表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/34

詩音と祖父、そして流香

 夕暮れ迫る百貨店の裏路地にサッと一陣の風が吹き抜けた。風に浚われそうになるソフトベレーを右手で抑えた詩音が風の来る方を振り向くと、落ちかけた夕陽を背にショートボブの見慣れたシルエットがあり、彼女に気づいたその影が、制服の裾を翻して駆けてきた。


「シオン! どうしたのこんなところで!」

 その声に花盥を覗き込んでいた初老の男性は腰を伸ばし、ふたりの顔を交互に見比べた。

「イセっち! イセっちこそどうしたの?」

 孫娘の呼ぶその名に老人は一瞬目を見張り、手にした黄色の秋バラを店番に手渡すと横から口を挟んだ。

「詩音。お友達かい?」

「ええ。伊勢原流香さん。イセ…… ルカ、私のおじいちゃま……」

「あら。初めまして。伊勢原です」

 幾分伏し目がちな詩音の様子が気にはなったが、流香は落ち着いた声で挨拶した。

「そうですか。初めまして」

 友人の祖父と面と向かって挨拶する経験などなかったが、流香は硬い表情を崩さない老人に近寄り難い距離を感じ、じゃあまた、と言い残し早々にその場を立ち去ろうとした。


「伊勢原さん!」

 老人が流香を呼び止める。条件反射的に後ろを振り返った流香が、今度はシルエットになったふたりの姿を眩しそうに見つめ返した。

「お母様のところに行かれるご予定か?」

 なぜその事がわかるのだろう? 流香はこの老人とどこかで出会ったことがあるだろうか思い出そうとしたが記憶の中にない。気になった流香はふたりの方に数歩歩み寄ったが、老人の後ろに控える花屋の店番が秋バラを手にどうしたものか困っている様子に気付き、先にそのことを老人に知らせた。

「あの…… お店の方が」

 老人は後ろを振り返り、おぉと小さく驚いた声を出すと、店番には秋バラを適当にと注文し、流香に向き直った。


「母をご存知ですか?」

 詩音が目を合わさないのが不自然で気になる。カンの良い流香は母親とこの老人に何らかの関係があることを読み取った。

「お世話になっています。それはもうとても」

「そうですか。では、また」

 それだけ言って先を急ごうとした流香を、老人はもう一度呼び止めた。

「よろしければ、三人でお店に……」

 老人の言葉に、今度は詩音が驚いて顔を見上げた。付き添いを始めてからというもの、その先の国道を越えて路地を進むことなど一度もなかったから、一緒に桔梗という名の店まで行こうと言い出した祖父の言葉が予想外だったのだ。流香は不安げな詩音の顔と、なぜか困った顔の老人を見比べ、さっぱり事情が理解できなかったが、ひとりで桔梗の暖簾をくぐることにも抵抗があり、この際老人の提案に従うことを選んだ。


 花屋の店番が黄色い秋バラを老人に手渡す。すっかり寒くなった裏路地で、淡色のバラはとても儚げに見えた。

「黄色いバラって寂しい感じがしますね」

 流香が思ったままを口にする。老人は一瞬、ハッとした表情を浮かべたが、やがてうんうんと自らを納得させるように頷くと、これでいいんです、と静かに答え、いつもは車列を縫って横切る国道を、今日は横断歩道まで十数メートル遠回りして道を渡った。


「流香さんといいましたか、あなたお母様にそっくりだ」

 歩きながら老人は真正面を向いたまま静かに話しかけた。

「よく言われます」

「そうだろうね。立ち姿がよく似てらっしゃる」

 流香はどう応えていいかわからず無言になる。それを見ていた詩音が横から助け舟を出した。

「おじいちゃまね、実は桔梗に毎週通ってるの。いいお店だから。そうでしょ?」

 早乙女は硬い表情のままで二度三度頷き、流香に穏やかだかしっかりした口調で話しかけた。

「大丈夫。あなたが心配するようなことは私がさせません」

 流香は話がさっぱり飲み込めず、怪訝な顔で詩音に通訳を求めた。だが、詩音は青い顔になって俯いてしまう。まるで腑に落ちない流香はこの際、この老人に密かに思っていることを訊いてみようかと思ったが、その前に桔梗の店先に辿り着いてしまった。


「ここ…… ですか?」

 流香は思っていたよりずっと古く傾いた民家に驚いた顔をした。詩音も間近で見るのは初めてだったが、祖父が落ち着くという店ならこんなものか、と納得した。板塀に囲まれた風情はどことなく屋敷町の祖父の自宅を思わせたのだ。


 格子戸を潜り、建付けの良くない引き戸をガラガラ音を立てて開ける。玄関に入ると、右手に小学校の下駄箱のような靴置き場があり、老人は手慣れた様子でそこに靴を仕舞うと、上り框を踏み上がった。詩音と流香もそれに無言で倣った。


 店の者が誰ひとり声をかけてこない。老人が怪訝な顔でカウンター越しにキッチンを覗き込む。中ではオーナーと下働きの老婆が仕込みで忙しそうだ。老人が声をかけてようやくオーナーが三人に気づいた。


「先生! よく来てくれました。今週はお見えにならないんじゃないかと…… おや、お連れ様ですか? どうも、いらっしゃい」

 オーナーが若い客にも丁寧に頭を下げた。

「みっちゃんは?」

 そう言ってしまって慌てて流香に目をやる。詩音は赤い顔をして目を伏せた。

「それが今日はお休みなんですよ。何でも、今日は三人のお客さんを連れてくるが、客でいいかと言われて…… まさか、皆さんがその()()()()?」

 オーナーは妙な符合が急に気になったと見えて、生真面目な表情になった。

「いや、こっちは私の孫で詩音。そちらは……」

「伊勢原流香です。母がお世話になってます」

 流香はペコリという感じて浅いお辞儀をした。

「えっ! と言うことはみっちゃん、いや、伊勢原さんは御家族で?」

「ええ。恐らくそうだと」

「おやおやこれはまた…… いやね、中止になったらゴメンナサイ、なんて言うもんだから、あのみっちゃん、いや、伊勢原さんが珍しいね、なんて話をしてたんですよ。そっか、お嬢さんか! よく見るとみっ、伊勢原さんにそっくりだ」

 オーナーは何度もみっちゃんという言葉を訂正しながら、人の良さそうな笑顔を振りまいた。


「じゃあ、お肉がいいというリクエストはお嬢さんからかな?」

「あっ…… ええ、まあ」

「こんな調理場じゃロクなステーキも焼けませんが、代わりにローストビーフのいいの、取り寄せておきましたからね」

 オーナーは何かのお祝いごとと勘違いしたのだろう。明るい表情で初めての客をもてなそうとした。逆に早乙女老人はこれから起こる母と子と愛人三人の言い争いを予感して暗い顔になった。

「じゃあ、とにかく座ってもらって。一番奥の座卓を使って下さい。先生とお孫さんはカウンターでいいですか?」

「そうだな…… 孫もいるし、しばらく三人で座っててもいいだろうか?」

 老人が流香に同意を求めたので、流香もぜひと詩音の腕を取った。詩音は思いもしなかった展開に、ずっと目を伏せたまま、ひと言も発しなかった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品を縦書きでお読みになる場合はこちらのサイトへどうぞ

ちかハナル作品集
★『歪んだ街並みの花屋』(縦書き)★

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