早乙女と詩音の友人たち、そして流香
ターミナル駅西口の線路沿いにはテレビコマーシャルで有名な予備校がある。そこから今、色白で大柄な少女と、身体の半分はあろうかと思われるスポーツバッグを肩から下げた色黒の少女が出てきて、何やら楽しげに話しながら駅に向かっている。ちょうどその時、駅方面からひとりの老人が周囲のビルを見上げながらやってくる。駅から予備校に向かうこの道はそこで行き止まりになるため車の往来もなく、夕方のこの時間に歩いてくるのは予備校に通う受験生か講師、稀にその保護者に限られていて、見慣れない顔は大抵道に迷った人だったから、明らかに予備校と関わりのなさそうなこの老人にふたりは自然に関心を向けた。
「あの爺さん、道に迷ったかな?」
桃が杏に話かける。
「講師じゃね? 古文漢文なら許す」
杏が適当に応える。
「古文漢文ならループタイするでしょ?」
どこからそんな定理が出てくる?
「ありゃ相当年寄りだけど、金はありそうだよ。着てるものがツヤっツヤしてる」
「おっ、さすが衣料品店の娘は目の付け所が違うね」
「うちは学生服と体操着だけだけどね」
「でもそういうの手堅くね? 食いっぱぐれない感じ。あの店、あんたが継ぐの?」
「その予定だけどさ。世の中、少子化だし……。 ぶっ潰して猫カフェでも作るかな」
「あっ、じゃあさ、猫のドレスとか作って一緒に売れば?」
「それいいかも! ニャンコの着せ替えを楽しめる店として売り出すのはどう? 最新猫ファッション揃えてさ。テレビの取材殺到しないかなあ?」
「あんた、意外に商才ありそうだもんね」
てな話をしてる間に老人の表情が確認できる距離にまで近づく。すれ違う人に挨拶するのが習い性になっているふたりは、老人にこんにちはと声をかけた。
「…… 」
ふたりの声に老人は気づく様子がない。何かを探すように周囲を見回す様子は、やはり道に迷ったのだとふたりに思わせた。
「あの~、どうかしました?」
桃が怪訝そうに老人を呼び止める。
「いや…… 」
老人はハッとした様子で立ち止まる。
「この先は予備校しかありませんよ」
今度は杏がやや甲高い声で老人に告げた。
「誰か探してます? 予備校に関係する人なら事務局の先生に訊きましょうか?」
「いや…… いいです」
それだけ答えると、老人は踵を返した。桃と杏は自分たちの親切心がまるで老人に通じてないのをちょっと不愉快に感じて目を見合わせた。
すると不意に老人がふたりを振り返り話しかけてきた。
「西口の予備校はここだけですか?」
「え? どうだったかな?」
いきなり聞かれてもわかんないよ、という顔で杏が桃を見る。桃も知らないと首を横に振る。
「あっ、いいです…… 」
老人の意味ありげな様子が気になって、桃も杏も次の言葉を待ってしまう。
「それにしても西口は変わったなぁ」
老人はペデストリアンデッキを見上げてそう呟いた。人のいい桃はその言葉をちゃんと受け取ってやる。
「そうですか。私たちは小さい頃からこんな感じだったんで。ねぇ」
相槌を求められた杏も頷いた。
「そうそう。でも、うちのじいちゃんが昔は西口はなんもなかったって言ってた気がする」
それを聞いた老人が苦笑いする。
「昔は東口の方が栄えていたんだがなぁ」
老人は駅ビルが邪魔してそこからは見えない東口の方に目をやり、再びふたりの顔を見て、今度はにこやかな表情で語りかけた。
「こっちは駅前から真っ直ぐ延びる一本道以外何もなかったんだよ」
「うちのじいちゃんは西口は危ないから行くな、って今でも言うし。笑っちゃうよね」
「東口の繁華街の方がよっぽどヤバイって」
「ヤバイヤバイ」
老人はふたりの話を面白そうに聞いていた。時が移ろえば人の流れも人の心も、いつしかすっかり変わってしまう。老人には孫娘と同じ年頃のふたりに映る街並みを確かめるように周囲をもう一度見まわした。
それから、なんとなく三人並んで駅に向かった。杏は日頃から祖父とよく話すからか、老人相手に気さくに話しかける。
「おじいさん、いくつ?」
「私? 七十七歳だが」
「へぇ~、全然そんな風に見えないよ。ねぇ」
相槌を求められた桃は老人の評価基準を持ち合わせておらず、曖昧に頷く。
「杏んちの元気なおじいさんはいくつなの?」
「う~んとね、何歳かは忘れたけど、確か昭和九年生まれだと思うよ」
「ほお、私よりもっと先輩だ。お元気なんですか?」
「元気なんてもんじゃないから。毎日汗びっしょりで十キロくらい歩いてくるから」
そう言うと杏と桃は大声を出して笑った。老人も頬を緩ませたが自分の歩みの遅いことを気にしたのか、視線を足もとに落とした。
「この時間は人が多いから、おじいさん、近くまで送っていくよ。改札口まででいい?」
桃が老人を気遣う。
「ありがとう。東口に用があるので、では改札口あたりまでご一緒してもらいましょうか」
老人はホッとした様子でふたりに笑いかけた。
夕方の人混みの中、桃と杏は老人を真ん中にして中央通路を歩いた。人々の歩く速度が老人の速度の倍は早く、先を急ぐ人が次々に追い越してゆく。老人の顔に疲労が見えた。
「おじいさん、疲れた?」
桃と杏はいつもの半分の速度で歩きながら老人を気遣う。いや大丈夫、老人がそう応えたところに、ふたりが同時にある名を呼んだ。
「ルカ!! ルカ!!」
ルカと呼ばれた子は深刻そうな顔つきで中央改札口を抜けようとしていた。名前を呼ばれ、一瞬顔をふたりに向けたが、ゴメン急ぐ、とだけ応えると、そのまま改札口を抜けた。杏がちっ、と舌打ちする。桃はぼんやり改札口の方を見ている。老人は、目に焼き付けるようにその後ろ姿を追った。
「どこ行くのかね、こんな時間から」
「うん…… あの子、誰か新しい男と付き合ってんの?」
「しらね。野球部のエースにフラれた後のことは知らない」
「完全にヘアスタイル変わってたね」
「うん。ショートボブだったね」
「小顔なやつはいいよな」
「おばさんにそっくりじゃん」
「確かに。似てるかも」
「ねっ。似てるのにね」
「ホントだよ」
ふたりは立ち止まって話している。老人は聞き耳を立てている。
「いいのかね、放っておいて」
「だって、うちらで何かできるはずないし」
「だよね。個人だよ、個人。個人の自由」
老人はふたりの会話を黙って聞いていた。確かにそうだ、他人の口出しできる範囲は限られている。だが、口出ししない限り、それが出し過ぎか不足かはわからぬではないか。彼は偶然出会った彼女たちが人としての優しさと冷たさを同居させていることをやや物足りなく思った。だが仕方ない、今どきの子だ、そう思うことにした。
「君たち、ありがとう。ここまで来れば大丈夫」
老人はふたりと別れて東口の南側の階段を下りて行った。桃と杏は呆気にとられてしばらくその後ろ姿を目で追いかけたが、やがて、なにあれ? と笑いながら、北側の階段を下りた。下りた場所から老人が百貨店前の信号を渡り、裏路地に消えるのが見えた。ふたりともホッとした顔を見合わせてバス待ちの列に並んだ。




