第3話 妹との新生活はいかがでしょう
俺たちが通う学校、私立済陽学園は全寮制だ。
男女それぞれに寮があり、入学から卒業までの3年間をここで過ごすことになる。
そんな寮生活において最も重要なものの一つが部屋割りだ。
部屋の大きさ、日の当たり具合、同室のメンバーなどなど、3年という月日が天国となるか地獄となるかはここにかかっているといっても過言ではない。
そして、この学校の部屋割りは生徒が所属する学科別に決められている。
例えば、学園生の7割ほどを占める普通科の秀才どもや、運動神経抜群のスポーツ科に在籍する脳筋たちは、それぞれ学年や所属する部活ごとに3人部屋ないし4人部屋に配置されることが多い。
一方で、俺も所属する戦闘戦術科の生徒は個人で刀や銃といった武器を所有していることもあって、原則として一人に一部屋が与えられることになっている。
そう、原則では…
「ただいまー。」
高校入学二日目、午後6時半ごろ。
初めてのことだらけだった長い一日を終え、俺は男子寮にある自分の部屋に帰ってきた。
「あっ、にぃに♪お帰りなさい♪」
「原則」は絶対的なものではない。その裏には必ずといっていいほど「例外」が存在する。
俺を出迎えてくれるこいつがまさにそれだ。
「冬華も帰ってたのか。」
和泉冬華。
俺の1つ下の妹で、今年中学3年生になった。
兄が孤児なら妹も孤児なわけで、兄妹そろって燈花里園にお世話になっている。
だが、それも3月まで。
俺は寮で、冬華は燈花里園で、兄妹が初めて別々に暮らす。
本来ならそうなるはずだった。
しかし、一人になるのは嫌だと言って冬華が盛大に駄々をこねたことをきっかけに、気が付いたら高校の寮で二人暮らしすることになっていた。
「うん!お買い物も済ませてあるよ♪」
「そうか、悪いな。」
学校側が配慮してくれたのか、俺たちにはほかよりも広い角部屋が割り振られた。
とはいっても、たかだか一畳か二畳程度の差だ。二人で暮らすことを考えると、どうしても手狭さの方が勝ってしまう。
それに、こんなむさ苦しい男しかいない男子寮に冬華を住まわせるのは心配だ。
これから毎日、どこの馬の骨とも知れぬ輩に大切な妹を晒すことになるなんて、考えただけでもぞっとする。
やっぱり、あと一年は燈花里園で面倒を見てもらった方が良かったか?
「にぃに?どうしたの?」
考え事に夢中で玄関から動かない兄を心配したのか、妹から気遣うように声をかけられる。
「いや、なんでもない。」
まあ、いまさらそういうわけにもいかないしな。
そもそも、冬華は寂しいから俺についてきたわけで、それを燈花里園に送り返してしまったら本末転倒でしかない。
「しょうがねぇな…」
「ん?なにか言った?」
「なんでもない。」
冬華が不思議そうに首をかしげる。
そんな妹の横を通り、俺は居間に入って荷物を置く。
「今日の晩御飯はフォカッチャとポトフ、付け合わせにカプレーゼだよ♪」
ポトフはわかるが…
ふぉかっちゃ?かぷれーぜ?
横文字だらけでいまいち想像しにくい献立だな。
「なにかやることあるか?」
「うんん、大丈夫♪」
「わかった。できたら呼んでくれ。」
「うん!ちょっと待っててね♪」
そうか、冬華が飯を作ってくれるのか…
つまり、毎日のようにプロ並の料理が食えるわけだ…
そのうえ、燈花里園の恒例行事、週2ペースで出てくるトンデモ爆弾料理を食う必要もない…
「・・・・」
天国じゃねぇか!
それを手放そうなんて、まさしく愚の骨頂!
誰だよ⁉︎冬華を燈花里園に送り返そうとか考えていた奴は?
くそッ!目の前にいたら殴り飛ばしてやりたいぜ!
