第一章 5話 目先の美は目的にあらず
カイトがこのカトレア国・王都カトレアへ転移して、あれやこれやと冒険者となり正式に滞在者となってから、早くも五日が過ぎていた。
その間、リエルに言われた通り貴族の屋敷で雑用をこなしたり、城下町の警備の仕事に当たったりしていたが、この五日間でカイトが感じたカトレアの雰囲気は、なんだか嫌にリアルな匂いのする変に生きづらい街、という感じだ。
正式にカトレアに滞在するとなってからというもの、付近の人々に顔を覚えてもらえるまでの三日間で滞在証明を他人に提示した回数は軽く両手足の指の数を超えていたし、逆に何度も不法入国者が奴隷商館へ連れ込まれるのも目撃した。その様子を見ていると、改めてクルスやミナカは聞き分けの良い優しい人物たちだったのだろうと、カイトは二人に感謝を覚えていた。そして、自分が奴隷として異世界生活デビューを飾る可能性のほうが圧倒的に高かったはずだという事実が、その嫌なリアルな匂いをより一層醸し出していた。
住まいも冒険者協会発行の滞在証明が有効である間は、協会本部裏の冒険者専用ドミトリーを無料で利用でき、冒険者になった後も一泊を格安で提供してくれるということなので、ひとまずはそこに住み込むことにしていた。土の魔法でできた、と言われている建物は土塊が真四角の形に五階の高さまでそびえ立っていて、各部屋の窓としての空洞がいくつも空いている。建物の中も土であるため衛生的にどうかと思っていたが、かなり狭いながらも個室に固いベッドと安物のじゅうたん、簡単な木製の机椅子が用意されているため、住めば都とはよく言ったように今ではしばらくはあの部屋に滞在しようか、とカイトは決めていた。
そんなこんなの五日間を過ごし、今朝もカイトは慣れた足取りで、ドミトリー裏の協会本部を訪ねていた。
「ようカイト! 久しぶりだな」
「あたしもいるよー久しぶり」
本部の建物一番奥の、リエルが担当する冒険者が集合するエリアに、今日はクルスとミナカがいた。ミナカは先日の赤銅の軽装具を着込んでいるが、クルスは今日は武装しておらず、カイトと似たり寄ったりの綿と皮の七分丈スタイルだ。
この五日間、基本的にはリエルのバックアップにより仕事を行うことが多く、クルスたちとは別行動が続いていたため、三人にとっては五日ぶりの再会となる。
「あー、おひさ」
テキトーに挨拶を返すと、三人のところにリエルが割って入ってきた。
「あ、カイトさんおはようございます。ようやく今日、クルスさんとカイトさんに商会からのお声がかかったんですよ。こちらクルスさんの紹介状です。カイトさんのもすぐ取ってきますね」
言い残してリエルは例のスイングドアから協会側のエリアへ帰っていく。
「おー、やるじゃん。紹介状三つもある」
三枚の紙を渡されたのを見て、感心した様子のミナカ。それを見て疑問に思ったカイトがミナカに聞く。
「なあ、三枚あるのってすごいのか?」
「さあね。でもあたしは二枚だったから、やるじゃんって。あとなんか悔しいな」
「ミナカさんは良くも悪くも、他人の好き嫌いが態度に出ますからね。そのあたりを嬉しく思わなかった貴族の方がいたから、最初の貴族様の投資が少なかったんじゃないですか」
カイトの紹介状を取りに戻っていたリエルが会話に割って入る。リエルさんあんた仕事早すぎない? とついカイトが脳内でツッコんでしまったほどの仕事の速さだ。
「もー、リエルは正直にモノ言いすぎ」
「仕事ですから。嘘を言ってもしょうがないので。はい、カイトさんはこちらです」
「あ、ありがとうございます」
朝一の営業スマイルにやられて、返答が少しどもり気味になってしまう。
ちょっとだけ頬が紅潮しているのを感じながら、渡された三枚の書類に目を通す。やはり、この世界の見た目は中世ヨーロッパ風だが、文明自体はかなり発達しているらしく、カイトはまた、少しばかり驚いていた。
おそらく、カトレア国の言葉――カイトは勝手にカトレア語と名付けた――を打ち込むためのワープロ的な何かがあり、さらには写真をとる技術がある。そして、その二つを書類にまとめて印刷する技術まであるようだ。なぜなら、渡された書類自体がキレイに印刷されたカトレア語と、武具商会担当者の顔写真が掲載されていたのだ。
いや、そもそもカトレアで生活している間にも、この協会本部は空調管理されていてすごく快適な温度だということに気付いたし、ドミトリーには共用の冷蔵庫やガスコンロ、果ては電子レンジみたいなものだってあった。部屋はスイッチ一つで電球の明かりを付けることだってできる。どう考えたって生活感が日本でのそれに近すぎるのだ。なので、写真やワープロ、印刷技術の痕跡を見て、こんなところまで似てんのかよ、とカイトは何度目かの驚きを覚えたわけである。
