慎哉と流香
『パパ、お願いがあるんだけど』
一花を迎えに行った帰りの車で受け取ったLINEを確認すると、流香からの短い一文だった。二十分ほど前に届いたメッセージに深夜一時過ぎのこの時間に返信したものか、慎哉はやや躊躇ったが、なんとなく流香が待っている気がして短く返信することにした。
助手席からの視線を感じて横を見ると、一花が訝しげな顔で慎哉の手元を覗き込んでいる。別にやましくはないが、見られていては落ち着かない。
「先に部屋に帰ってて」
慎哉が一花を促した。
「女?」
「うん。流香」
「若い女だ」
一花は笑ってマンションのエントランスに消えた。
『なに? どうかした?』
それだけ送信すると慎哉は隣のコンビニに向かい、ビールが並んだ冷蔵庫の前で着信を待った。ストロング系が増えたなぁと思っているところに流香からの返信が届く。
『お金、貸してくれる?』
娘からのお願い事は大抵お小遣いの無心だが、この時間に言われた記憶はない。どことなくいつもと違う気配を感じ取って、慎哉は返信する。
『いいけど。いくら?』
『百万円くらいかな』
冗談にしても異常な額だ。だが、その額の裏側の真実には辿り着いておきたい。そう思った慎哉は少し間をおいて返信した。
『そりゃまた大きく出たね。いつまでに?』
『出来るだけ早く』
『なんに使うか聞いていいか?』
返信がない。返信がないということはそれなりに深刻な事情があるのだろう。
『家を出たい。働いてお金貯まったら返す』
今度は慎哉の返信が滞る。
『やりたいことが何か見つかった?』
流香からの返信はさらに遅れた。慎哉はドリップコーヒーを買い、ドリンクコーナーに腰を下ろした。深夜にもかかわらず意外に出入りの多い店で、入り口近くのドリンクコーナーをチラリと見て店に入る者が多く落ち着かない。
『パパは困ったら絶対に守ってくれるって約束したよね?』
流香と離れることを決めた時、彼女に送ったメッセージに確かにそう書いた。だから否定するわけにはいかない。
『あぁ。もちろん』
『困ってる。だから家を出たい』
それは論理破綻だねと書いたが送信直前で思い止まる。この飛躍の中に隠された真実があるように直感したのだ。
『わかった。では取りにおいで。いつでもいいよ』
親として甘いのかな…… そう思ったが、離れて暮らす娘にノーとは言えない。会って顔を見れば伝わる真実もある。
『ホントにいいの?』
何に迷っているのだろう。その事がかえって慎哉を不安にさせる。
『いいよ。ただ、話は聞かせてもらう。銀行にお金を借りるのだって、理由は聞かれるよ』
『そうだね。わかった。ちゃんと話す』
『了解。いつ来る? パパがそっちに行こうか?』
『うん。駅の近くまで来てくれる?』
『いいよ。明日?』
『うん。明日の夕方』
『了解』
『あっ! ダメだ。やっぱりパパの近くの駅まで行く』
『そうなの? それでもいいよ』
『ごめんなさい』
『全然』
『パパ』
『なんだよ』
『ごめんね』
『謝ることがあるの?』
『ないけど、なんとなく』
『あっ、この間は悪かったな。ひとりで帰して』
『別にいいよ』
『ケンがよろこんでた』
『パパはケンちゃんに甘すぎだよ』
『そっか?』
『そうだよ! あの子さぁ、アイスぐちゃぐちゃにして遊ぶんだよ! ありゃダメ。叱らなきゃ』
『そっか(笑)』
『その(笑)は止めなよ。キモい』
『そうなの?』
『そうだよ』
『そっかぁ…… なんかリズム狂うな』
『いいの。止めてね、それ』
『しゃあーねーな』
『パパ』
『何?』
『もう寝る(-_-)zzz』
『お〜、こんな時間だ。じゃあおやすみ』
『おやすみ。明日ね』
『了解』
『じゃあ寝るね』
『おやすみ、流香』
離れていても流香は娘だ。その事実を思う。同じ屋根の下で暮らすからといって全てが理解できるわけではない。何かがあった時、彼女が躊躇なくサインを出せるようにしておけばいい、そう思ってきた。何にしても、彼女が自分を忘れずに頼ってくれているならそれでいいのだ。
コーヒーを飲み干してコンビニを出る。真正面の七階の部屋から漏れる灯りの中に人影がチラリと動いた。姿は見えないが部屋に向かって手を振ってみる。当然のように反応はない。でも、それもそれでいい。
慎哉にとって、一花と堅、そして流香はかけがえのない存在で、誰ひとり欠くことはできない。一緒に暮らそうが暮らすまいが、この先、別々の人生を歩もうが、そんなことはどちらでもいい。自分にとって、彼女たちの存在だけが確かなものなのだから。慎哉はそんなことを思いながらマンションに戻って行った。