「に、にぃに?」
様子のおかしい兄に動揺する妹から、何度目かわからない声かけが入る。
それに対して、俺も何度目かわからない同じ答えを返す。
「なんでもない。」
「にぃに、ご飯できたよ♪」
美味そうな匂いが部屋に立ち込め始めてから20分ほど。
匂いにも慣れ、フォカッチャとカプレーゼが何者かも調べ終わり、ようやく宿題に身が入ってきたまさにその時。
冬華に呼ばれたことで出鼻をくじかれ、
「わかった。運ぶのは任せろ。」
「うん!」
俺は踊るように台所へと向かった。
「おおぉ…」
バスケットに並べられたフォカッチャ。
綺麗な円を描くように盛り付けられた色彩豊かなカプレーゼ。
ポトフから漂う香辛料の香りが、食欲をさらに増大させる。
そのへんのスーパーで買える食材がここまで化けるものなのか?
「やるな。」
「えへへ♪でも、今日はあんまり時間をかけれなかったから、明日はもっと頑張るよ!」
冬華が本気になれば、料理の世界で食っていくことも夢ではないだろう。
兄としては、俺と同じ道に進むよりはそっちの方が気が楽なんだけどな。
「そんじゃ、食いますか。」
なんの変哲もない折りたたみ式の質素な机も、この時ばかりは色とりどりに華やぐ。
俺も心を躍らせながら手を合わせ、冬華と一緒にいつもの言葉を唱える。
「いただきます。」「いただきます♪」
箸を取り、まずはポトフに手をつける。
「・・・」
次にカプレーゼをつまむ。
「・・・・」
流れるようにフォカッチャを…
「そのままでもいいけど、カプレーゼをのせたり、ポトフのスープに浸してもおいしいと思うよ♪」
そう言われてしまっては全部試すしかないな。
「………美味い。」
時間がなかったというわりには、ポトフの具材である肉は何時間も煮込んだかのように柔らかく、じゃがいもや人参もホクホクしていて十分に味が染みている。マスタードをつけることによって味にさらなるアクセントを加え、食い手を飽きさせない点も高く評価するほかない。
今日のポトフの風味付けには香辛料であるコショウが多く使われている印象を受けるが、カプレーゼにはハーブの一種であるバジルが使われている。トマトやチーズと相性がいいのはもちろんのこと、あえてポトフに入れるハーブを減らしてコショウを強くすることで、その風味をより一層際立たせるというなんとも憎い演出には脱帽させられる。
フォカッチャはフォカッチャで、そのままパンとして食べても美味いが、カプレーゼをのせればマルゲリータのようになり、ポトフのスープに浸せば肉や野菜の旨味を吸ってまた違った味になる。
「おまえは間違いなくいい嫁になるな。」
「そ、そうかなぁ…」
照れる冬華を見ていると、なんだかこっちも気持ちがほっこりとしてくる。
まあ、嫁にやる気は毛頭ないけどな。
飯も食い終わり、明日の準備も済ませ、あとは寝るだけになった午後11時頃。
フローリングの床に布団を2枚敷き、今はその上で他愛のない雑談をしている。
語りたいことは尽きないが、その話題は自然と互いの学校のことへと移っていった。
「奏ねーや綾ねー、新にーとも同じクラスになったんだよね?」
「ああ。奏はまたクラス委員を押しつけられているし、綾音は相変わらず辛辣だし、新は新でボーっとしてるし、あんまり中学の頃と変わりないな。」
「そうなの?」
「まあな。強いて言えば、担任が変わってるな。」
「にぃにと名前が似ているって人だよね?えっと、確か…」
「『和泉俊夏』って名前で、俺とは漢字1文字違い。というか季節違いになるな。そのせいか、奏と綾音は俺たちの親戚じゃないかって騒いでたな。」
「えっ⁉︎それ本当⁉︎」
期待に目を輝かせている冬華に、俺は辛い現実を伝えなければならない。
「否定はできないが、肯定もできないな。少なくとも、夏先生はなにも知らなそうだった。」
「そっか…」
冬華が目に見えて落ち込む。
だが、無駄に期待を膨らませてからどん底に突き落とすよりは何倍もマシだ。
