過ぎない?本当にこの2週間何してたの?コピペだとしても入念過ぎない? 微笑ましさ消し飛ぶんだけど。

あとは…なんで四章からなの?


「これはMー175のトリセツです」

「トリセツ言ったなトリセツ。歌うのか」

「一章は国際憲章から光子人工知能に関する各法的推論をはじめとし、歴史と法を交えた概形説明を。二章は営利目的下における次元移動体通信事業の関係法に触れています。三章では付属部品の解説となっていますので四章からの説明となります」

「ちょっと頭痛くなってきた」

「大丈夫ですか?」

「ああ…それよりお前の頭は大丈夫か? そっちの方が心配だ」

「演算機、排熱機関ともにオールグリーンです」

「さいですか」


もう俺は後日お前が悶えても知らないからな。

HAHAHAその年での黒歴史は辛かろうな!


「エントロピー」

「やかましい思い出させんな」


あと心読むな馬鹿。


「掻い摘んで言いますと、西暦2000年代人類の調査研究のためMー175は来たのです」

「急に雑になったな」

「…そんなことより!」

「な、なんだよ」


いや、そんなことって。

大事な背景設定じゃないのか。


「いい時間ですので昼食と致しましょう」

「お、おう…出前でも取るか…?」

「Mー175はお腹が空きました」

「食いしん坊キャラを生やすな。俺はもうお腹いっぱいだよ」

「お腹いっぱい? ではナンモリの分もMー175が食べてもいいのですか?」

「なんで食うんだ。比喩だ比喩。急に察し悪くなるなよ。設定を増やすなって言ってんだよ」

「設定では無いのですが」

「しつこいな。てかロボッ…っ睨むな睨むな。お面で器用に睨むなよ。アンドロイドなのに食うのか」

「ええ。この時代に潜入するならエネルギー補給は有機物の経口摂取に転換する方が良いとドクター・リーが仰いましたので」

「…だから設定を増やすなって。なんだその新キャラ。お前は人造人間か」


肩を竦めたMー175は…竦めるなよ。Mー175はそそくさと家に入ってくる。


「台所をお借りしますね」

「ってお前が作るのか」

「ええ」


どうやら食材が無いのも見越していたようで、Mー175は持参した袋から次々と具材を取り出していく。

奇っ怪な形をした機械は見て見ぬふりをした。小道具か。


そしてM―175もとい美奈子は慣れた手つきで調理を始める。

後ろ姿だけで言えばいつもの光景が戻ってきたようだ。


「…後ろ姿だけで言えば、な」


まだ……まだ面を取らないのか…!?

作業しにくいだろ!?

いったいいつまで引っ張るつもりなのか。どうせ美奈子も引っ込みがつかなくなってるんだな。


…と、そんな事を思いつつも考えるのだ。


こんな風にまともに会話したのはいつぶりだろうか、と。

いやまあまとも(・・・)な会話かと問われれは首を傾げるしかないのだけれども。


なんだかどっと疲れたせいか、取り留めのないことが頭に浮かんでしまうのだ。

いや、懺悔か悔恨か。


適度な距離感だとかなんとか言い訳をつけて、会話少なになってしまっていたのを俺は然も真っ当なように。

最初の頃はもっと気安い関係だったはずだ。

それこそこんな茶番じみたことも…今回は本当に度を超えてるけども、それなりにしていたように思う。


蔑ろにいていたんだなぁと。


別に愛がないだとか気移りしていただとかそんなことは無いんだ。

ただ、美奈子がそこにいることが当たり前であって、当たり前になってしまっていて。


その“当たり前になる”という意味が恋愛小説の後日譚のような甘露な寄り添いではなかったということ。

俺達の間は…少なくとも俺はもっとシステマティックに夫婦的な分業に甘んじていた。


俺が外で働いて金を稼ぐ。

美奈子は家事をする。


それが当たり前。

決して前時代的な“家”の思想に囚われているとは言わないものの、そんな意識があったのもまた事実。


いつしか変わった夫婦としての在り方。

減っていった夫婦の時間。


「……ありがとうな」

「突然どうしましたか?ナンモリ?」


料理を並べていたお面を被った我が妻は首を傾げるけども、俺は気恥しさに顔を逸らす。

そんな“当たり前”の感謝を伝える事もしなくなっていたんだ。


今の小さな言葉が美奈子に聞こえていたかは分からない。

聞こえていなかったなら、今はもう一度言うことはしない。


「手伝うよ」


それは今回のストライキに屈したようにしか見えないだろうし、もっとわかりやすく行動で示していけばいい。


さしあたってまずは料理を運ぶところから。

食べ終わったら洗い物をするでもいい。



こんな些細な…というには珍妙な出来事。

妻が出ていったという一大事が霞む程度には怒涛の不可思議なやり取り。


我ながらこんな事で夫婦の在り方を考え直すというのは思うところもあるけれど、しかしそんな話があってもいいだろう。

いつの日か、本当の意味で笑い話になればいいなと思うのだ。



「ああ、うまいな」

「それはよかった」


それはいつもの味だった。

味気の無いインスタントとは雲泥の差がある食べ慣れた味付け。

その違いは向かいに座った美奈子の存在もきっと、大きい。

彼女もまた頭部パーツを取り外したことで露出した首元の開口部から料理を取り込んでいた。

咀嚼も無く流し込む様は作業のようで少し笑ってしまう。

食卓の脇に置いた頭部パーツは未だお面を付けたままで、せめて食事中くらい外しておけとも思う。まぁ今は言うまい。あと、目の電飾をチカチカさせるのはやめなさい。視界が煩いから。


俺は食卓の脇に(・・・・・)置かれた頭部パーツ(・・・・・・・・・)…生首(お面付き)を見て。

正面のメカニカルな断面を晒す妻を見て。



「は?」


万感の想いを込めた『は?』であった。


さぁて来週の美奈子さんは〜♪


ドクター・リーです。

最近滑舌が怪しくなってきたので投薬治療を始めようと思います。この間の壺は効果が分かりにくかったので期待したいですね。ははっ!


次回!


試される夫婦の絆、ドクター・リーの暗躍の影。

明らかになる美奈子の謎とナンモリの決意!

超電磁Mー175の兵装最大展開!!最大火力!怒涛の集中砲火!


の三本です。


来週も見てくださいね♪

ジャンケンっポン!

うふふふふふっ(続かない)!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章が読みやすく、最後までスムーズに読めました。何だか不思議なような、ほっこりするようなお話でした。
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