流香と詩音 その2
日曜日の早朝、流香はターミナル駅の中央通路が見下ろせるカフェの窓辺から、行き交う人をぼんやり眺めていた。母親の美智子と顔を合わせるのが嫌で家を出たのはいいが、行く当てもない。マックで時間をつぶし、カフェのオープンと同時に店を移った。もう一時間はこうしている。
暇な休日は義弟の堅を呼び出すこともあるが、それは月に一度と決めている。父親の慎哉や、その同居人の一花に釘を刺されたわけではないが、自分の立場で義弟を何度も呼び出すのはダメだろうと流香自身が自制しているのだ。
スマホを取り出し、SNSのグループトークをチェックし始める。中学時代までは片時もチェックを欠かさなかったし、色々なグループに属すること自体が目的になっていたが、今は部活仲間の、特に気の合うメンバーだけのサブグループで会話する程度。だが日曜日の朝からそこに集まる受験生はおらず、仕方なく大量に流れ込んでいる販促メールに目を通していた。
そこに珍しいメッセージが飛び込んで来た。発信人は一ノ瀬裕。中学時代の先輩で、今は美容専門学校に通っている人だ。
『カットモデル募集~、今すぐ池袋に来れる人~』
一も二もなく速攻で返信した。
『ふたりでもいいですか?』
『なんだルカかよ。挨拶なしって、お前らしい』
『シオンっていたでしょ? 知らないか。テニス部だった子。一緒にいいですか?』
『よく覚えてないな。でもいいよ。それより現在の顔写真送ってみ』
流香がショートボブの顔写真を送ると即返事がある。
『ダメ! お前切ったばっかじゃん。もしするとなると、パンキーなスキン系になるけどいいの?』
『それはちょっと』
『じゃあもうひとりの子を連れておいでよ。15分だけ予約済みってことにしとく』
『りょうかいっす』
流香はすぐさま詩音にメッセージを送る。
『中学時代の先輩がヘアモデルさせてくれるって。今日これから。おいでよ』
送信したあとで詩音は急には無理かなぁ……と思う。ところが十分後に了解の返信が届いた。
『イセっち! 覚えてくれててアリガト!』
『ルカだってばよ』
『ゴメン。で、どこ行けばいい?』
『池袋。すぐ来れる? 先輩には連絡入れとくから』
『じゃあ、すぐに用意して出る。駅から連絡するね』
流香は休日の予定が埋まったことにホッとして、冷めたコーヒーを飲み干した。
一時間半後、ふたりは池袋から徒歩数分の場所にある美容専門学校の実習室にいた。そこには将来のカリスマ美容師?が一ノ瀬の他に七、八人いて、そのうちの何人かはすでにモデルの髪を触り始めている。だが、その全員が流香と詩音の顔を見るなり、ヒュウと冷やかしの声を上げた。
「ユウ! お前ずるいぞ! モデルハンデあり過ぎだろ」
「そうだよ。そっちのショートボブは出来上がってんじゃん」
「いや、だからこっちの子で」
「どこでどうやってこんな子スカウトできんの?」
「いや、後輩ですよ、ただの」
「ただの? 急な呼び出しですぐ来てくれる? ほぉ〜」
流香と詩音は、将来のカリスマたちが鏡の前に座る前から自分たちをその気にさせる雰囲気作りに圧倒されていた。無料でカットしてもらえるなんてラッキー、くらいに考えていたふたりは、自分たちはひょっとしてモデルなのか? と互いに目を見張った。
「流香、お前どうする? ちょっと奇抜なアレンジでもしてみる?」
一ノ瀬が鏡の中の詩音を様々な角度から眺めながら、流香に話しかける。
「いや、今日はいいです。その子だけで」
「そう? じゃあ、シオンちゃんだっけ? おまかせ、ってことでいいよね?」
詩音は小さく頷いたが、できれば私もショートで、と希望を口にした。
「キミはね…… そうだなぁ、ショートよりはこのままの長さをベースにした方が良さそうだな」
それを聞いていた流香が口を挟む。無理に誘った手前もあったのだろう。
「似合うと思うけどなぁ、ショート」
しかし、一ノ瀬はハッキリ断定的にその言葉を否定した。
「お前とこの子は目のチカラが違うんだよ。何というか、お前の男っぽい、挑むような強い目線と、ほわん、とした可憐な目線じゃ、同じフレームって訳にはいかないの」
「傷つくなぁ……」
「お前にはそれがお似合いって褒めたつもりだけど」
その話を聞いていた詩音は確かにそうだと納得し、お任せしますと首を縦に振った。
