第一章 3話 助けられた命の価値は
「お、ミナカ。丁度いいところに」
クルスは安心した様子でいきなり現れた女に言葉を返す。女はきょろきょろと僕ら二人を一瞥し、クルスに質問を返す。
「あれ? なんかちょっとお取込み中だった?」
「ああ、そうなんだよ。じつは……」
かくかくしかじか、とクルスがミナカと呼ばれた小柄な女に状況を説明。聞き終えた女が、まん丸の瞳をこちらに向けて話しかけてきた。
「改めまして、あたしはミナカ・ノックス。よろしくね、カイト・ブリッジス君」
「カイトでいいよ」
丁寧に挨拶してくれたミナカに、とりあえず下の名前で呼ぶように促す。やっぱり中学二年生っぽくてブリッジス君は嫌なのだ。
「いやー、それにしても面白い表情だねえ、世の中を舐め切ったような目をしているね、君は」
なんとなく侮辱されたのは分かったが、生前、自己評価ながら平均以上に整った顔つきである割に、世の中を舐めるなと言われることが多かったのはこの目の所為だったのか、と妙に納得したせいで、カイトは怒るタイミングを逸する。
「それにあれだね、いってしてみて、いって」
両手の人差し指で自分の口を横に広げる動作をするミナカ。
「いや、なんであんたに歯を見せなきゃならん」
「いやいや大事なことですぜ旦那。身の潔白を証明したいんでしょう?」
さすがに初対面から三分くらいの歯科医的な存在以外の女性に歯を見せるのは何か嫌だったが、そう言われてしまっては仕方がない。カイトは言われるがまま、ミナカに歯を見せる。
「……やっぱりね。もういいよ」
言われて口を元の形に戻し、続ける。
「今のが何だってんだよミナカさんよ」
カイトが問いかけると、またミナカはにかっと笑って言葉を続ける。なかなかにその笑顔からまみえる八重歯は可愛らしくて印象的だ。これがチャームポイントって奴だろう。
「さて、ときにクルスよ。あたしはこの人を商館に連れていくのには反対だね」
「え、マジかよ。どうしてまた、明らかに不審だぜ」
「明らかに不審で悪かったなハーロック君……って痛いなおい!」
悪態をついたところで、カイトの背中をバチンと叩いたので、さすがのカイトも大声を出してミナカに文句。
「おい! てめえいきなり何しやがる!」
「クルス、カイトの体つきを見なよ。とにかく華奢なわりに肌はきれいだから、まずはそこそこ恵まれた生活でもしてたんじゃないって思うね」
確かに、とクルスは目から鱗のような表情でまじまじとカイトを見つめる。男にまじまじみられるのは本当に不快だな、とカイトの本能が訴える。この時ばかりは誰よりも優しそうな細目が何か不愉快に感じられた。
「あとはそうだね、歯だって真っ白だし、着ている服も庶民的ではあるけど綿も皮も上質なものに見えるね。そうやって考えるとさ、持っている財布も作りがよくて高価そうなところまでは逆に自然なんじゃないの?」
こう説明されたクルスは、むむむ……、とぶぜんとした表情で唸っている割には、どこか納得しきりの様子だ。しばらく考え込んだのち、今度はクルスからミナカに質問。
「じゃあ逆にだぞ? こいつが逆に貴族の出身だったとして、ブリッジス家なんて聞いたことがないだろ。仮にも俺ら冒険者が、だぞ」
「んー。それじゃあさ、カイトの出身派閥の東派の貴族家全部言える? ディートリッヒ公爵とかフォレスティア辺境伯までは分かっても、あたし中央派だから子爵位以下がどうなってるのか分からないし、新興貴族なんて絶対分かんないよ。分かるの? 中央派のクルスさん?」
「そりゃ分からねえよ。一回も世話になったことねえし」
「うわーそれでよくカイトを商館に連れていくなんて言えたもんだね。あんた貴族売り飛ばそうとしたらどうなるか分かってんの?」
何でいきなり貴族の話で喧嘩っぽくなっているのかカイトには分からなかったし、険悪なムードに突き刺さる大通りの群衆の往来の視線が痛いので、いったん二人の間に割って入ることにする。
「それで? これから俺はどうしたらいいんだよ。貴族の話するなら俺の話してくれよ」
「うわー、今めっちゃあんたの話してたんだけど……カイトあんた本当に世間知らずの箱入り貴族か何かなのか」
「言っただろ? 商館に連れていかれてもなんとかなるとか言うから、俺はてっきり頭のおかしな奴かと」
「うるせえ黙れ」
またクルスに悪態をついたところで、ふー、と深呼吸をするミナカ。改めてカイトのほうに向き直り伝えた。
「ま、あんたも何か事情があるんだろうし、詳しい話は聞かないけどさ。市民権が欲しいなら、冒険者になるのが一番手っ取り早いよ。普通、冒険者志望者は加入希望を冒険者に伝えるか前職から滞在証明をもらってくるから、ここまで話はこじれないはずだったんだけどね」
「あ、なんかすんませんミナカさん」
「おい、俺には謝らんのかい」
冒険者! 異世界転移の大定番! これから俺は美少女ばかりのハーレムチームを作って、発現したチート能力を武器にモテモテでエロハプニング満載の超エンターテイメントな冒険の旅に出るのか! ついに舞台は整った!
ミナカに頭を下げつつも、比類なきポジティブシンキングがカイトの頭の中を駆け巡り、そのままの姿勢でガッツポーズを決めるカイト。そんなカイトの様子を見て、二人が白々とした視線を向ける。
「え、そんなに冒険者になりたかったのかよ。やっぱ頭のおかしな男だなあんた」
「やっぱ商館に連れてったほうがよかったかな……さすがに変な人とは一緒に働きたくないし」
一度気持ちの切れた二人に、嫌です連れていってくださいお願いします、とカイトが土下座して頼み込む様子に突き刺さる群衆の視線は、二人からしたら先ほどの喧嘩以上に痛かったものだろう。