流香と堅
日曜の昼下がり、フードコート窓際のカウンター席には秋の陽が徐々に射し始め、テーブルの半分は眩しいほどの光に曝された。客の多くは日陰を求めて場所を移動したが、ショートボブの少女と小学一二年生ほどの少年だけは席を移ろうとせず、周囲に背を向けてテーブルからの照り返しを受けている。
「おいしい?」
小顔の少女が隣りの男の子に顔を寄せた。彼の額からは汗が流れ始めていて、少女は帽子を脱がせ前髪の汗を手で拭ってやっている。
男の子は少女の問いに小さく頷いたが、手元のアイスクリームを口に運ぶ様子はない。ワッフルコーンに入った丸い三つのアイスを粘土細工のように捏ね回すだけだ。少女はしばらくその様子を眺めていたが、そのうち呆れ顔で窓の外に目を転じた。
ターミナル駅から電車を乗り継いで小一時間ほどの場所にあるレイクサイドのショッピングモール。ここなら少女に突然声をかけてくる顔見知りもいない。休日のモールは家族連れや彼女と同じ年頃の少年少女で賑わうが、その中の誰にも気づかれず取り残されたように居られることが、今の少女には必要なことのようだ。
「飽きちゃった。もういらない」
アイスを混ぜるのにも飽きた小学生がワッフルコーンを投げ出し、脚の長い椅子の上で宙ぶらりんの足をブラブラさせ始めた。さすがに少女がそれを見咎める。
「ケンちゃん、ちゃんと食べなさい。でないと、おねえちゃん、もう連れてこないよ」
母親のような口調で少女が叱ると、彼は嫌々ながらコーンを引き寄せ端っこを齧り始めた。
伊勢原 流香と佐々 堅。ふたりは姉弟だが、血の繋がりもなければ戸籍上の関係もない。通り過ぎる赤の他人と同じだ。顔の造りのどこにも似たところはないし、同居していれば似通うはずの雰囲気もまるで異なる。だが、流香にとってこの子は弟以外の何者でもなく、堅にとって彼女は当たり前におねえちゃんだ。つまり、どこにでもいる姉弟だ。
流香は堅の顔をまじまじと眺める。少し垂れ目の弟は見た目も可愛い。賑わう群衆の中でひとりきりは寂しい。だから、この子を誘い出す。今日も彼のスマホがブルブル震え出し、親から呼び戻されるまでの間、この子だけが話し相手の時間を過ごすつもりだ。
「パパとママはどこに行っちゃったのかなぁ?」
ワッフルコーンをひと齧りしただけで、堅がポツリと呟く。まだ子供だしママが恋しいのは仕方がない。だが、こんなふうにふたりでいることに飽きた、と意思表示するところは小憎らしい。
「パパとママは映画観るって言ってたでしょ? ケンちゃんが映画はつまんない、って言っていうからここに来たのに」
「うん」
きつい言い方でもないが割合簡単に納得した。ここで食い下がられたら面倒なのだが、そういうことはしない。どうやったら、こういう淡白な子ができるのか、流香は自分と比べて不思議な気がした。
この子と同じ年の頃、自分はパパに強請ってアイスを食べた。ダブルがトリプルになる日は超ラッキー。今日と同じように窓際のカウンター席で、足をブラブラさせながら、あっという間に食べ終えた。その後はモールの中をいつまでも歩き回った。美味しかった。楽しかった。
でも、その習慣は小四で途切れた……
ガラス窓に映る自分と弟を交互に眺める。
もし、自分がパパを取り戻すと、この子の習慣の何かがプツンと途切れるのだろうか?
「ケンちゃん、学校がお休みの日は何してるの?」
別に聞かなくても良かったのだけれど、つい聞いてしまう。
「野球! ボクね、三年生になったらファイターズに入るんだよ!」
弟が初めて目を輝かせた。
「少年野球?」
「うん!」
「サッカーじゃないんだ」
「うん。パパとドームに何回も行った!」
パパが野球好きなんて知らなかった。もう七年も離れて暮らしているんだし、知らないことがあっても仕方ないよな、流香はそう自分に言い聞かせて諦めた。
「ルカちゃんは?」
「なに?」
「お休みの日は何してるの?」
「おやすみ? お勉強かなぁ」
「あっ、パパが言ってた、ルカちゃんはアタマがいいから、お勉強教われば、って」
「あ〜ぁ、楽勝。なんでも聞きな」
この子と同じ年の頃、パパがパソコンで分数の問題を作ってくれた。へんなオジサンセンセのキャラクターまで作って。
でも、分数の計算までだった。その先は自分で勉強した。誰にも教わってない。
弟に視線を戻す。彼はワッフルコーンの中のアイスを粘土細工のように捏ね回している。三つ別々だったアイスは原形を留めず、いかにも不味そうな色合いの塊にまとまりつつある。別々のままがいいものなんて、世の中にいくらでもある。
「ルカちゃんはパパの子供なんでしょ? ボクはママの子でルカちゃんは違うママの子だって」
いきなり弟がそんなことを言い始める。これまではただのルカちゃんだったはずなのに。
「それがどうかした?」
面倒くさい。こういう面倒くさい話をするなら、別にこの子と遊ぶ必要はない。これからは予定通り予備校に行って勉強した方がまだマシかもしれない。
「だってボクのお家にいないから」
「あー、そういうことね」
「お家にくればいいのに」
「うーん、まあそのうち」
「ダメなの?」
「どうなんだろうね」
キミのママに聞いてみな、危うくそう言いかけてぐっと言葉を飲んだ。この子は素直な野球少年になればいい。
「今日は晩ごはん食べる?」
「帰るよ。だって、おねえちゃんのお茶碗ないし」
なんだか話しているうちに情けなくなってきた。パパの家に自分の居場所が当たり前のようには存在しないという事を、お茶碗ごときに思い知らされるとは。
「ここで売ってたよ」
「簡単に言うねぇ、ケンちゃんはまだまだお子ちゃまだなぁ」
流香は弟の小さな頭をクシャクシャに撫でた。
「でも三年生になったらファイターズだし」
微妙な垂れ目で自慢する。よほど嬉しいらしい。
「ハイハイ、良かったね」
この子とこんな話をしているだけで気分は晴れる。でも時々でいい。同じ部屋に住んでしまうと、こんな気持ちが続くとは限らない。
「何か欲しいものある? もうすぐお誕生日でしょ?」
「う~ん…… 特にない」
「野球のものいらない?」
「いらない! 今度パパと買いに行くから!」
「そっか……」
流香は嬉しそうな弟が憎らしいほど可愛かった。血の繋がらない弟なのに? いや、多分その反対だ。所詮他人だと割り切れるから、単純に可愛いのだ。
この子と同じ年の頃、自分はパパとママと三人一緒にディズニーランドに行きたかった。お誕生日のお祝いに、ってお願いしたこともある。でも、いつもパパかママかのどちらかとだけ。ふたり別々に交互に連れて行ってくれるから、友達の倍は通ったと思うけど、思い切り笑った試しがない。パパもママも、楽しい?って訊くけど、そして私は楽しいよ、って答えたけど、ホントはどっちでもいい感じ。行っても行かなくても、どっちでも、って感じだった。この子はそれと違う場所にいるのだろう。
「じゃあさ、おねえちゃんと何か面白いものがないか探しに行こうよ。いいものが見つかるかもしれないよ?」
「うん…… でもアイスが残ってるから……」
「しょうがないなぁ」
そう言いながら、元の色がなんだったかわからなくなったアイスを流香が引き取った。彼女が嫌々食べる顔を見て、堅が屈託なく笑った。