「うん。キミもショートが似合わないってことじゃないよ。ただ、ショートにするとメイクをばっちり決めないと目線が負けちゃう気がするんだよ。今日だけならそれでもいいだろうけど、高校生だし通学のことも考えた方がいいと思ってさ」
一ノ瀬の話を聞いていた先輩カリスマがにやりと笑った。
「ユウちゃん、随分余裕あるね」
「素材に合わせる、キャラクターを抉る、それが大切なんじゃないんですか!?」
一ノ瀬が反論すると、その先輩もそれ以上はからかうのをやめ、自分の作業に専念し始めた。
実習室にはハサミの擦れ合う音、ブローの風音、シャワーの水音、床を掃く音、時々出来栄えを確認し合う小さな声、それらが入り交じり、ピリリとした緊張感に包まれた。流香はその様子を後ろの壁に凭れて眺めながら、目指していた大学生活とは違う、創作現場だけが持つ活き活きとした躍動感に強く惹かれ始めていた。何かに没頭したい。すべてを忘れて目の前の物に挑みたい、そんな気分がしてきたのだ。
二時間後、詩音の変身願望を取り入れたのか、一ノ瀬はハイレイヤーをウルフに仕上げ、後ろの出来栄えを鏡で本人に見せた。
「スリーステップくらい大人になったろ?」
「…… ハイ」
詩音は耳を赤くして、それでも満足そうな顔で鏡に映った流香に合図を送った。
「ムチャいいじゃん。こんなふうにできるんなら、私もバッサリいくの止めときゃよかった」
「お前だと文字通りウルフになるからそっちで正解」
一ノ瀬が揶揄うと詩音が楽しそうに笑った。それにつられて流香も大きく破顔した。
後片付けを待って、三人で食事に出かけた。
「今日はアリガトな。お前のレスが超早くてびっくりした」
「いやだなぁ。なんか先輩を手ぐすね引いて待ってる感じじゃないですか」
「違うの?」
「違いますよ! 先輩には里村先輩という決まったお人がいて」
「江戸時代かよ」
「まぁ、そんなところです」
「で、お前はどうなの? 野球部のエースと付き合ってるって風のうわさが流れてたけど」
詩音はその話も桃たちから聞いていたので、流香の反応が気になったが、意外にも彼女は平然としている。
「あ~、あれ。文化祭を目前にして木っ端みじんですわ」
「おーーー、なんというタイミング」
「いや、予感はあったんで。別にいいっすよ」
「そっか。まあな。いろいろあるよな、人生」
「色々っすね。もういい加減ストレートな人生送りたいっす」
「お前、かわいいんだから、もうちょっと話し方変えてみたら? 男が近寄りやすいようにさあ。ねぇ」
一ノ瀬が詩音に相槌を求めたので、彼女は応えに窮して俯いてしまった。
「ほらほらこういう伏し目がちっての? こういうの真似れば?」
詩音は傷ついた。一見、詩音が持ち上げられているようで、こういう時の男性はほぼ百パーセント流香を選んでいることを知っている。話しやすくて気やすくて、どこかスキがあって可愛げのある流香が選ばれる。自分は祀り上げられるだけの、それこそ引き立て役。そんな風に感じた詩音は、せっかくのイメチェンも結局効果がないのだと臍をかんだ。
だが、こういう時必ずフォローしてくれるのも流香で、彼女はいつもピエロ役を演じてくれる。なぜだろうと思うほど彼女は人の下手に回る。
「選ばれた美人と、どーせ籔にらみの男女じゃ勝負になりませんって。それはもう中学時代から証明済みですからね」
「そっか。こんなかわいい子が一年生にいたなんて気づかなかったよ。迂闊だった」
一ノ瀬は優しい目で詩音に微笑みかけた。だが、愛想笑いの詩音はどんどん暗い表情になる。
(そう。私は目立たない存在だから)
それを見て流香が詩音にそっと耳打ちする。
「シオン、バッチ!」
そう言ってウインクしてみせた。
「うん。アリガト」
詩音は拗ねてる自分が恥ずかしくなり顔を上げた。そのタイミングを見計らっていたかのように一ノ瀬が言葉をかける。
「シオンちゃん、またモデルになってくれる?」
「えっ? いいんですか?」
「もちろんだよ」
「先輩、直接交渉は困りますね。私を通してもらいますよ」
「なんだかやり手ばばあみたい。お前そういうの似合うんじゃね?」
一ノ瀬が茶化したので、三人は周囲の目も憚らず大笑いした。
詩音は流香の笑顔をみて、ホントに可愛くて好きだな、そう心から思った。




