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それぞれの場所へ

 国道で行く手を阻まれた流香ルカの半歩後ろに詩音シオンが走り寄った。小さく、ルカと声を掛けたが、それ以上は何も言えない。流香はチラッと後ろを振り向いただけで、車の往来が途切れたのを見計らって道を渡る。詩音も必死で彼女を追いかけた。


 道を渡り終えたところで流香が詩音を振り返り半泣きの笑顔を見せた。

「恥ずかしいところ見られちゃった」

 詩音は返す言葉に困り、いくつもの言葉を飲み込んだ。

「いいんだよ、そんな顔しなくて。これで良かったんだから」

 流香が少しだけいつもの笑顔に戻ったから、詩音も、うん、と小さく頷いた。


 言葉もなく並んで駅に向かう途中、流香は何かを思い出したように花屋の中に入り、丸椅子に座っていた小柄な老婆に話しかけた。

「おばあさん、黄色いバラの花言葉って何ですか?」

「お別れ」

 老婆はようやく聞き取れるだけの小さな声で答えた。流香は一瞬だけ意外な顔をしたが、すぐに詩音に向き直り、明るい顔で問いかけた。

「シオンのおじいさんは知ってたのかなぁ?」

 詩音は花束を受け取ったときの祖父を思い起こし、なんとなく知っていたのではないかと思ったが、流香の期待している答えがわからず、曖昧な笑みを浮かべた。

「パパが持ってくるべきだったよね」

 その話しぶりには屈託がなかったが、詩音は流香が流した涙を思い出し、やはり何も声をかけられなかった。


「そこ、入ってごらん」

 やりとりを穏やかな笑顔で見守っていた老婆は、ふたりを店の奥にいざなった。言われるまま磨りガラスの引き戸を開けると目の前を重く黴臭い緞帳が塞ぎ、その奥は間仕切りで分けられた空間が広がっていた。

 室内の暗さに目が慣れると、間仕切りにはいくつもの写真が掲げられていることに気付く。手前から年代順に並べられた写真は、奥に向かって過去から今に至る歴史を刻んでいる。そこに写し出された大半の景色に見覚えのない詩音と流香でさえ、どこか懐かしい記憶を呼び覚まされる気がした。ふたりは互いの手を取り、歴史の道を確かめるようにゆっくり奥へと歩き出した……


 


 桔梗を出た慎哉は、国道を越えて続く路地に流香と連れの少女が花屋に消えるのを見つけ、車のクラクションをかわし道を横切った。


「パパ!」


 先を急ぐ彼を子供の声が呼び止める。声の方向に顔を向けると、いつもより何倍も明るい顔をしたケンが横断歩道を駆けてくる。それを追い、バラを手にした一花も信号の点滅と同時に駆け始めた。ぴょんぴょん跳ねるように慎哉に抱き付いた堅が両手の球体カプセルを自慢げに掲げて見せる。

「ほら! くるくる廻るお寿司さんでもらったよ! ふたつも!」

 慎哉は無邪気な子供の頭を撫でる。

「今度はパパも一緒に行こうよ!」

 嬉しそうな息子の頭を、今度はくしゃくしゃと撫でまわす。だが、慎哉は今、流香を気にしている。


 あの子もガラガラから飛び出すこのおもちゃを欲しがった。もう十年も前のことなのに、あの頃の流香なら今でも明確に思い出せる。

 だが、今の流香が求めているものは何も知らない。自分も、そしてきっと美智子も、彼女が求めるものなら何でも与えてやりたいと思っているはずなのに、それが何なのか見当もつかない。そんな思案を続ける慎哉の顔を、一花はずっと眺めている。


