第一章 2話 不審者の扱い
「どうした? 何か困り事か?」
この武装と発言で海斗は直感した。おそらくこの人はカトレア国の治安を維持する何かしらの組織、日本で言うところの警察官みたいなものだろう。そして今の海斗はめちゃくちゃに怪しい。出店と大通りの間を右往左往してから現ナマの入った財布を取り出して、そのうえ中身まで確認している。その姿はまるで盗人そのものだったからだ。人通りの多い昼下がりの大通りのど真ん中で盗人らしき男に声をかけたのは、ある意味では見せしめか何かなんだろうか。
ただ、生活するための情報を得るにはこれ以上ない相手でもあるかもしれない。勝手にこの財布を異世界転移特典だと結論付けて、自分の財布だという自信を持って海斗は男に言葉を返した。
「いえいえ。色々興味が湧いて見物してまして」
「ふーん。観光かなんかだったら旅行者用の入国証明があるはずだから、それ見せてくんない?」
入国証明? はてさて、そんなものは財布の中には入っていなかった。ちょっと不味そうなのでいったん話題を変えよう。海斗はもう一度男に返答する。
「いや、東のほうから初めて都会に来て。仕事なんかも探してて」
これは一つの賭けだった。東のほうに広い土地があるか海斗は知らなかった。が、一万ギルス札の背景を彩るのがこのカトレアとか言う国の地図であるなら、東のほうには森が広がっていて、その分土地もかなり広そうだったから咄嗟に東という方角が出てきた。
「東出身だってんなら、フォレスティア辺境伯か、ディートリッヒ公爵の領地の出だな。それならどちらかのお二人に認可された滞在証明か市民証明があるはずだ」
確かに東のほうの土地は広かったらしい。しかし、そっちのほうを統治しているらしい貴族の名前らしきものを出されてしまってはもう歯が立たない。墓穴を掘るとはまさにこのことだと言ってしまった出まかせを悔いる海斗。
とりあえず一つ分かったのは、この男は優しい顔してビンビンに海斗のことを疑っているらしいことだ。やだ俺やっぱりちゃんと盗人と勘違いされてるんじゃないの? と初めてしっかり実感した海斗だった。
「……ごめんなさい、ちょっと証明書失くしたみたいで」
苦し紛れにこぼした一言に、優男がピクリと反応する。
「滞在証明や市民証明は元職場や就職先が発行するものだぞ。つまりあんたは働いたことがなさそうなんだけど、そんな人が何で大金の入った財布を持っているんだい?」
カマかけやがったこの野郎! そんな制度知らねえよ! こちとら三十分くらい前にいきなりこの国に転送されたんだよ! と勢いに任せて大量の文句を並べそうになったが、海斗はそれを呑み込んで、またも苦し紛れに返答する。
「ちょっと、事情がありまして」
「事情なあ……さて、俺はクルス・ハーロックって者だけど、あんたの名前は?」
「カイト・ブリッジスです……」
うわ、二橋海斗って言おうとしたら勝手に英訳されてそれっぽい名前になっちゃった。なんて恥ずかしい語学チート。このシステム喜ぶの中学二年生までじゃない? 動揺していたうえでのさらなる出来事に、カイトは途方もなく場違いなツッコミを脳内でいれまくっていた。
「そうかい。さて、ブリッジス君。この国のルールは、身分を証明できないものに対してはすこぶる厳しい」
そんなこと言われてもこの国のルールなんて知らないし、と語学チートの流れで脳内ツッコミを入れるカイト。
「俺は仕事だから、本当に残念だけどアンタの人生の面倒は見きれない。こちとら、婚約者のいる身なんでね。仕事に必死なんだ。分かってくれよ」
「まあ、そんな身の上なら頑張り時だろうな、仕事」
世間話っぽい雰囲気になったので、カイトもそれに乗っかる。このまま世間話から身の潔白を証明しようという寸法だ。
「うーん、ブリッジス君。君はとても察しが悪いなあ。言いづらいんだよ。分かるだろ?」
「いやー、俺証明書のシステムも知らないほど無知だって言ってたじゃないですか、ハーロックさん。それに俺は別になんも悪いことしてないですって。この財布も俺のだから」
とにかく財布は盗んだものではないと主張する。潔白であることを納得してもらわないと、その先には進めないからだ。
「仕方ないなあ。単刀直入に言えば、あんたを奴隷商館に連れていく」
すごく言いにくそうにしていた割に、きっぱりとあっさりと早口で無情にばっさりと言いきったクルス。
「えっと、今何と?」
「だから奴隷商館に送ると」
おいおい俺の異世界生活奴隷スタートかよ! いや、たぶん奴隷スタートになったとしても何かしらの才能という名のチートが発動してどうにかなる展開になるのかもしれない。最悪のスタートを宣告された割に、カイトの脳内を駆け巡る思考はとても楽観的だった。
「ふーん、奴隷ねえ」
「……あんた怖くないのか、奴隷商館」
「いまいち実感わかないというか、たぶん何とかなるというか」
返答を聞いて、あからさまに焦った顔で若干引いているクルス。
「だって奴隷だぞ? 武具協会の工場で精根どころか命の残りカスが尽き果てるまで重労働だぞ」
たぶん、世界史とかに出てくる奴隷のイメージであっているんだとカイトは思う。だから、本当に重労働にいそしんで死ぬことになるんじゃないかとも。だが、少なくともカイトには語学チートがあり、それだけでも重宝されそうな気がしていて、とにかく何とかなりそうだとしか思えないのだ。
「……いや何とかなるっしょ、余裕余裕」
「怖いよブリッジス君……カイト。お前なんてカイト呼びで十分だよカイト」
「うん、ブリッジス君はとても黒歴史っぽくて嫌だった」
「黒歴史って何のことだよ……てか、こんな頭のおかしいぶっ壊れたやつを商館に連れていってもいいものか……」
「聞こえてるからなハーロック君」
なんだか奴隷商館送りがうやむやになりそうなので、ここぞとばかりにクルスと仲良くなっておこうと目論むカイト。見た目と同じく、情に流されやすそうな男だし、商館送りにするかどうかも悩み始めていたからだ。
「いやー、でも自分でも頭おかしいって思うことあるし、普通にすぐ証明発行できる方法教えてくれたほうがいいんじゃないの? ハーロック君……、おい聞いてるのかハーロック君」
「クルスでいいよもう! ああ……どうしたらいいんだ」
クルスが勝手に悩み始めたので、しかたなく腕組みでもして結論を待っていると、また背後から今度は甲高い女性の声がした。
「おいクルス! なにサボってんだよ、ちゃんとやれよな!」
振り返ると、小柄な体に赤い銅の装具を着込んだ少女が、特徴的な八重歯を出してにかっと笑っていた。