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美智子と娘の同級生たち

「今日もお店番? もう十時になるよ、お巡りさんが来る前に交代しないと叱られちゃうよ」

 美智子は花屋の奥に顔なじみの少女を認めて声をかけた。少女はニコニコ笑顔を返し、椅子の下の足をブラブラ揺らしたが立ち上がる様子はない。美智子もいつものことにそれ以上の注意を払うことなくバス停までの足を早めた。


 田舎料理「桔梗」の良いところは閉店時間が早いこと。九時にはラストオーダーになり十時を回る前には常連客がいても美智子は店から解放される。後片付けはオーナーとおばさんの仕事だから、駅東口十時発のバスには確実に間に合った。これなら娘が起きている時間に帰り着けるというのがこの店の仕事を選んだ大きな理由のひとつで、今のところ当初の目論見どおり規則正しい毎日が続いている。この日もいつもの時間にバス停に並びスマホを取り出した。これから帰ると娘宛てにメッセージを送信した後、別の相手に「おつかれさま」と書いて送った。この半年続く新しい習慣を終えると、彼女の目元が緩やかに綻んだ。


 めっきり寒くなった夜のバス停に並んでいると、数人後方から聞き覚えのある若い声が聞こえてきた。傍若無人と言うほどでもないが、時折甲高い笑い声が混じるので、隣のサラリーマンがその都度反応しスマホから顔を上げる。気になった美智子が男の肩越しに声の方を確かめると、幼い頃の面影を朧に残した娘の同級生たちの姿がそこにあり、目が合ったそのうちのひとりが彼女に声をかけてきた。


「あっ、おばさん! こんにちは!」

 こんばんはの時間です……

「あら、モモちゃん。今、帰り?」

 濃紺ブレザーの制服姿は、いくつもの運動部が全国レベルで活躍する私学のもの。桃はそこのバレーボール部の主力選手として有名な子だった。


「うん、ちょっとね。ルカは元気?」

「元気だよ。って、塾で会わない?」

 高校は別になったが、確か、予備校の講習申し込み手続きの時には母親と一緒の彼女を見かけた記憶がある。


「そっか、一緒だったか、アハハハ」

 彼女が笑うと他の友人たちもつられて愛想笑いを浮かべる。

「クラスが違うからさ。私たち()()()組だから。いつも部活終わって寝に行くようなもんだったしね。ルカは学校終わって直行のバリバリクラスなんでしょ?」

 そうだったかもしれないと美智子も思ったが確証はない。


「でもさあ…… 」

 もうひとりの子が口を挟む。彼女も見覚えはあるが美智子は名前を思い出せないでいる。

「最近ルカ来てる? 全然すれ違わなくない?」

「バカ、私たちとは住む世界が違うんだよ。ねっ、おばさん」

 桃が美智子を気遣ってそんなことを言う。

「サボってんな、あの子」

 むしろ不安げな顔になった美智子が応える。

「何言ってんのおばさん! ルカは大丈夫。折り紙つきのマジメちゃんだから」

 桃が笑う。他のふたりも笑う。その笑顔は大丈夫なのかな、と思わせる程度に悪意のない笑顔だった。


 声が大き過ぎたか、間に挟まれたサラリーマンがこれみよがしに咳払いをしたから話はそこで中断し、彼女たちも少し声を潜めて大人しくバスを待った。


 定刻をやや遅れ、バスはちょうど席が埋まる程度の客を乗せて走り出した。途中にある大規模マンション群の前でその大半を吐き出すと、車内は美智子と彼女たち、ほか数人だけになった。

 彼女たちはずっと賑やかに何かの話題に夢中だ。時折固有名詞が交じるのと、間延びした相槌と、スキとキライと、わかりやすい単語ばかり並ぶが意味はわからない。彼女たちの会話を頭で理解しようとするとやたら疲れる。だから美智子はそれを音として聞き流していた。


「おばさん、みんなで行ったキャンプ、楽しかったね」

 目を閉じている美智子に桃が急に話しかけた。


「キャンプ? …… コンドミニアムに泊まった時のこと?」

「あ〜、それそれ。木でできた家に泊まったじゃん。優ちゃんとか翔ちゃんとかも一緒に」

「あったね…… あれ、みんないくつだったかしら?」

「小二だよ。オリンピックやってたし」

「そうだったっけ…… もう十年も前ってこと?」

「そう。十年前。あの時はいっぱい人がいたよね。おじさんだけ車で寝ちゃってさぁ、アハハハハ」

「ホントね、あったね、そんなこと……」


 子供の記憶は意味や価値のある順番に残るものではないらしい。どうしてこう余計なことを覚えてしまうのだろう、そんな、どうでもいいこと……


「でさ、ルカが泣いたんだよね、パパがいないよぉ〜、って。車で寝てるよ、っておばさんが言って、みんなで見に行ったら居なくてさ、おじさ〜ん、おじさ〜んって大声で探したら、ひょっこり歩いて帰ってきて、スイカ! こ〜〜〜んな大きいスイカ抱えててさ! 笑っちゃったよ。ルカだけ泣いててさ」


(そうだった。そんなこともあった……)


「そのスイカが生温くてあんまり美味しくなくってさ、だから、大人だけが食べててさ、あれも笑えるよね、今から思うと、アハハハハ」


(そこまでは覚えてないよ……)


「あれ、誰が行こうって言い出したの?」

「ああいうのはね、優ちゃんとこのお母さんが言い出すの」

「そっか、そうかもね。うちのお母さんやおばさんは言いそうにない」


(子供の観察眼は意外に的確かも)


「あ〜ぁ、あの頃は良かったよぉ。戻りた〜い」

 桃があまりに感情を込めた言い方をするから、美智子は可笑しくなった。

「何言ってんだか。人生これからでしょ?」

「そうかなぁ…… 人生の大半はもう決まってる気がする」


 こんな子だったのだろうか? 美智子の記憶にある彼女は、同級生の中でも頭抜けた体格とおっとりした性格だったはずだが、どこでどう変わったのだろう。流香はどうだろう、と思っていた矢先に桃がそれを問う。

「ルカはそんなこと言わない?」

「う〜ん…… どうだろう……」

 言わないのか言えないのか、そこのところはわからない。そもそも会話の少ない母娘おやこだ。


「私も人生やり直してぇ〜」

 桃の隣にいた子が大声を出す。この子は…… あっ、

「誰かと思ったらアンズちゃん?」

「そうだよ! おばさん、気づかないで話してたの?」

(そうだ、あのちっちゃくて色黒の、足が妙に速かった子だ!)

「ごめんごめん、キレイなお嬢さんになってたからさぁ」

 笑って誤魔化す。娘の同級生に社交辞令も変だが仕方ない。


「こっちはわかる?」

 当然もうひとりに話題が向く…… が、わからない。

「ごめんね…… 誰だっけ?」

「おばさん、そりゃダメだわ。今、乙女がひとり傷ついたわ」

 桃が茶化す。そうは言ってもわからないものは仕方ない。この年頃の子は変化が激しいのだ。

「シオンです。相原…… 」

「シオン……? えっ! シオンちゃん! まぁ……」

 彼女の変化は桃や杏とは真逆の方向に、確かに清楚なのだが、急激に大人びたものに変わってしまっていた。冷たさを感じさせる愛想笑いはこの子の生来のものだったかしら? 美智子にはどこか腑に落ちない近寄り難い印象が残った。


 それも仕方がない。美智子はこの時、相原詩音が老紳士早乙女の孫とは知る由もなかったのだから。

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