それでも、今の暗い空気は変えなければならない。
兄の務めというやつだ。
「そっちはどうなんだ?新しいクラスとか。」
「わたしも仲のいい友達と一緒になれたんだ♪今から修学旅行が楽しみだよ♪」
「よかったじゃないか。」
「うん!」
「部活や生徒会の方はどうだ?」
「部活はいつも通りかな?レギュラー以上、幽霊部員未満、みたいな?」
どういう状態だよ…
「生徒会も相変わらずだよ♪部活に全然行けない程度には忙しいけど、やりがいはあるし、みんな面白いし、楽しいよ♪」
まあ、冬華が楽しめているならそれでいいんだが…
「生徒会といえば、高校にもあるんだよね?」
「あるな。」
「にぃにたちはまた入るつもりなの?」
「俺は奏に仕事を押し付けられていただけで、正規のメンバーではなかったんだが…」
「そうなの?去年の生徒会の名簿にはにぃにの名前が載ってたけど?」
「は?それは初耳だな。どういうことだ?」
「どういうこともなにも、そういうことじゃないの?」
「いやいや、うちの中学は選挙で生徒会役員を決めてただろ?俺、出てないし。」
「名誉会員的な?」
「そんな名誉貰った覚えないんだが…」
「・・・・」
「・・・・」
少しの沈黙の後、どちらともなく笑い声があがる。
「どっちにしろ、俺は入るつもりはないな。」
「そんなこと言って、奏ねーが入ったらまたお手伝いするんでしょ?」
「あれは押し付けられていただけだ。あいつがそうだったみたいにな。」
「ホントかな〜?」
「なにが言いたいんだよ?」
「にぃには優しいな〜って♪」
「そんなことはない。だれそれかまわず手伝うわけじゃないしな。奏が特別なだけだ。」
「えっ?」
冬華の動きが急に止まった。
同時に、凍てつような冷気が部屋に漂い始める。
「とくべつ?」
まるでその言葉を初めて聞いたかのような反応を見せたかと思えば、
「特別ってどういう意味かな?」
語気を強めて問い詰めるように迫ってくる。
「奏とは燈花里園で10年以上一緒に暮らした仲だからな。おまえにとっても家族みたいなもんだろ。」
「なんだぁ…」
しかし、それも一瞬の出来事。
「そういうことなら先に言っておいて欲しかったな♪」
冬華に笑顔が戻るとともに、我が家の氷河期は一瞬で終わりを迎えた。
まるで最初からなにもなかったのように。
結局、冬華の機嫌が急に悪くなった理由はわからないが、掘り返す必要はないだろう。
俺の平和と安寧のためにも。
「いい時間になってきたな。そろそろ寝るか?」
「そうだね♪それじゃあ…」
ここで再び冬華の動きが止まる。
ただ先ほどとは違い、その表情はどこか小悪魔的な笑みを含んでいる。
なにか良からぬことを思いついた。そんな顔だ。
「ねえ、にぃに…」
いずれにせよ、
「今日は一緒の布団で寝る?」
悪い予感しかしねぇ…
「お前、学校の男どもにも同じようなこと言ってんじゃねぇだろうな?」
真顔の俺とは対照的に、クスクスと笑いながら冬華は答える。
「そんなことするわけないよ♪わたしがこんなこと言うのは、この世界でにぃにだけだよ♪」
不覚にも、冬華の予想外な発言と愛おしい笑顔に胸が高鳴る。
その一方で、妹の貞操観念がちゃんとしていることに胸をなでおろ…
「今のところはね♪」
はい?
「どういう意味だ?」
「どうもなにもそのままの意味だよ♪わたしにも好きな人の一人や二人ぐらいできてもおかしくないでしょ?」
なるほど。十分ありえる話だ。
だが、それは許されることではない。
「好きな奴ができた時はすぐに教えろ。俺が消してやる。」
そう、どんな手を使ってでもな。
「………さすがに消されるのは困るかな。」
少しの沈黙の後、冬華からのあまりにも冷静なツッコミに俺も落ち着きを取り戻す。
頭に血がのぼっていたとはいえ、我ながら思考がブッ飛びすぎてしまったようだ。
消すのはよくないよな、うん。
冬華が好きになったしまった奴にはもっとこう、穏便にご退場願おうじゃ…
「それに、真っ先に消えることになるのはにぃにだよ?」
え?
