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一花と慎哉

「一花さん、ああいうのは感心しないな」

 バーテンダーの京介がグラスを拭きながら一花を諌めた。

「そう? 別にいいんじゃない。ひとりで黙って飲んでるより話し相手があった方がよくない?」

「男性は皆がみんな慎哉さんのようだとは限りませんよ」

「いいよ、あんなのは世の中にひとりきりで」

「また憎まれ口叩く…… それも感心しないな。一花さんはどうしてそう自分に不利な言い方するかなぁ」

「うるさいよ。京介はカッコいいけどそのお説教臭いところがキライ。モテないよ、そんなの」

「いや、今程度のモテ方でちょうどいいんで」

 一花はフンと笑ってロックグラスをカランと鳴らした。この店に通い始めてまもなく十年が経とうとしている。高校を卒業したばかりの自分を深夜ここに連れて来たあの男は今頃どこで何をしてるんだろう? そんな感傷めいたことを一瞬思ってみるが長続きはしない。一花はすぐにいつもの顔に戻った。


「その慎哉さんと別れようかと思ってるんだけどさ、京介、そうなったら私と暮らす?」

 一花はまるで当たり前の予約を聞き出すかのように平然とそんなことを言う。長い付き合いの京介は、その中にある種の真実を嗅ぎ取って、世慣れたバーテンダーらしい答えを返す。

「一花さんがホントに僕なんかを必要とするならいつでも」

「そう。じゃあ決まりだね」

 一花が空になったグラスを差し出してお代わりを求めたが、京介はそこにミネラルウォーターを注いでレモンをひとかけら落とした。

「そろそろ慎哉さんがお迎えに来る頃ですよ」

「京介…… あれはあれでウザいもんだよ。お釈迦様のたなごころで遊ばされてる悟空みたいなもんだから」

「だから僕には慎哉さんの身代わりはできないんですよ。僕は掌をギュッと握り潰しかねない」

 京介はグラスを拭きながらニヤリと笑った。


 一花にも解っていた。慎哉のような男はそうそういないこと。ハンサムな京介の身代わりは探せばいるが、あの男のように誰かのために何かを捨てることのできる男なんているわけがない。いや、あちこちにいてもらっても困る。あんな男だらけだと毎日が落ち着かないのだ。だからもし、この店の片隅に私のような女がいようものなら、慎哉は私を置いて出ていってしまう。それはそれで仕方ない。順番なのだ。そう理解しようとはしている。


「面倒なのに関わっちゃったよなぁ…… ねえ京介。ありゃ失敗だったよ、アハハハ」

 一花が大声で笑うのは涙を溢すのと同じだと知っている京介は、わざと無関心を装った。心の奥の奥で彼女と同じものを抱える京介は、彼女を突き放す優しさを持ち合わせていたのだろう。


「ケンちゃん、大きくなっただろうなぁ」

 京介は、まだ産着を着ている頃の記憶しかない彼女の息子の名を口にした。お宮参りの写真を慎哉が見せてくれたのはいつのことだったか。


「かわいいよ、私の子だし」

「慎哉さんの子でもあるしね」

 京介に念を押され、一花はこの店も落ち着かなくなったなぁと悪態をつくのだった。


 ドアが開いて慎哉が姿を見せた。サラリーマンを辞めてからの彼は、自由と退屈を顔に刻んだダンディズムの象徴のように見える。

「慎哉さん、飲んで行きます?」

「そうだな、カルーアミルクのカルーア抜きでヨロ」

 京介はクラッシュアイスにミルクとハチミツを入れて差し出した。

「粘膜用のカルーアです。続きはお部屋でどうぞ」

 差し出された細いグラスを慎哉は一口で飲み干し、一花を促した。

「さあ帰ろう、我が城へ、グィネヴィアよ」

 こういう芝居がかったセリフを平気で口にする慎哉を京介は面白がり、一花は露骨に嫌な顔をする。だが、結局まんざらでもない顔をして腕を組んで帰るのだから、ふたりは在るべくして在るもの同士、ということなのだろう。


 パーキングまでの道すがら、一花は京介に話したことをどうしても抑えられなくなり口にしてしまう。

「ねえ、そろそろ別れてあげるけど、どうする?」

 そういう言い方だろうな、と思っていた慎哉は気にする素振りもない。

「何日くらい?」

 予想通りの答えに一花はほくそ笑む。

「あなたが決めなさいよ」

「わかった」

 慎哉はそれきりで何も言わない。一花は彼の腕に凭れかかりながら答えを催促する。

「だから何日? 決めた?」

「そうだな…… 二三日」

「ふ〜ん、結構見切り早いね」

「そうかなぁ、決断するまでに二三日は欲しいよね」

「バカみたい」

 一花は下を向いて笑った。


 慎哉は知っていた。一花は嬉しい顔を見られるのが苦手なのだ。嬉しい時、彼女は必ずといっていいほど顔を伏せる。その回数をできるだけ増やしてやりたいのだ。そうすることで慎哉は彼女から求められている実感を手にする。無理難題も支離滅裂な言葉も、一花の瞳がその裏側を慎哉には必ず伝えてきた。だから、彼女を手放せない。それは彼女の為ではなく、自分のためだということを慎哉は自覚している。


「ほらまた誰かのことを考えてる」

 一花が言うとおり、慎哉は美智子のことを思い出していた。でもそれは違う意味なんだけどな、といつも思う。ただ、言っても伝わらない。だからいつものように黙って彼女の肩を抱き寄せた。


「肩、出し過ぎ」

 慎哉が笑うと、一花もまた顔を下に向けて笑った。

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