「終わったの?」

「ん?」

「まだなの?」

「まだ、って言われても…… 流香が飛び出しちゃったからさ」

 慎哉の曖昧な答えに、ふぅ、と息を吐き出した一花が静かに言葉を継いだ。

「追いかけてどうするつもり?」

「どうって……」

 確かに、追いかけて何ができるだろう? そのことに考えが及ばなかった自分に慎哉が気付く。

「甘いね、娘に」

「そうかな……」

 慎哉は別に普通だろ、と思っている。娘の心配をしない男親なんてありえない、そう思っている。

 だが、かつて娘でもあった一花は、慎哉をはっきり見据えて言い切った。

「これまで通り、遠くから見てれば? 慎哉とあのの距離感、いいと思うな。ホントに困れば、うちに引き取ればいいよ」

 その言葉に慎哉が目を見張る。ふたりの間で堅が交互に顔を見比べる。


「でもあの子はきっと大丈夫。あなたには似てない。母親似。バラの棘が指先を傷つけても平気で前を向ける子」

「バラ?」

「あっ、さっきねえ、ママのねえ、おは……」

 懸命に喋ろうとする堅の口を一花が乱暴に塞いだ。

「男のクセにケンはおしゃべりだなぁ。誰に似たんだ!このお口は!」

 そう言って一花が堅の口元を横に引っ張ったから、子供は慌てて慎哉の後ろに隠れてあっかんべー、と舌を出した。

「離れてても大丈夫な子もある。離れてちゃダメな子もある」

 一花がスッキリした笑顔を慎哉と堅に向けた。彼女の垂れ目はいつもよりしっかり意思を示していた。でも、いつも通り自分を穏やかなな気持ちにもさせる。慎哉はふたりを抱き寄せて、百貨店の表通りを駅に向けて迷いなく歩き出した。




「みっちゃん、もういいから、今日は先生の隣でお客さんしなさい」

 店のオーナーが諭すように声をかけた。キッチンでふたりに背を向けて急ぎでもない仕事を繰り返す美智子を見るに耐えられなくなったのだろう。

 その言葉に、一度だけ目元を拭った彼女が、エヘヘと照れ笑いを浮かべてカウンターの前に立った。

「そこじゃなく、ここ! 今日はお客だろ?」

 老先生の隣で酒の相手をしていたオーナーが立ち上がり、キッチンの美智子と席を代わろうとする。美智子もそれ以上は拒みようがなく、半人分すきまを開けて早乙女の隣に腰を下ろした。

 オーナーが盃を用意し、美智子と老人に差し出す。美智子は老人の盃の少し下に自分の盃を軽く当て、そのあと、ぐっと一気に呷った。


「みっちゃん、すまなかった。結局、私は余計なことばかりしてしまったようだ。この通りお詫びする。赦してくれたまえ」

 そう言って早乙女は深く頭を下げた。この老人に謝られる心当たりはないが、こんなふうにスッキリ頭を下げられたら、大抵のことは赦せるものだなと美智子はしみじみ思った。

「先生、なんのことをおっしゃってるか知りませんが、謝るなら諸岡さんに、ですよね?」

 美智子は笑顔を取り戻し、空いた早乙女の盃に酒を満たした。

「うむ…… そうだろうか」

「そうですよ」

「では、いずれ会ったら謝ろう」

 この老人はまるでわかっていない。そう思いながらも、なぜか美智子は気分が落ち着いてくるのがわかった。この店に日常が戻り、自分の居場所を取り戻した気になれたのだ。


「諸岡君には謝罪より渡したいものがあったんだけどな」

 早乙女は美智子の言葉を聞いていなかったかのように勝手に話し始める。

「なんですか? あっ、それ、小説の原稿?」

「うん、やっと書き終えてね。これで、ジ・エンドってことだ」

「そうなんですね。それで黄色いバラ持参とか?」

 美智子がいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「う…… うん。まぁ、これはなんだ、花屋の婆さんが気を回し過ぎたというか」

「先生!」

「ん?」

「お元気でずっと通ってくださいね」

 社交辞令で口にした言葉だ。だが、それだけでもないのかもしれないと美智子は後から気がついた。拗れて修復力のなくなった家族より、差し障りのない会話を重ねられる他人の方がよほど有り難い。

「みっちゃんは意地っ張りなんだな。度が過ぎると損をするぞ」

「わかる人だけわかってくれればもういいです。あれもこれもって考えるのは止めました」

「わかってくれる人がいる人間の言いそうなことだ」

 そう言って早乙女が笑った。


「では、私も今日はこれで失礼する。この原稿は諸岡君に手渡してくれたまえ。何かのヒントになると思うんだが、ダメなら捨ててもらって結構だから」


 キョトンとする美智子の肩を借りて老人は立ち上がった。肩に置かれたシワだらけの手に、美智子はそっと自らの手を重ねたが、早乙女は意外なほどあっさりその手を放し、いつものように背筋を伸ばして帰って行った。

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