その文明の利器たちの出自はカイトにとってこの五日間で最大の疑問ではあったが、日本でのことなんて誰に聞いても分かりそうにないし、ましてはそれを聞くタイミングでもないので、のどまで出かかった質問をしっかりと呑み込み、手元の書類に視線をやる。
一枚目はモルガン商会というところからの紹介状。担当のアルマンド・モルガンさんは初日に会った肉屋の店員みたいに、ザ・鍛冶屋のような顔つきをしている。少なくともモルガンさんの写真は、カイトが鍛冶屋と言われて思い浮かべる人相に、かなりの部分が一致していた。
とりあえずオッサンには興味が無いので、二枚目の紙をパラリとめくる。ハープ協会と言うところからの紹介状だ。担当者のカタリーナ・ハープさんは妙齢の女性で、かつては美人であったのだろうが、年が離れていてカイトの美女センサーは反応しなかった。だが、ブロンドの長髪と特徴的な高い鼻は、かつてのカタリーナ・ハープがかなりの美女だったことを証明している。
やっぱりこういうのを顔で決めないほうがいいのかな、と思いながら三枚目を見た時、カイトの頭の中に電流が駆け巡った。
肩まで伸ばしたストレートの金髪。くりくりと丸い青の瞳に、けがれ無き白い肌。小ぶりな鼻やあどけなさの残る唇が、この人物の美貌をさらに引き立てる。それは、カイトがイメージしうる限り最高の美少女の顔面だった。俗に言う、どストライク、というやつである。
「リエルさん! この人にします! 俺この人がいい!」
「この……人? 商会じゃなくて……いや、いいんです、いいと思いますよ」
カイトのあまりの剣幕に若干引きながら、リエルが答える。
「ブリッツ商会ですけど、最近評判が右肩上がりの勢いのある商会ですね。特に、今回担当についていただけるケーラ・ブリッツさんの評判は高く、一部では数十年に一人の天才、とまで評価されています。ブリッツ商会は西派に属しますが、西派自体が出身地の派閥を気にしない風土を持っているので、貴族様方に対してもカイトさんが東側出身であることは問題ないはずです」
天才美少女、ケーラ・ブリッツちゃんかあ、早くお会いしたいなあ。見た目に完全にノックアウトされ、完全に浮かれた状態のカイトには、リエルの説明など届くわけがなかったが、そんなときに横やりを入れたこちらも美少女、ミナカの発言でカイトは我に返る。
「えー、いいなあ。武具商会の担当者って、有能なほどいいもんだからさ。うらやましいよカイト」
最近のカイトの決めごとの一つに、浮かれた気分が戻らないときはリエルが言っていた冒険者の末路を思い出す、というものがある。あの話を思い出せば、この異世界転移は少なくとも自分に何らかのチート能力が現れるまでは真面目にやらないといけない、という気持ちにさせてくれるからだ。リエルだけでなくミナカも真面目なテンションで話しかけてきたため、カイトはこの決めごとを思い出し、青ざめた表情で我に返った。
「……あんた、なんか輪をかけてさらに変人になってないか?」
「……いや大丈夫だから、心配しないでミナカさん」
そんなこんなで即決したカイトだったが、クルスのほうはかなり悩んで決めているようで、結局一時間近く考えたのち、ミナカと同じ西派のキャロル協会の担当者に決めたようだ。
「ではクルスさんにカイトさん、正式に西派の冒険者となるわけですので、改めてよろしくお願いしますね。私は基本的には西派の冒険者様の担当ですので、これからもお二人のサポートに尽くします」
「よろしくお願いしますリエルさん。それにケーラちゃんもいるし、これから俺はますます頑張りますよ!」
「おめーほんとに美女に目がねえなあ。やっぱ変な奴だな」
「くれぐれもミナカに手を出すなよ、カイト」
ああ、そこは察してますので。あなたたちが何か特別な仲なのは分かります。カイトは脳内でだけそう答え、何か言いにくそうにしているリエルに声をかける。
「え、と。リエルさん、なんか俺に言いたいことあります? らしくないですよ、嘘を言ってもしょうがないんでしょ?」
「まあ……そうですね。ご期待に沿えず申し訳ないんですが……」
珍しくあまりに申し訳なさそうにリエルが言うので、三人の視線がリエルに集中する。そんな変に緊張した空気の中、リエルはしっかりと言いきった。
「ケーラ・ブリッツさんですが……あの……あの方は男性です……」
ええええええええ、と三人の大絶叫が協会本部内にこだましたせいで、リエルさんはそのあと協会長たる存在からこっぴどく怒られたらしい。そんなうわさ話をカイトが聞いたのは、この三日くらい後のことだった。