俺が消える?
いや、消される?
消す側のはずの俺が?
「なんでだよ?」
困惑する俺に、冬華は満面の笑みで答えた。
「だって、わたしの好きな人を消すんでしょ?じゃあ、まずはにぃにを消さないとね♪」
冬華がじりじりとにじり寄って来る。
その目は光を失って昏く、気が付けば手にはガンケース。
そして俺は、一瞬のうちに壁際まで追い詰められた。
「じょ、冗談だろ?」
情けないほど上ずった震え声で、絞り出すように言葉を紡ぐ。
冬華の返答次第で俺たちの生活はガラッと変わるだろう。
それどころか、俺の生活が永遠の終わりを迎えるかもしれない。
「んふふ♪」
楽しそうに笑う冬華が、俺を精神的に追い詰めていく。
ああ…。短い人生だったが、そこそこ楽しかったなぁ…
俺がいなくなったら、あいつらはどんな反応するんだろうか?
綾音は相も変わらず冷静に、まるでなにごともなかったかのように振る舞ってそうだな。
新も新で、いつも通りのほほんとしてそうだ。
奏は………?
「冗談に決まってるでしょ♪」
でもまあ、後悔はないな。
仮に生まれ変われるとしても、冬華の兄をほかの奴に譲るつもりは…
「え?」
「だって、わたしが好きな人だよ?わたしが率先して消しにいくわけないよね?」
それもそうだが…
さっきまでの俺の覚悟はいったいなんだったんだ?
「それに、にぃにがいなくなったら、わたしまたやっちゃうと思うよ?奏ねーなら巻き込んでも許してくれるかな?」
おいおい、ちょっと待ってくれ!
「それは困る。」
冬華には前科がある。
あの時は危うく燈花里園が潰れるところだった。
これ以上誰かを俺たち兄妹のゴタゴタに巻き込むわけには…
「じゃあ、わたしを独りにしないで。にぃにさえいてくれればいいから。」
今までみたいに冗談めいた感じではなく、その眼差しは至って真剣だ。
冬華がこんなことを言うようになったのはいつからだろうか?
兄として慕われているのはとても嬉しい。
だが、このご時世、いつ、どこで、なにが起こるかわかったもんじゃない。
「お前を独りにするつもりはない。安心しろ。」
もしかしたら、その時、俺はお前の隣には…
「ありがと、にぃに♪」
どんな時でも、冬華の笑顔を見ると心が安らぐ。
だが、今は罪悪感の方が強い。
真の意味で冬華の願いを…
冬華のそばにいられるように…
「早速だけど、にぃには好きな人いるの?」
いられるように…
「いや、いないな。」
なんだ?いきなり。
「つまり、わたしのことは好きじゃないの?」
「そうは言ってないだろ。なにがしたいんだ?お前は?」
「にぃにの身辺調査とリストアップかな?」
「リストアップってなんだよ?」
「え?『条件に当てはまるものを選び出すこと』だよ?」
「そういうことじゃない。なにをリストアップすんのかって訊いているんだ。」
「だって、好きな人は消さないといけないんでしょ♪」
…………。
「冗談だから、そんな危険物でも見るような顔しなくていいんだよ?」
俺、こいつの兄をやっていける自信がなくなってきた。
「だからにぃに♪本当のことを教えて♪」
「ああ、そうだな。また今度。気が向いたらな。」
永遠に続きそうな尋問を終わらせるべく布団に潜り、一方的に「おやすみ」と告げる。
そんな俺に対し、諦めたのか、そこまで本気というわけでもなかったのか、笑いながら冬華こう返してきた。
「おやすみなさい、にぃに♪」